漱石と鴎外は、明治の新時代に入ってからの世相にちょうどマッチした人物なのではないか?小説家として偉大だったかは、私は疑問に思っている。
二人とも東京帝国大学出身の大秀才で、洋行もしている。そのころ日本は「おしん」の時代である。彼らは赫々たる経歴から、一般大衆にとっては雲の上の人である。そこに、いろんなエピソードがくっついて、ヒーローに祭り上げられたのではないか?
彼らの後の世代、つまり大正生まれの大衆には、彼らはもう神様のような存在だった。彼らを批判することなぞ、思いつきもしなかったのではないか?大正生まれの父親は、私に漱石を読めと薦めた。
読んだが「坊ちゃん」以外はちっとも面白くない。中学生のとき私は父親に「お父さんは、ほんとうに漱石が面白いと思うの?」と問うた。父親は正直にも「実は、面白くない」と白状したことは、いつぞや書いた。鴎外も面白くなかったが、父親に薦められたわけではなかったので、父親が鴎外の作品をどう思っていたのかは分からない。
つまり、漱石と鴎外は、大衆が膨らませてしまった虚像ではないのか?もっとも友人に漱石好きが二人いる。二人とも社会的業績が著しい畏友である。だから、私の感度が鈍いのかとも思うが、小説は娯楽だから、面白くない小説は読まないという結論になる。
二人とも東京帝国大学出身の大秀才で、洋行もしている。そのころ日本は「おしん」の時代である。彼らは赫々たる経歴から、一般大衆にとっては雲の上の人である。そこに、いろんなエピソードがくっついて、ヒーローに祭り上げられたのではないか?
彼らの後の世代、つまり大正生まれの大衆には、彼らはもう神様のような存在だった。彼らを批判することなぞ、思いつきもしなかったのではないか?大正生まれの父親は、私に漱石を読めと薦めた。
読んだが「坊ちゃん」以外はちっとも面白くない。中学生のとき私は父親に「お父さんは、ほんとうに漱石が面白いと思うの?」と問うた。父親は正直にも「実は、面白くない」と白状したことは、いつぞや書いた。鴎外も面白くなかったが、父親に薦められたわけではなかったので、父親が鴎外の作品をどう思っていたのかは分からない。
つまり、漱石と鴎外は、大衆が膨らませてしまった虚像ではないのか?もっとも友人に漱石好きが二人いる。二人とも社会的業績が著しい畏友である。だから、私の感度が鈍いのかとも思うが、小説は娯楽だから、面白くない小説は読まないという結論になる。