リュート音楽のひととき16とバロック音楽の旅9第5回が終了いたしました。
リュート音楽のひととき16は、その前の週と2週間前のコンサートのシリーズですが、名古屋で行われた「ひととき」は少し趣向を変えて、前半がバッハの組曲第6番BWV1012のレクチャーを入れました。原曲は無伴奏のチェロのためのものですが、それを以下にリュート用になおしたかを、原典の検討と楽器の技術的な検討の2点についてお話をいたしました。
やや専門的なことに踏み込まざるを得ないので、聴きにきてくださった方にとっては少し難しかったかもわかりませんが、資料を用意してできるだけかみ砕いてお話をいたしました。
後半は、その組曲第6番全曲を通して演奏しました。前述のように3週間続けて毎週この曲を弾いているわけですが、実は結果的に毎回少しずつ編曲を変えてしまいました。大幅に音を変えると言うことはないのですが、実際にコンサートで演奏してみると、指使いがなんか今一つ具合が悪いというところが見えてきてその都度改善をしています。今回は音そのものをいじることはなかったですが、今までの経験からだと時に追加したバスを変えてみたりすることもあり、バッハを演奏する場合いつまでたっても完成という風にはならないものです。
バロック音楽の旅9第5回講座は、今回「ギターによるバロック音楽Ⅱ」と題して、ギタリストの松尾俊介さんをお迎えしました。3年前にも松尾さんには来ていただいたので、今回は「Ⅱ」ということになります。プログラムはダウランド、ヴァイス、バッハ、ブリテンの作品を演奏していただきました。
リハーサル中の松尾さんです。
モダン・ギターでダウランドからヴァイス、バッハを深く理解して弾きこなす彼はギター界にあってとても貴重な存在だと思います。ずっと古楽の生演奏ばかり聴いてきている講座の参加者の方に全く違和感もなくアピールできたのはさすがだと思いました。
最後の曲は20世紀に書かれたギター作品の中でも傑作中の傑作と言われているブリテンのノクターナルでしたが、この曲はさすがに松尾さんの自家薬籠中のものでした。この曲の最後はダウランドの「来たれ深き眠りよ」で終わるのですが、この第5回講座を閉じるのふさわしい響きでもありました。
リュート音楽のひととき16は、その前の週と2週間前のコンサートのシリーズですが、名古屋で行われた「ひととき」は少し趣向を変えて、前半がバッハの組曲第6番BWV1012のレクチャーを入れました。原曲は無伴奏のチェロのためのものですが、それを以下にリュート用になおしたかを、原典の検討と楽器の技術的な検討の2点についてお話をいたしました。
やや専門的なことに踏み込まざるを得ないので、聴きにきてくださった方にとっては少し難しかったかもわかりませんが、資料を用意してできるだけかみ砕いてお話をいたしました。
後半は、その組曲第6番全曲を通して演奏しました。前述のように3週間続けて毎週この曲を弾いているわけですが、実は結果的に毎回少しずつ編曲を変えてしまいました。大幅に音を変えると言うことはないのですが、実際にコンサートで演奏してみると、指使いがなんか今一つ具合が悪いというところが見えてきてその都度改善をしています。今回は音そのものをいじることはなかったですが、今までの経験からだと時に追加したバスを変えてみたりすることもあり、バッハを演奏する場合いつまでたっても完成という風にはならないものです。
バロック音楽の旅9第5回講座は、今回「ギターによるバロック音楽Ⅱ」と題して、ギタリストの松尾俊介さんをお迎えしました。3年前にも松尾さんには来ていただいたので、今回は「Ⅱ」ということになります。プログラムはダウランド、ヴァイス、バッハ、ブリテンの作品を演奏していただきました。
リハーサル中の松尾さんです。
モダン・ギターでダウランドからヴァイス、バッハを深く理解して弾きこなす彼はギター界にあってとても貴重な存在だと思います。ずっと古楽の生演奏ばかり聴いてきている講座の参加者の方に全く違和感もなくアピールできたのはさすがだと思いました。
最後の曲は20世紀に書かれたギター作品の中でも傑作中の傑作と言われているブリテンのノクターナルでしたが、この曲はさすがに松尾さんの自家薬籠中のものでした。この曲の最後はダウランドの「来たれ深き眠りよ」で終わるのですが、この第5回講座を閉じるのふさわしい響きでもありました。
今回の講座もミスターのバッグの中で聴かせていただいたんだワン。maestroとギタリスト氏とのやりとりがとっても愉快でとっても楽しめたんだワン。演奏以上にギタリスト氏の人柄においらは惹きつけられたんだワン。もちろん演奏もとってもすばらしかったんだワン。特に最後のノクターナルは初めて聴いた曲なんだけど、ブリテンが現代ギターのために書いた曲だけあって、ギタリスト氏のギターの音色の妙とも相俟って、今回一番感動した曲だったんだワン。最後のダウランドのテーマを静かに聞き終えたあとで思ったことは、やっぱりもう一度初めから聴いてみたい、あるいは後ろから逆向きに聴いてみたいっていうことだったんだワン。なんだかミステリー映画(?)を見るような感じで、でも最初に曲の副題が明かされてたので、結末がわかった上で見るミステリーなんだけど、最後にダウランドの曲が聞こえてきたときは、来るとわかっていても、おいらの尻尾がビビッと震えるほどの感動だったんだワン。
バッハの演奏については、今回ちょっと複雑な心境で聴いてたんだワン。バッハの曲は基本的にどんな楽器で演奏してもOKなのかなって思うんけど(バッハの時代に音色へのこだわりがどの程度あったのか、おいら勉強したことないのでわからないんだけど)、やっぱり現代ギターのために書かれた曲ではないのでちょっと無理があるような気がしてしかたがないんだワン。て言うか、現代ギターの良さが生かされないばかりか欠点が耳について(速いパッセージの部分とか)聴いていてフラストレーションを感じてしまうんだワン。やっぱりバッハが想定した範囲内の楽器で演奏したもののほうがしっくりするんだワン。「スイッチト・オン・バッハ」とか「プレイ・バッハ(ジャック・ルーシエ)」とかは別の意味で面白いと思うんだワン。
最近なぜか偶然BWV997を耳にする機会が何度もあったんだワン。その中でブロックフレーテとチェロとチェンバロのトリオで演奏したものがおいらにはとってもしっくりとしたんだワン。
いろいろ勝手なこと吠えてしまったけど、とっても楽しめたコンサートだったんだワン。このギタリスト氏の演奏がまた聴けるといいなあと思ってるんだワン。企画してくれたmaestroにとっても感謝してるんだワン。 genta
バロックの楽器だとネイティブなのでのびのびと演奏することができます。というとバロックの楽器で演奏するほうがずっと楽みたいに聞こえますが、さにあらず。バロックの楽器は楽器自体の演奏、運用(リュートだったら調弦)がそもそも現代の楽器より難しいのです。
現代モダンギターの欠点は、必要以上の力みがあり、抑制がそもそも難しいのです。演奏者もよく意識できてないと、楽器をコントロールしてやるぞ的な力づくの演奏になってしまいます。そういう意味では、さすがは松尾さん、すばらしい演奏でした。
19世紀ギターは、演奏者が楽器に合わせて弾くという意識に近いのです。人間が無理くりコントロールしようとすると鳴らないですし。
あの小さなボディーに、どこからあのような奥行きのある音色が飛び出てくるのか、それはあるべき本来の姿に奏者が合わせた時に初めてなしえます。
リュートでさえもそう思えます。モダンリュートも、歴史的に忠実に製作されたものは、当時の本来の姿で弾かれた時に初めてその真価を発揮するのだと思います。
現在、二重フレットに総ガットで演奏する奏者があまりにも少ない現実を嘆きます。
バロック時代の音楽は、やはり歴史的であって欲しいと願います。
合理性と利便性のみで、当時の音楽が再現されても、やはりどこか納得がいかないのです。
私は、モダンオケや大ホールでの演奏会は好みませんが、今の世の中、本物の演奏を知らないまま、幼少時から大人になり、すっかり耳が大音量モダンミュージックの世界に慣らされてしまった人が多くなってしまったこと、またそのような風潮が持て囃され、貴重なオリジナル楽器が改造され、それを当然のごとくに使用している演奏者がいることにも。特に、バイオリン属。
現代に作曲されたモダン音楽をやる分には言うことはないのですが、少なくともバロック時代の音楽は、なんのフィルターもかけない素の音を聴きたいと思うのです。
贅沢な愚痴でしょうか。私はいろんな音楽を聴きますが、ことバロック時代の音楽にはうるさいのです。
この範疇の音楽は、コピー楽器でも、歴史的であって欲しい。
無理な注文でしょうか。
バロック音楽に合理的で、利便性は必要ない音楽だと思っていますが、バロックの精華、バッハのリュート組曲は譲歩せずに、歴史的に、全てのリュート演奏者に望みたい強いリクエストであります。
オール・ガットということばは魅力的な言葉ですが、バロック・リュートに関してはまだ少し無理があると言わざるを得ません。1年半くらい本番も含めて実践した結果です。
ダブル・フレットも一見理論的にはきれいに行きそうですが、実践的にはどうなんでしょうか。まだ議論の余地はありそうです。
バッハのリュート曲に関しては、バッハが自筆で「リュートのため」と書いたBWV995でさえ様々な議論、実践があり一筋縄ではいきません。
ことの進展にはもう少し時間が必要だと考えています。バロック・リュートの本格研究はまだ50年経っていません。まだまだ発展途上、ご期待のほどを。