院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

続・小保方さんの学位剥奪の噂に寄せて

2014-03-30 22:07:10 | 教育
 この欄で2週間ほど前から、小保方さんの学位を剥奪する前に大学院側の学位授与権を剥奪すべきだと述べた。その主張はどうも正しいらしい。

 同時に、やはり医学博士号がもっともやさしい学位であることも、だんだん分かってきた。だが、少なくとも医学博士の学位論文でコピペや無意味な文献欄はありえないから、(そのような不備があってももらえる)工学博士号もやさしいのではないかと思ったが、小保方さんの学位論文は例外のようである。

 友人の国立大学工学部教授のY君によれば、教授会での学位審査のときに審査の対象となる「物証」は、主査と副査が連名で書いたアブストラクトだけなのだそうだ。100人もいる教授連が学位論文を直接読むわけではない。

 だから、指導教授はアブストラクトを書くのに細心の注意を払う。その大学院生の研究過程やこれまで書いてきた院生の論文の有用性を正確に書いてA4用紙にまとめる。そのアブストラクトが教授会の学位審査に架けられ、テニヲハの間違いまで指摘されるほど徹底的に教授陣に読みこまれ、まんいち不採択になったら、指導教授は辞職モノなんだそうである。

 やはり日本の学位もアメリカやドイツ並みに難しいことが分かった。だから、小保方さんの学位論文が教授会を通ってしまったということは、とりもなおさず教授会(または指導教授)の責任であって、教授会に学位授与の資格がないという私の主張はあながち暴論でもないようである。

(上記のアブストラクトは最終的に文科省に提出され印刷される。私の場合、アブストラクトはなんと自分で書いて出した。これだけ見ても医学博士号がいかに軽いものかがわかるだろう。また、他の理系学部では学位論文はジャーナル(学術雑誌)に載せる論文とは別で、重厚に表装して金文字を付けて国立国会図書館に納められるのだそうだ。ジャーナルの査読に通るかどうかは無関係だという。私の学位論文は表装なぞしなかった。あるのはジャーナルから発行されたペラペラの別刷だけである。)

人前で踊ったり歌ったりできる人、できない人

2014-03-30 06:14:46 | 心理

(YOSAKOI ソーラン祭り。Wikipedia より。)

 いまは中学校の体育でダンスを教えるくらいだから、若い人には人前で踊ることに抵抗のない人も多いだろう。だが、私が子供のころは違った。私自身のことを言えば、小学校の4年生くらいになると、もう地域の盆踊りにさえ参加するのがイヤだった。

 現在でもカラオケができる人とできない人がいる。できない人は技術以前に恥ずかしくてできないのだ。私はシラフではカラオケができない。酔えばできる。踊りは酔ってもできない。

 私より年上の人には、両方ともできない人が多い。若い人にはできる人が多い。人前で踊ったり歌ったりするのが好きな人と、絶対にできない人に人間を2分できるかもしれない。

 むかし、硬派軟派という言い方があった。この2分法と、人前で歌や踊りができるできないという2分法は、完全に同じではないが、けっこう重なる部分が多いような気がする。

(心理学用語を使えば「退行」(赤ちゃん返り)ができるかできないかとも表現できる。「退行」ができる人のほうが「大人」だったりする。)