院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

PTSD概念の胡乱(うろん)さ

2011-03-29 06:58:01 | Weblog
 このたびの震災と福島原発の問題が一段落したら、PTSD(外傷後ストレス障害)の文字がメディアを賑わすだろうことを考えると、気が重くなる。

 実はPTSDは純粋な疾病概念ではないからである。

 アメリカ精神医学協会が1985年、公式にDSM-Ⅲ(精神疾患の診断統計マニュアル第3版)を出した。アメリカは当時、無気力状態になっているベトナム帰還兵をどういう名目で補償するか困っていた。

 ベトナム帰還兵に補償を与えようとする政治的圧力が、DSM-ⅢにPTSDを潜りこませることに成功した。晴れてPTSDは補償の対象となった。

 その後、PTSDは当時のフェニミズムの風潮もあって、レイプ被害者にも生じるとされ、児童虐待などあらゆる心的外傷(トラウマ)がPTSDの「原因」となると理解されるようになった。その旗振り役の1人がJ.ハーマンで、彼女は『心的外傷と回復』(みすず書房)を著し、何かの賞をもらった。

 アメリカでは、幼少期のまだ記憶が定かではないころの「トラウマ」さえPTSDの「原因」となるとされ、そのため、なんと子供が親を訴えるという事件が続出した。その親たちは虐待したことなぞないので、驚いた。後になって、当該の子供たちは精神分析医などの「専門家」によって、幼少時に虐待を受けたと思い込まされていることが判明した。

 このようにPTSDは数奇な運命をたどり、人類学者A.ヤングは、PTSDがどのようにして「作られて」来たのかを解明し、『PTSDの医療人類学』(みすず書房)を書いて、これも何かの賞を受賞した。

 一方、DSM-Ⅲは改訂改定され、DSM-Ⅳが出されたけれども、PTSDは温存されている。そもそもDSMは、我が国で評判が悪いマニュアルだった。DSMが採用した操作的診断基準は浅はかで、この基準にのっとれば素人でも診断ができてしまう(と錯覚する)ようなシロモノである。DSMはマニュアルの厚さに比べて、極めて薄い内容しかもっていない。

 今回紹介した書物は、阪神淡路大震災を体験した神戸大学精神科教授・中井久夫氏(現名誉教授)が翻訳のすべて、あるいは大部分にかかわっている。当時の神戸の知識人が身につまされて選んだ書物だから読み応えがあるし、翻訳にも力がはいっている。