メディアは格差をつくる。

2011年01月23日 | 日々のこと
 朝早いのは苦手なのに、朝食後ゆっくりと新聞を読むのが何よりも楽しみ。炭のお炬燵のジワーとくる暖かさに包まれて、これが気持ちいいんだわ。

 で、毎朝遅刻寸前状態。

 最近なるほど、学者は誠にうまく分析するというのか表現するのかと感心したのが、1月17日付け信濃毎日新聞の月曜評論。佐藤卓巳先生、京大大学院准教授の「格差社会の100周年」回顧である。

 うまく要約できるかだが・・・・
 昨年は日韓併合100年・大逆事件100年・・・負の歴史というイメージが強かった。
 今年は「辛亥革命100年」が注目をあびている。これは中国現代史の幕開け。
 日本で言うと「関税自主権回復100年」だそうだ。不平等条約から解放された年から100年の節目であるらしい。そして管首相が元旦に発表した年頭所感で繰り返した言葉が「開国」なのだという。

 本年を、明治の開国、戦後の開国に続く、「平成の開国」元年にする。
つまり開国の象徴がТPP、つまり貿易自由化への舵きり・・・・つまり関税自主権回復の100年目にその放棄が表明されたということらしい。

 また今年は大正から数えて100年になるという。人生を1世紀に重ねれば大正時代は12歳から26歳の青年期に相当する。この時代は現代日本社会の基盤が形成された。

 例えば1911年に義務教育の就学率98%、通学率90%が達成され、この大正教育を受けた子供たちが成人した1920年代末に、新聞やラジオに初めて「マス」メディアとなった。ここに始まるメディア社会を私たちは生きているのだ。


ここからが私が特に感心したところ。

 メディアは自由と平等を約束するものではない。教育社会学者のマイケル・ヤングは古典的な名著「メラトクラシー」で「土壌は身分をつくり、機械は階級をつくる」と述べている。メディア論者の佐藤先生はそれにこう付け加えられた。

「メディアは格差をつくる」と。

 ここまで読んできて本当にギャフンとするほど、その指摘の的確さが胸をついたのだった。

 農耕が身分社会を、工業化が階級社会を生みだしたように、メディアは格差社会を現出させた。

 自由に利用できる情報の絶対量が増大しても、個人の処理能力には差異があり、知識化できる情報の格差は質・量ともに拡大する。この知識格差や行動様式にも大きな格差を生み出す、と。

 最後に20世紀における青春の課題は階級の経済的克服だったが、21世紀のそれは、知識格差の是正であるにちがいない。

 そう締めくくられたのである。

 走り始めている時代の中で、これを止めることもやめることもできない社会に身を置きながら・・・・ついていけるだろうか?と思ってしまう自分がいる。

                     依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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