地域にクリーンセンターを誘致しようと言う運動が起きているのを知ったのは最近のことだった。市が公募したのだという。たぶん合併債を使っての事業だろうし、現在の物はもう限界をむかえているだろうと、当時のいきさつを思い起こしながらその年月を指折り数えた。
新年になってからだったかしら、各戸に賛成か反対かの意思確認の用紙が配布され回収された。
突然そんな話を耳にした時は晴天の霹靂みたいでギョッとしたものだったが、日々出てくるゴミを考えると、すべて行政におんぶにだっこ、そして1枚10円の袋に入れて集積所においてくればお終いという虫のよさに、罪悪感を感じている身にとって、感情論だけで判断すべきではないとことを強く感じた。
公募したら、手を挙げたところが何ケ所かあったらしい。
今の日本の技術からすれば、ほぼ公害はクリアーしているのは確か。ただ車の台数が増えるだけだが、それも生活道路は通らないのだから。
「日本は環境力で勝つ」長谷川慶太郎著の3回目を読みながら、日本の技術力のすばらしさを知る。
海外のトヨタ・ホンダの膨大なるリコールの話を聞きながらも、逆にリコールできるということの力を信じることが出来る。・・・それだけ日本の物づくりには技術力があるのだと。
デフレ宣言なるものが、しばらく前に出された。長谷川氏デフレ時代だからこそ実現した省エネと書いている。経済の進化はデフレの産物にほかならないと。1873年から1896までの24年間のきわめて長期デフレ時代があった。大不況といわれた時代であるが、経済は実にものすごい勢いで量的拡大をしていたのだという。
デフレ時代の大前提として、大きな戦争がないこと。
ウン十年前の「社会学」の授業で今も覚えていることが2点ある。その一つ資本主義は戦争による破壊を繰り返す事により成長してきた。もう一つは・・・不買運動はしないこと。当時主婦連のおばちゃん達が白いエプロンに、大きなおしゃもじ持っていたのをおもいだすけど。
この講義を受けたのは、東京オリンピックも終わり、もはや戦後と言う言葉がきかれなくなった頃のこと、物をつくることが優先された時代だった。東京の街はかすんで見えた。柳町(だったかな)は車の排煙で1ブロック先もよく見えないとか言われて、私はわざわざ見に行った・・・・。川崎公害・小児ゼンソク等に海ではヘドロ等。
学生寮で初めての夜、月が赤かったのがよっぽど印象的だったらしく、当時の日記の冒頭に書いたはず。それだけ東京は汚染されていたのだ。
先日の香港で、それにしてもあの「100万ドルの夜景」が冴えない。不景気でネオンを減らしているのかしらとも考えたが、黄砂のせい?。ガイド氏に「黄砂のせい?」と聞いたら。「違います香港は海の中です」ときっぱり否定されたけど、海の中の日本にだって飛んできているんだから、それはないよねえ・・・。あんまりつっこまないことに。
30年前の日本だって、公害問題は二の次だった。かって一党独裁体制だった国々にとっては、今もその道筋は見えていない。
だから先日のコペンハーゲン合意は目指していた時点まで達することができなかったのは、それぞれの国の抱えている「公害」の大きさだろう。
そういえば途上国の削減目標は1月31日までが提出期限だったような・・・。
毎日、新聞を読む位でしか生きていない私にとって、今回の長谷川氏の本はすごいカルチャーショツクだった。今1度真剣に勉強してみたい・・・・自分の生きてきた時代が本当にどうであったのかを知りたいと。
清濁を併せ呑むようになれた私にとって、政権のお金を取り巻くこのところの話は、実にばからしく思える。・・・・そんなの自分達に都合のいい法律を作った結果のさらにの抜け穴じゃあないのよ・・・・もっと真剣にやるべきことがあるんじゃあないの・・・と一人心の中でぼやいているんだけどなー。
日本経済はたぶんこのデフレの中で、さらに技術の発展をするだろうけれど、雇用だけは守れるかどうか・・・・・かってあった日本式経営方式・・・血の濃さがあった時代から・・技術革新を目指した結果「ロボット」の出現を許したからか・・・・。
考えれば考えるほど・・・・むずかしい。次世代のことを考えると何ができるのだろうか。いつぞや「私たちの年金」をぼやいたら、「あなたたちを支える僕達が大変なのです」と言われて・・・・それ以来誠にそうなんだと私は謙虚に思うことにしている。
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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新年になってからだったかしら、各戸に賛成か反対かの意思確認の用紙が配布され回収された。
突然そんな話を耳にした時は晴天の霹靂みたいでギョッとしたものだったが、日々出てくるゴミを考えると、すべて行政におんぶにだっこ、そして1枚10円の袋に入れて集積所においてくればお終いという虫のよさに、罪悪感を感じている身にとって、感情論だけで判断すべきではないとことを強く感じた。
公募したら、手を挙げたところが何ケ所かあったらしい。
今の日本の技術からすれば、ほぼ公害はクリアーしているのは確か。ただ車の台数が増えるだけだが、それも生活道路は通らないのだから。
「日本は環境力で勝つ」長谷川慶太郎著の3回目を読みながら、日本の技術力のすばらしさを知る。
海外のトヨタ・ホンダの膨大なるリコールの話を聞きながらも、逆にリコールできるということの力を信じることが出来る。・・・それだけ日本の物づくりには技術力があるのだと。
デフレ宣言なるものが、しばらく前に出された。長谷川氏デフレ時代だからこそ実現した省エネと書いている。経済の進化はデフレの産物にほかならないと。1873年から1896までの24年間のきわめて長期デフレ時代があった。大不況といわれた時代であるが、経済は実にものすごい勢いで量的拡大をしていたのだという。
デフレ時代の大前提として、大きな戦争がないこと。
ウン十年前の「社会学」の授業で今も覚えていることが2点ある。その一つ資本主義は戦争による破壊を繰り返す事により成長してきた。もう一つは・・・不買運動はしないこと。当時主婦連のおばちゃん達が白いエプロンに、大きなおしゃもじ持っていたのをおもいだすけど。
この講義を受けたのは、東京オリンピックも終わり、もはや戦後と言う言葉がきかれなくなった頃のこと、物をつくることが優先された時代だった。東京の街はかすんで見えた。柳町(だったかな)は車の排煙で1ブロック先もよく見えないとか言われて、私はわざわざ見に行った・・・・。川崎公害・小児ゼンソク等に海ではヘドロ等。
学生寮で初めての夜、月が赤かったのがよっぽど印象的だったらしく、当時の日記の冒頭に書いたはず。それだけ東京は汚染されていたのだ。
先日の香港で、それにしてもあの「100万ドルの夜景」が冴えない。不景気でネオンを減らしているのかしらとも考えたが、黄砂のせい?。ガイド氏に「黄砂のせい?」と聞いたら。「違います香港は海の中です」ときっぱり否定されたけど、海の中の日本にだって飛んできているんだから、それはないよねえ・・・。あんまりつっこまないことに。
30年前の日本だって、公害問題は二の次だった。かって一党独裁体制だった国々にとっては、今もその道筋は見えていない。
だから先日のコペンハーゲン合意は目指していた時点まで達することができなかったのは、それぞれの国の抱えている「公害」の大きさだろう。
そういえば途上国の削減目標は1月31日までが提出期限だったような・・・。
毎日、新聞を読む位でしか生きていない私にとって、今回の長谷川氏の本はすごいカルチャーショツクだった。今1度真剣に勉強してみたい・・・・自分の生きてきた時代が本当にどうであったのかを知りたいと。
清濁を併せ呑むようになれた私にとって、政権のお金を取り巻くこのところの話は、実にばからしく思える。・・・・そんなの自分達に都合のいい法律を作った結果のさらにの抜け穴じゃあないのよ・・・・もっと真剣にやるべきことがあるんじゃあないの・・・と一人心の中でぼやいているんだけどなー。
日本経済はたぶんこのデフレの中で、さらに技術の発展をするだろうけれど、雇用だけは守れるかどうか・・・・・かってあった日本式経営方式・・・血の濃さがあった時代から・・技術革新を目指した結果「ロボット」の出現を許したからか・・・・。
考えれば考えるほど・・・・むずかしい。次世代のことを考えると何ができるのだろうか。いつぞや「私たちの年金」をぼやいたら、「あなたたちを支える僕達が大変なのです」と言われて・・・・それ以来誠にそうなんだと私は謙虚に思うことにしている。
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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