院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

諸子百家、古代ギリシャ以来、学問は進歩していない

2012-10-19 05:43:18 | 学術
 学問に進歩はないと言ったら不思議に思われるだろうか?実はすべての思想は諸子百家、古代ギリシャでもう尽きていると言うと、妙に思われる人が多いだろう。

 人間は月にまで行けるようになったし、火星に探査機を送れるようになった。昔はそんなことはできなかった。だから学問は進歩していると、ほとんどの人が考えるだろう。

 学問に進歩がないと言ったら、iPS細胞による細胞のリセットを進歩と言わずに何と呼ぶのか怪しむ方が圧倒的だろう。

 ここで「学問」の定義が問題となる。「学問」とはものの考え方のことである。もっと言えば、倫理や論理や考え方の枠組みのことである。

 現在の考え方の枠組みは、すでに古代ギリシャに始まっている。倫理も諸子百家ですべて語られている。

 では、何が進歩したのだろうか?それはテクノロジーである。すなわち技術である。これらは、学問のようであって実はそうではないというのが私の主張である。

 テクノロジーは積み重ねてずいぶん進歩した。しかし、テクノロジーを支える基本的な思想は4000年前にすでに完成していると言いたいのである。

 学問とテクノロジーを混同している向きが多いので、持論を述べてみた。

「うちのお父さん」て誰?

2012-10-18 00:10:21 | 日本語
 子持ちの女性が夫のことを「うちのお父さん」と呼ぶことがある。それはそれで意味は十分に通じる。

 しかし、その女性が結婚しているか、子持ちであるかといった情報を当方が知らないのに「うちのお父さん」と言う人がいる。そのような場合、当方はかなり頭を巡らさなくてはならない。「うちのお父さん」が「私の父親」を意味することもあるからだ。

 二世帯が同居しているときには、「うちのお父さん」と言われると、誰のことを指しているのか聞きなおさなければ分からない。

 東京では自分の夫を、昔は「連れあい」と呼んだ。「亭主」とか下品だが「宿六」と呼ぶこともあった。男性の場合は妻を単に「妻」と呼んだり「家内」、「細君」、「山ノ神」と相手によって呼び名が変わった。

 最近のことだが妻のことを「嫁さん」あるいは単に「嫁」と呼ぶことがある。これには流石に違和感がある。「嫁」とは、息子の親が息子の妻を呼ぶ呼び名である。それでも、このごろは親でさえ「嫁」という言葉を使わなくなった。なんだか「もらいもの」のような感じがするからだ。

 自分の配偶者の呼び名は難しい。相手によって変えなければならない。こうした紆余曲折を経て、「うちのお父さん」に落ち着いたのだろうか?でも、それさえ相手を選ぶだろう。カミシモを着けた付き合いの場合「うちのお父さん」は、ふさわしくないと思うが、どうか?

やさしい楽器?

2012-10-17 06:01:04 | 音楽
昔、楽器を少しいじっていた関係で、「もっともやさしい楽器はなんですか?」と問われることがある。

 答えを最初に言ってしまうと、「やさしい楽器なんてない」ということになる。

 楽器への入りやすさから言えば、すぐ音が出ることだろう。ピアノは誰が叩いても音が出る。その意味では、やさしい楽器だが、ピアノをやさしいという人がいるだろうか?

 管楽器はまず音を出すことから始めなくてはならない。音、それも美しい音を出せるようになるには、年単位がかかる。自転車に乗れるようになるよりは難しい。

 一流の奏者になると、自分だけの音というか「声」をもっている。だから、音を聴いただけで、それが誰だか分かる。こうなると神業である。

 だが、叩けば音が出るピアノも実は同じなのだ。奏者によってなんと音色が違うのである。

 それでは、ハーモニカはどうか?これは昔の庶民の楽器だった。しかし、ハーモニカも極めるとなると難しい。昔、いくつものハーモニカを持って曲芸のように吹く芸人がいた。

 最初に音が出しやすい楽器もそうでない楽器も、その楽器でできる最高難度の技をもつ人がいる。だから、どんな楽器も頂点は同じである。

 要するに、やさしい楽器なんてないのである。

便臭による家族の絆

2012-10-16 05:36:41 | 生活
 甘い恋愛時代を経て結婚する。同居すればトイレが同じになる。結果、相手の便臭を知るようになる。

 子供が生まれれば、おむつの取り替えだ。ここでも、否応なく便臭を嗅ぐことになる。

 昔はぼっとん便所だったから、なおさらだ。家族は便臭に支配されるようなる。こうして家族は便臭によって固く結ばれるようになる。

 「家族は便臭によって結ばれる」ことを最初に指摘したのは、安倍公房である。大学生の私はうなった。その記事は安倍公房の「砂漠の思想」というエッセイ集で読んだ。

 この本は未だに私の座右の書である。私の文体もこの書物から学んだ。良い本に出会うとは、こういうことである。

新幹線の車内販売

2012-10-15 00:45:20 | 生活
 郵政が民営化されたが、どこが良くなったのか分からない。当然やると思っていた日曜配達をしない。これでは、宅配便に勝てっこないだろう。

 「私信」も独占している。「私信」は「民」が配達してはいけないというのだが、理由が分からない。その手紙が「私信」であるかどうかは、出す人が決めるのであって、郵政に決めてもらいたくない。

 一方、国鉄は民営化されて、ものすごく改善された。昔の窓口応対はひどかったが、今は普通のサービス業である。

 いろいろ改善された点はあるのだろうが、目立つので取り上げるが、新幹線の車内販売の女の子が格段に良くなった。いつも笑顔で、客への応対がちゃんとしている。そして、美人が多い。絶対にルックスによる採用をしている。

 言っては悪いが、昔の女の子はお世辞にも美形とは言えなかった。その女の子たちももう年老いて、かつてを知らない女の子たちが車内販売に応募するのだろう。新幹線の車内販売の社会的地位が上がったのだ。

 今の新幹線の車内販売の女の子は、スチュワーデスになってもおかしくない娘がたくさんいる。誇りがあるから客への応対も良いのだろう。航空機よりも圧倒的に新幹線に乗ることが多い私には、たいへん喜ばしいことである。

カウンセラーと占い師

2012-10-14 04:51:16 | 心理
 最近ある患者さんがカウセリングに行ってきた。60分ほどで1万円くらいだったという。そのカウンセラーは国や大学の資格をもっているという。だが、待ってほしい。カウセラーに国や大学の資格なぞない。あるのは、財団法人が認める臨床心理士だけだ。他に金儲けの会社が出している「資格のようなもの」がある。

 それはさておき、その患者さんはカウンセリングが役に立ったという。1時間ほど話をして、「あなたは目標が高すぎるのではないですか?もっと身の丈に合った考え方をしたらどうですか?」とアドバイスを受けた。患者さんは「そうかもしれない」と思ったそうだ。

 だが、これと同じことを占い師が言ったらどうだろう。そこそこの金を支払って水晶玉の前で「あなたは目標が高すぎる・・云々・・」といわれたら、カウセリングと同等の効果があるのではないか?

 このように、カウンセリングと占いの間の境界線はあいまいである。カウセラーもそれなりの教育を受けている。でも、占い師もそうとうに修行しなければ、一人前になれないだろう。

 実を言うと、同じことが医療にも言える。白衣を着た人に「この薬を飲むと、これこれこういうふうに気分が改善されます」と言われると、本当にそうなるのである。たとえ「薬」が小麦粉を丸めたものであっても、である。昔からこれを、プラセボー効果といって、医療界ではよく知られた事実である。

「えーと」や「あのぉ」

2012-10-13 05:39:57 | 日本語
 考えながらしゃべるとき、私は「えーと」や「あのぉ」を頻発させる。小さいときにはその癖を注意されたこともあった。だが、ちょっと考えなくてはしゃべれないことが、一般的には多いのではあるまいか?そのときに必要な「えーと」や「あのぉ」である。

 最近の50歳以下の人たちがしゃべるのを見ていると、「えーと」や「あのぉ」が極めて少ないことに感心させられる。

 だが、そのかわりに語尾を延ばす。「私はぁ」「だからぁ」という具合だ。聞き苦しいことおびただしいが、この語尾延ばしのおかげで「えーと」「あのぉ」が少なくなったのではないか?語尾を延ばしている間に、次に言うことを考えているのである。

 「えーと」も使わず、語尾延ばしも使わずにしゃべれるのは、橋下さんのような話し上手や、アナウンサーだけだと思うが、どうか?

つま楊枝と竹ひご

2012-10-12 06:29:35 | 技術
 食事のあと、つまようじを使いながら、「こんなに細かい割には儲かりそうもない製品を誰が作ったのだろうか?」と思うことがある。

 10本で1円もしないのではなかろうか?それでいて丈夫で、切っ先は鋭く削ってある。1本10円くらいでも高くないと思う。

 つまようじは大阪府河内長野市の地場産業で、この地で作られるつまようじがシェアのほぼ100%だそうである。機械で高速に作れば、それなりに食べていけるのだろう。

 幼少のころ模型飛行機を作りながら、竹ひごは誰が作っているのだろうと考えたことがあった。竹を直径2ミリくらいの丸い棒にするのは、たいへんなことだろう。しかも、模型飛行機の翼の湾曲は火であぶって整形されている。(焦げ目が付いていた。)

 竹ひごどうしを繋ぐアルミニウム管が模型飛行機キットには付いていた。これをニューム管といった。これまた微細な加工で、竹ひごがちょうど納まるくらいの太さだった。どういう人がこんな管を作っているのだろうと思った。

 竹ひごは、竹細工に使用される。だから、工芸品になることもあるし、展覧会に出品されるほどの精緻な竹細工もある。模型飛行機の竹ひごは、そこから得られたものなのだろう。特産地は大分県である。別府の竹細工は有名である。

 竹ひごは模型飛行機に使用されると安いが、同じようなものがイサムノグチの提灯のような照明器具にも使用されている。イサムノグチの提灯は一個一万円である。同じ竹ひごでも、一方は子供の模型飛行機になり、一方はイサムノグチの作品となる。

 両者の値段の違いがどうしても胸に落ちない私である。

 模型飛行機 イサムノグチの作品

漫画「ヘルプマン」の方針変更

2012-10-11 06:03:36 | 漫画
 くさか里樹の漫画「ヘルプマン」は、山崎豊子の小説「恍惚の人」に匹敵する優れた社会派漫画である。

 主人公の恩田百太郎は勉強はからっきし駄目だが、こと老人介護に対する熱意がものすごい。一方、相手役の神崎仁は百太郎の親友で、怜悧な頭をもっている。

 最初の設定では、百太郎がいつまでも地べたで介護を行なっていくのに対して、神崎は頭脳を使って老人介護の仕組みを巧みに利用し、経済的にのし上がっていくように描かれている。

 その設定が途中から変わってくる。神崎のほうも損得抜きで老人介護に熱意を燃やすようになるのだ。

 この方針転換は成功した。神崎が金儲けだけに走ったら、この漫画はこれほどには面白くはならなかっただろう。

 この漫画は老人介護のもつ問題点を鋭くえぐり出している。高校でもこの漫画を読むように奨励されているらしい。学校が漫画を薦める時代になったのだ。

 2011年、この漫画は日本漫画家大賞を受賞した。今、第20巻まで出ている。一読をお薦めしたい。

落語はテレビよりラジオ

2012-10-10 04:41:15 | 芸能
 私が幼少のころテレビはまだあまり普及しておらず、もっぱらラジオを聴いていた。

 「二十の扉」や「話の泉」は、私がまだ幼なすぎて意味が半分ほどしか分からなかった。それより後の「とんち教室」は面白かった。

 ラジオでは漫才、落語、浪曲をよくやっていた。私は落語と浪曲が好きだった。落語は先代の金馬、円生、文楽が好きだった。先代の三平はテレビ時代の子で、まだデビューして間もなかった。しん生はすでに言語障害があり、何を言っているのか分からなかった。

 浪曲は広沢虎蔵と玉川勝太郎を好んだ。漫才は好きではなかった。夢路いとし君こいしなんて、面白くも何ともなかった。彼らがなぜ大師匠のように言われるのか、未だに分からない。

 やがて、落語をテレビでやるようになった。テレビなら噺家の所作も分かる。それなのに、テレビでやる落語はラジオのそれよりも面白くないのだ。これには少々驚いた。同世代の方々には同じ体験をされた方も多いのではなかろうか?

 落語はテレビよりもラジオで聴いたほうが面白い。今日言いたいことのキモはこれである。

ビールの味

2012-10-09 03:49:01 | 食べ物
 私が幼少のころビールといえばキリンだった。アサヒ、サッポロは亜流だった。当時はキリンがブランドだった。だから、値段が同じなら圧倒的にキリンで、シェアもキリンがダントツだった。

 長じてビールを飲むようになり、よくよく味わったが、キリン、アサヒ、サッポロの違いがやはり分からなかった。こうして、皆ビールをブランドで選んでいることがはっきりした。(「モルツ」などのドイツビールはまた別で、これははっきりと味が違う。)

 30年ほど前、アサヒがスーパードライを発売した。これが爆発的にヒットした。しかし私には、どこがこれまでのビールよりおいしいのか分からなかった。漫画「美味しんぼ」の作者は登場人物に「金属の匙をしゃぶったときの味がする」と言わしめた。むろん、そのセリフには批判が込められていた。

 おりしも、キリンが中瓶(500ml)を発売したころだった。中瓶は料理屋で重宝された。なぜかというと、中瓶なのに大瓶の値段を取れたからである。大瓶を置かず、中瓶だけしか置いていない店も出てきた。こうしたあざとさにより、キリンが人気を失なってきたところにスーパードライがヒットして、キリンは大いにシェアを落とした。もともと味の違いがないのだから、ムードで売り上げが左右されたのだ。

 最近ノンアルコールビールが売り上げを伸ばしている。これも各社の味の違いが私には分からない。それより、そもそも本物のビールとの違いが分からない

 私が味音痴だといってしまえば、そうなのかも知れないが、上の話に同意してくださる方も多いのではなかろうか?

親の振る舞い

2012-10-08 05:51:46 | 教育
 ある自然現象なり他の動物が安全か危険かを知るのはほとんど本能による。

 しかし、まれには親の教育によるものもある。つまり、親が恐がるものを子供は恐がる。これは人間に顕著な特徴である。

 親がゴキブリを恐がると子供も恐がるようになって、ゴキブリはひどく有害な昆虫ではないにもかかわらず、あまねく恐がられている。その結果、ゴキブリホイホイが商品として売れるまでになる。

 恐がる対象が文化によって異なることがある。アルゼンチンではゴキブリの油いためを食べるから、アルゼンチンの子供はゴキブリを恐がらないだろう。

 私はジェットコースターが恐い。あんなに恐いものに、お金を支払って喜ぶ人がいるのが不思議である。その大元は親である。親がジェットコースターを恐がったから、私はジェットコースターに乗ったことがない。

 こういう現象に対して「子は親の鏡」という諺を使うのは不適切だろうか

デパートのサービス

2012-10-07 05:15:14 | 経済
 高校生のころは東京に住んでいた。ある日、デパートで三つ四つの買い物をして荷物をかかえて歩いていた。そうしたら「お客様?」と呼び止められた。ブースに座っていた案内嬢だ。

 案内嬢は大きな手提げ袋を取り出して、「これにお入れください」と言った。両手がふさがっていたのが片手で済むようになって楽になった。案内嬢はこんなサービスもするのだなと分かって流石だと思った。

 大学生になって名古屋に住むようになった。同じくデパートでいくつかの買い物をしたので、案内嬢のところへ行って「袋をください」と申し出た。そうしたらその案内嬢は「なんでそんなことを私に言うの?」とばかりに「売り場でもらってください」と言うのだ。いかにも迷惑そうだった。

 サービスのこの彼我の差。名古屋は田舎だなぁと思った。そのデパートはオリエンタル中村と言ったが、やがて潰れてしまった。

 15年前から新幹線で名古屋から2駅の豊橋に引っ越した。名古屋に較べればさらに田舎である。東京在住の娘が遊びに来て当地のデパートへ行った。そうしたら、こう言うのである。「あのような店員ではとても東京では勤まらないわ」。そのデパートも潰れそうである。

 デパートというものは、どうも地方へ行くほどサービスが悪くなるようである。激戦の東京に較べて競争が少ないからだろうという結論に落ち着いた。

処女懐胎

2012-10-06 03:37:01 | 技術
 iPS細胞から卵子も精子も造れるようになったらしい。マウスのクローンも成功している。

 ということは人間に適用されるのは時間の問題である。(これまで、開発された技術で人間に適用されなかった技術はない。原爆も適用された。)

 処女懐胎も可能になる。聖母マリアみたいだから、この技術をキリスト教は批判できるのだろうか?

 女性が自分の皮膚細胞で卵子と精子を作って妊娠した場合、親とまったく同じ子ができる。しかし、ミトコンドリアはどうなのだろうか?ミトコンドリアは減数分裂しないから、なんとなく子のミトコンドリアのゲノムが2倍になってしまうような気がする。それでも大丈夫なのだろうか?

 この辺のことになると、素人の私には分らない。誰かに聞こうとしても、専門家にしか分らない領域である。

報道ステーションのオープニング・ピアノ

2012-10-05 03:54:03 | 音楽
 古舘一郎さんのニュース番組「報道ステーション」の始まりのピアノは上手い。ピアニストはだれだろうか?曲の初めに4小節ほど転調する。何度も転調するとくどくなるから、転調は一回だけにしてある。

 報道ステーションのピアノ演奏
 上のような録画が Youtube にあるくらいだから、相当に注目されているのだろう。

 この演奏の前は、女子高校生が吹くアルトサックスだった。女子高生のジャズサックスが珍しく、彼女の演奏を流していた。しかし、高校のブラスバンド並みの演奏で、お世辞にも上手いとは言えなかった。

 その女子高生はマスコミで騒がれたから勘違いしたのだろうが、ジュリアード音楽院に留学したいと言っていた。もう行っているのだろうか?だとしたら同音楽院の劣等生だろう。そもそも、入れてはくれないと思うが、もしかしたら今頃同音楽院に行っているかもしれない。