学問に進歩はないと言ったら不思議に思われるだろうか?実はすべての思想は諸子百家、古代ギリシャでもう尽きていると言うと、妙に思われる人が多いだろう。
人間は月にまで行けるようになったし、火星に探査機を送れるようになった。昔はそんなことはできなかった。だから学問は進歩していると、ほとんどの人が考えるだろう。
学問に進歩がないと言ったら、iPS細胞による細胞のリセットを進歩と言わずに何と呼ぶのか怪しむ方が圧倒的だろう。
ここで「学問」の定義が問題となる。「学問」とはものの考え方のことである。もっと言えば、倫理や論理や考え方の枠組みのことである。
現在の考え方の枠組みは、すでに古代ギリシャに始まっている。倫理も諸子百家ですべて語られている。
では、何が進歩したのだろうか?それはテクノロジーである。すなわち技術である。これらは、学問のようであって実はそうではないというのが私の主張である。
テクノロジーは積み重ねてずいぶん進歩した。しかし、テクノロジーを支える基本的な思想は4000年前にすでに完成していると言いたいのである。
学問とテクノロジーを混同している向きが多いので、持論を述べてみた。
人間は月にまで行けるようになったし、火星に探査機を送れるようになった。昔はそんなことはできなかった。だから学問は進歩していると、ほとんどの人が考えるだろう。
学問に進歩がないと言ったら、iPS細胞による細胞のリセットを進歩と言わずに何と呼ぶのか怪しむ方が圧倒的だろう。
ここで「学問」の定義が問題となる。「学問」とはものの考え方のことである。もっと言えば、倫理や論理や考え方の枠組みのことである。
現在の考え方の枠組みは、すでに古代ギリシャに始まっている。倫理も諸子百家ですべて語られている。
では、何が進歩したのだろうか?それはテクノロジーである。すなわち技術である。これらは、学問のようであって実はそうではないというのが私の主張である。
テクノロジーは積み重ねてずいぶん進歩した。しかし、テクノロジーを支える基本的な思想は4000年前にすでに完成していると言いたいのである。
学問とテクノロジーを混同している向きが多いので、持論を述べてみた。