(サッカーキングHPより引用。)
テレビ番組「なんでも鑑定団」を見ていると、スポーツ選手のサインが高値で取引されていることが分かる。愛好家には有名選手のサインはたいへん価値があるらしい。アメリカではサインビジネスというのがあって、業者が用意した色紙に有名選手が流れ作業のようにサインをして謝礼をもらうことがあるという。
私はプロスポーツを見ないし、たとえ王、長嶋、ベーブルースクラスの有名選手であっても、彼らのサインを買おうとは思わないから、私にとってサインは猫に小判であるが・・。
そこで考える。サイン愛好家にとってサインはお金のようなものである。だからサイン好きの建築家に設計料を支払うのに、サインを何枚も与えればそれで取り引きが成立するのではないか?その建築家はもらったサインを別のサイン愛好家の八百屋に譲って、野菜や果物に変えられるのではないか?
そこで思いつくのは、ビットコインとはビットコイン愛好家の間だけで通用する通貨ではなかろうか?だからみんながビットコインに魅力を感じなくなると、サインと同様に価値がなくなる。愛好によって支えられている価値ならば、サインでなくて美術品でもよい。むかしは貨幣の代わりに米が使われた。
さらに突き詰めると、ビットコインでもサインでも美術品でも米でもなくて、そもそも普通のお金でよいではないかと、話は元に戻ってしまう。価値とは愛好と信用でできている言い切ってもよいか、経済学に詳しい人に教えてもらいたい。
銀行の金庫がものすごく分厚いのはおそらく実用のためではない。実はその必要以上の頑丈さを大衆に見せることによって、自らの信用を増そうとしているのではないか?要するに銀行の金庫はプロパガンダ用の見世物なのではないか?