くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

高野山・壇場伽藍

2015年04月21日 22時58分49秒 | 薀蓄(ウンチク)

壇場伽藍(だんじょうがらん). お大師さまが高野山をご開創された折、真っ先に整備へ着手した場所。
お大師さまが実際に土を踏みしめ、密教思想に基づく塔・堂の建立に心血を注がれた処で少し小高い
場所に位置することからともいいます。

〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。
高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の
地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。
各諸堂の案内順番は、高野山に伝わる『両壇遶堂(りょうだんにょうどう)次第』に則っているそうです。

国道480号線を登り切って大門を過ぎて金堂前のバス停から先ずは中門に立ちます。

        

かつて天保14年(1843年)の大火により、西塔のみを残して、ことごとく焼き尽くされました。
先代の中門もその折に失われ、今日までなかなか再建叶わずでしたが、高野山開創1200年を記念
して170年ぶりに、この度再建されました。

持国天像と多聞天(毘沙門天)像は二天門であった先の中門に安置されていた像で、類焼をまぬ
がれてこの度保存修理が完成しました。

内側の広目天像・増長天像は現代の大仏師松本明慶師の手により新造されたものです。

                         
     広目天像           増長天像            内側からの景色

拡大してよく見てみると胸の位地に広目天像は蝉、増長天像はトンボが止まっています。
近くにいらしたお坊さんに尋ねてみますと
「広目天様は教えを広めるお役目があって蝉の声のように広がって沁み渡るように、増長天様が
槍を持っているのは、邪悪なものから守るためでトンボのように真っ直ぐ前に飛んで決して後退しない
強い意志を象徴している。」のだそうです。

入って左(西)側には荒川経蔵・山王院・明神社・西塔・孔雀堂・准胝堂・御影堂などがあります。
         (今回は画像などパスします)
正面に聳えるのが金堂です。

 

中は撮影禁止なので撮れませんが5月21日までの大法会期間中は御本尊の薬師如来が特別開帳
されていますので、堂の中の薬師如来様の指から五色の紐が通されて出て来て、三本に分けられて
垂らされています。(赤い矢印の位置)
お堂に入らなくてもその紐を握ることで薬師如来様と繋がれるので此処でお参りをされる方も居ます。

金堂の中では同じ紐が左右に分けられ、それがまた三本に分けられているので6人が一度に薬師
如来様と繋がれます。

19日は14時から記念慶賛法会が行われることになっていたようで「はい、あなたまで」とギリギリで
お堂の中に入れてもらえました。(13時50分頃)
後の人は1時間半後ぐらいに記念慶賛法会が終わる頃まで入れないとのことでラッキーでした。

次は壇上伽藍のシンボル根本大塔です。

多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには
金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による
十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像
が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。

        
   愛染堂          蓮池            不動堂          大会堂

東へと歩くにつれての建物などです。

                
        桜と東塔      東塔を越えて振り返って蛇腹路      六時の鐘

大会堂の前から三昧堂・東塔を経て金剛峯寺までは石畳の道となっていてヘビの腹のようなので
蛇腹(ジャバラ)路と呼ばれています。
ここまでで壇場伽藍は終わりです。

そして、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』と
いうお経より名付けられたと伝えられている、高野山真言宗三千六百ケ寺・信徒一千万の総本山
金剛峯寺(こんごうぶじ)」となります。

ここは下手な説明やガイドより興味のある方はホームページをご覧いただくのが一番だと思います。