最近ある患者さんがカウセリングに行ってきた。60分ほどで1万円くらいだったという。そのカウンセラーは国や大学の資格をもっているという。だが、待ってほしい。カウセラーに国や大学の資格なぞない。あるのは、財団法人が認める臨床心理士だけだ。他に金儲けの会社が出している「資格のようなもの」がある。
それはさておき、その患者さんはカウンセリングが役に立ったという。1時間ほど話をして、「あなたは目標が高すぎるのではないですか?もっと身の丈に合った考え方をしたらどうですか?」とアドバイスを受けた。患者さんは「そうかもしれない」と思ったそうだ。
だが、これと同じことを占い師が言ったらどうだろう。そこそこの金を支払って水晶玉の前で「あなたは目標が高すぎる・・云々・・」といわれたら、カウセリングと同等の効果があるのではないか?
このように、カウンセリングと占いの間の境界線はあいまいである。カウセラーもそれなりの教育を受けている。でも、占い師もそうとうに修行しなければ、一人前になれないだろう。
実を言うと、同じことが医療にも言える。白衣を着た人に「この薬を飲むと、これこれこういうふうに気分が改善されます」と言われると、本当にそうなるのである。たとえ「薬」が小麦粉を丸めたものであっても、である。昔からこれを、プラセボー効果といって、医療界ではよく知られた事実である。
それはさておき、その患者さんはカウンセリングが役に立ったという。1時間ほど話をして、「あなたは目標が高すぎるのではないですか?もっと身の丈に合った考え方をしたらどうですか?」とアドバイスを受けた。患者さんは「そうかもしれない」と思ったそうだ。
だが、これと同じことを占い師が言ったらどうだろう。そこそこの金を支払って水晶玉の前で「あなたは目標が高すぎる・・云々・・」といわれたら、カウセリングと同等の効果があるのではないか?
このように、カウンセリングと占いの間の境界線はあいまいである。カウセラーもそれなりの教育を受けている。でも、占い師もそうとうに修行しなければ、一人前になれないだろう。
実を言うと、同じことが医療にも言える。白衣を着た人に「この薬を飲むと、これこれこういうふうに気分が改善されます」と言われると、本当にそうなるのである。たとえ「薬」が小麦粉を丸めたものであっても、である。昔からこれを、プラセボー効果といって、医療界ではよく知られた事実である。