水道は文化の母

2015年06月12日 | 日々のこと
私が会社に入った頃、毎年八千穂水源神社(正確ではありません)に寄付があったような気がするがいつ頃からなくなったのかしら。

 今年の3月の佐久水道新聞に興味ある記事が掲載されていました。

 「水道は文化の母」~豊かな文化生活の根源となる水道の恩恵を得て~  水道局の局長の茂木正文氏が書かれたものです。

 長いこと気にかかっていたことが腑に落ちたというところです。

 以下抜粋です。

 佐久平への水道の建設は、昭和27年、当の野沢保健所所長瀬下良一郎氏が、佐久地域に発生していた集団赤痢の脅威により、水道の必要性を唱えた活動から始まりました。

 国への要望から始まり関係町村を自転車で奔走した瀬下氏の熱意と執念が、10町村に同一歩調を取らせることができたと記録にあるそうです。

 大きな問題として、建設資金の調達と水源の確保があり、水源としては、群馬県堺から八ケ岳山頂付近まで水を探し求め交渉に臨むも話が付かず、当時、畑八村(旧八千穂村)の井出幸吉村長に斡旋をお願いしたところ、村内の水源(大石水源、千ケ日向水源)を無償で提供すると村長のご英断がありました。

 そして昭和31年に着工となり5ケ年にわたる敷設工事を施工し、この間に要した費用は3億5千万円、1日に7千㎥余を供給する水道が完成。

 水道の経営は独立採算が原則で、資金調達や料金に関しては当初から課題を抱えていました。

 近年国内では、将来継続していくことが困難とされる事業のひとつとして、水道もあげられ、その政策として官民連携が提案されています。

 人口減少社会を迎え様々な問題があります。子供や孫のために、佐久地域、東信地域が一体となり、もう一度広域的な視点から水道を守っていく連携の強化の必要性を感じています。

 以上抜粋終わり。

 蛇口をひねれば・・・・水が簡単に手に入る時代になったのも、本当にわずか前のことです。水道が無い時代の生活もかすかに覚えています。

 生地では水源があったから、物心つくようになった頃は水道でした。赤痢が流行ったのも記憶にあります。

 この八千穂が水源の話は聞いてはいましたが、こんな歴史があったなんて知りませんでした。

 ここ佐久平はこの八千穂水源と浅間山麓水源からの供給があり、カルシュウムの多い浅間山麓の水は住宅機器の寿命が短くなります。

 水源からの水で暮らせることは幸せだと思います。水道水以外の水を買うのに抵抗がなくなってきた時代ですが、この佐久はそんな必要もなく飲用できますもの。

 それにしても、この見えないインフラ、古い配管から漏水がばかになりません。この修理代が少子化の時代大変になっていくのですね。

 死に水の問題もあるのでしょうが、あまり表だって話題になることもありません。

 10数年前水道水関係の方が水の消費が落ちて収入が少ないというお話しがありました。経営の問題なのですね。その頃ペットボトルに水を入れてタンクの水量を抑えるということが流行った時代でしたが。

 水は大事に使いましょう、と言う話だと思っていただけにびっくりしたのですが、維持管理する立場だとそうなるのだと今では理解できます。

 世界もこれからは資源よりも水になるでしょう。先日カルフォルニアが水不足という報道を見ました。

 この地球新たな悩みと水の争奪が始まるかもしれません。

 日本の山を買うのは水源のためという話もまんざらではない時代がきているのかもしれません。

 海水を真水に変えるノウハウを持つ日本の企業の話も聞きました。

 やつぱり水は大切に使いましょう!!

                                              依田美恵子

軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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