平尾山の中の秋葉山の山城遺跡に昇ったのは、先週の土曜日でした。
1600年以前の戦国時代になって、山城が必要になったのですね。
敵が攻めにくいようになっているので急峻な場所です。
自然石を利用しているのですが、人の手もかなりかかっています。
機械もない時代、苦労が偲ばれます。
頂上には、平成26年の小学校4年生が作ったベニヤ板の看板がありました。
「ここには昔にげてくるために作った『平尾城』というお城がありました」・・・・・原文どおり
当然今は建築物はありません。かろうじて束石にしただろう石が幾つか見えました。
逃げてくるため・・・・・この言葉ねえ。
武田信玄が攻めて時、近くのお城は攻め落とされ、殺されたり、売られたりしたのです。
そこの地へ行くと、「首塚」がありますし、5月のお節句にも旗をあげないと言われています・・・・・男子がいるとわかってしまうからと。
幸い我が地の城主は負けたことがなかったとのことで、ご先祖様はその憂き目にあっていないらしい。
先日たくさんの資料をいただいて来たのです。
案内をしてくださった方が、この資料は長い間に調査してきた結果得られたもので、簡単に集められたものではない、と話されました。
確かにそう思います。
本当によく調べられていました。
私たち、学校で習う歴史は世界の文明から入り、日本史もはるか昔をずいぶん時間をかけて勉強しました。
大人になって思いました、郷土の歴史を学ぶ機会が無かったと。
歴史小説を読むようになって、少しずついろんなことが繋がっていきましたが、系統たって学機会はそうはありません。
今回の資料とても貴重です。
山城をアップするのは、じっくり読み込んでからにしようと思っています。
山登りには縁のなかった私です。
けっして楽ではありませんでした。
途中、ロープを使わなければ下りれない場所もあったり、道なき道を通ったりと・・・・・・下りるだけだと思ったら、帰りまた昇らなくてはならず。
曲輪だ空堀だの連続を登ったり下りたり。
下山したら、案内人の方が「いつも歩いているのですか」と。「いいえ」「普段歩いている方でないと歩けないですよ」と。
ハイ、とっても褒めていただきましたよ。
そして筋肉痛がいつ出てくるかと、戦々恐々としていたら、4日経ってもなんともないの。
エライでしょう。
お読みいただきありがとうございました。
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