(nature publishing groupe より引用。)
論文を投稿したことがある人なら知っていることだが、レフェリー(査読者)からの返事には3通りある。不採用と条件付き採用と無条件採用である。無条件採用は、よほど格の低い雑誌でなければ、ふつうはない。
レフェリーは頭が下がるほどに投稿論文を読みこんでくれる。そして、ほんのわずかな矛盾でも見つけ出して指摘する。レフェリーは無償でそれをやる。私はレフェリーから返事をもらうたびに、いつも感謝していた。レフェリーはケチを付けるだけが仕事ではない。論文に少しでも見るべき点があれば、そこを伸ばすようにアドバイスをくれる。
レフェリーはいつも、この論文をこれまでの常識と合わないという理由で不採用にしたら、ノーベル賞級の発見をボツにしてしまうかもしれない、という不安をもっているそうだ。
レフェリーは論文の内容を自分で追試するわけではない。だから、新規性と説得力がある論文は取りあえず掲載して、再現性の証明は他の多くの研究者に任せる。その結果、再現性のない論文は闇へと消えていく。そのような論文は山ほどあるのだ。雑誌に掲載されるとは、そういうことである。その点についてはすでに指摘しておいた。(2014-01-31)
このたびのSTAP細胞の論文も、闇へ消えていく論文の一つだったに過ぎず、別に珍しいことでもなんでもない。小保方さんや理研の人たちに悪気なんて全然ない。大きく取り上げておいて、間違いだと分かると袋叩きにするのがマスコミのいやらしいところだ。
追試で再現性が認められないとバレるのが前もって分かっているのに、論文を投稿するバカはいない。自分のところでは確かに結果が出たから、しつこく再投稿したのだ。小保方さんや理研を責めてはならない。
論文が雑誌に掲載されることがゴールなのではない。これから歴史の風雪に堪えていけるかどうかが試されるスタート地点に立っただけなのだ。