リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

リュートとの出会い (13)

2005年04月23日 09時51分27秒 | 随想
 御殿場の講習会から帰って一ヶ月くらい後、1年半くらい前に野上三郎氏に頼んであったリュートがようやく完成、東京に取りに行った。私にとって記念すべき最初の楽器だ。当時まだ走っていた東海道線の急行「東海号」に乗り、昼過ぎに東京に着いて、道に迷いながらやっとの思いで野上氏の工房に到着したころは昼をかなり過ぎていた。私は、氏の工房の玄関ではじめての自分のリュートと対面した。氏の説明では、古楽器として軽く作ったとのことだが、なぜかその楽器を見て、御殿場でツァネッティの楽器を初めて見たときのようなときめきは全く感じられなかった。あとから思うとそれは多分楽器のデザインから来たものだったようだが、その第一印象は当たっていたようだ。家に帰って何時間も弾いてみても、一番よく響くはずのヘ長調の和音すら音楽的感情を乗せるほどは響いてくれない。おまけにペグの具合が全くよくない。氏の説明では、ペグの2カ所ある接点のうち、回すところから遠い方は、なめらかに回るように「遊び」にしてあるとのことだった。今から見れば、お笑いみたいな話だが、当時まだ楽器のことにそんなに詳しくなかった私は、言われてみてそんなものかと思ってしまっていたが、実際調弦が上手くできないので、この「一点支持」ペグではだめなのだとその時思った。せっかく長い間アルバイトして貯めたお金で買った楽器が期待はずれだったので、私の落胆は大きかった。リュートという楽器はこんなものであるはずはないという思いがあったが、その当時はまだ比べることのできる楽器もなく、確かなものとは言えなかった。これがリュートなのだと合理化する気持ちとそんなはずはないという気持ちの間で悩む日々が何日も続いた。