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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ジャカルタ vs スラカルタ

2011年07月09日 | バリ
 ゴング・クビャルとよばれるガムラン編成がインドネシアの国民文化としてのバリ芸能の成立に重要な役割を果たしているのはいうまでもないのだが、インドネシアにおけるバリ文化の広がりにも同様に大きな役割を持つ。ジャカルタを始め、インドネシアの大都市にはゴング・クビャルのグループがいくつもあり、そうしたグループがバリ人コミュニティーの儀礼のために演奏したり、舞台上でバリ文化を紹介したりする。
 今回の芸術祭では、インドネシア各地のゴング・クビャルの競演が企画され、今晩見てきたのは、ジャカルタのサラスワティとよばれる有名なゴング・クビャルのグループと、スラカルタ(ソロ)にある芸術大学のゴング・クビャルのグループの競演だった。屋内の舞台は超満員であり、客の約半分はバリ人で残りの半分は、たぶんジャワからやってきたサポーターに加えて、バリ在住のジャワ人たちである。だいたい衣装でわかるものだ。
 最初にジャカルタのグループが、ばっちりバリの演奏者の格好いい衣装で登場。会場はわれんばかりの拍手である。次のスラカルタのグループが登場するが、なんと一人目が舞台に上がるやいなや会場が一瞬どよめいたのだった。なんと完全にジャワのガムランの演奏者の衣装である。次から次にジャワ・スタイルで登場してくるともうバリ人たちは言葉を失って「どう反応していいかわからない」状態になっている。
 演奏はジャカルタ側からで、これがまた上手である。完ぺきにバリのグループである。正直、そのへんのバリの村のグループなんて全く相手にならないほどのすばらしい演奏で、曲もバリの大学の教授の難しい作品を難なくこなしている。とにかく途中で観客の拍手満載の演奏だった。一方、スラカルタのグループの一曲目は完全オリジナル作品だった。しかしである。この作品がすごかった。ジャワの雰囲気とバリの雰囲気を存分に醸し出し、はじめは「えっ?」と感じていたバリ人たちは完全にその曲に魅了され、最後はジャカルタのグループを完全に上回る「ものすごい歓喜の嵐」(ちょっと言い過ぎか)だった。このスラカルタによる一曲目が終わった段階で、ジャカルタのバリをコピーしたようなグループは完全にスラカルタにのまれてしまったのだった。こうなると、もう衣装なんてどうでもよかった。スラカルタのグループの演奏に魅了された観客はもうジャカルタの演奏なんてどうでもよくなってしまっているのだ。
 ちょっと本日のブログは長くなって恐縮なのだが、バリとジャワの完ぺきに近いコラボレーションによってグループのアイデンティティを表出し、バリの人々を魅了した背景には、中部ジャワの音楽を理解する人々とバリの音楽を理解する人々が相互に音楽や芸能を学び、そうした技能と知識、演奏技術の織りなす「技」の存在が重要である。
 この演奏を聴いて、見て、日本人がすべきガムランとは何なのだろうかと今一度考えてしまった。これまでの多くの日本人がめざしてきたのは(もちろん日本で活動するガムラングループのすべてがそうだといっているわけではない)、ジャカルタのグループのあり方ではないだろうか?もちろんジャカルタの演奏だってそこにオリジナリティはあるし、自分たちで創作した作品もある。しかしやっぱりエッセンスはバリなのだ。この勝負、演奏技術でいえばはるかにジャカルタの勝ち、グループの特色という点ではスラカルタのコールド勝ちというところか。(6月26日に記す)