いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

サンクチャリー  political sanctuary

2009-10-05 19:44:43 | 日記
 文化の違いはあっても、マネーの価値観に違いはない、価値基準となるマネーの
流通プロセスのサンクチャリー(sanctuary:聖域)に文化、風土の違いがあらわれ
るのは、これも当然のことだ。

 アメリカン・ドリームに代表されるように米国社会では、結果として、ステータス
の基準がマネー(money)。
 選挙でも、政治資金の集金力にポテンシー(potency:勢力)があり、資金をふ
んだんに使ったメディアの宣伝力がポテンシーの判断基準となる。

 日本では、わび、さび(奥ゆかしさ、かな)の伝統的な文化思考から、財産(マ
ネー)の額そのものはネガティヴ(negative)志向として捉えられ、そのプロセス
の堂々とした手法、技術、能力にステータス、賞讃がおくられる社会構造。

 選挙対策では、集金方法、献金先、使途について、法規制を設けて透明性を高
めてる(が、実質は抜け道多くて)。
 
 民主党が政権交代をするまでの5年間の野党時代の所属する政治団体の政治
資金収支報告で、クラブ、キャバクラ、ショーパブでの遊興費の支出を政治活動費
として計上していた。

 今は、政権交代を果たして、前政権の補正予算の見直しを進める中で、事業中
止、変更により、結果として国民に不利益を求めることもあるステージ・アップの
時だ。

 政府(記者会見)からの「事実としてすべて情報公開している。」、また、当該
政治団体からの「その場で、政治の話をすることもある。」というコメントには、
政権交代での政治主導の理念志向は別にして、退廃的な政治風土に根ざすも
のには従来と変わりがない、安易さ、あやうさを見せる。

 この、網の目をくぐり抜けるかのようなスキルに依存する政治風土をきっちり否
定して、情報公開による透明性の高い政治基盤の説明責任を果たすべきだ。
 行き届いた説明責任がたりない。

 日本の政治風土、文化を言うまでもなく、政権政党としての現状の政治情勢を
考えた、自省、自制心理からの適切な対応の仕方がある。
 一刻も早くおかしな、こじつけの価値観を捨てて、軌道修正すべきだ。

 その後、一部、当該政治団体の議員から、政治活動費としての支出は適当で
はなかったとして、自費での全額負担(政治団体への寄付行為)へと修正した。
 党として、圧倒的な支持を得た国民にも忍耐を強いることもでてくる政権交代
の政治状況の中で、すみやかに良識のある説明責任を果たすべきだ。

 表舞台でのスポットライトよりも、それを支えるステルス(stealth:見えない
活動)の日常行動での理念、信条、倫理観での表舞台とのシンクロ、一元性が
信頼の「原資本(basic capital)」だ。

 日本には、文化、風土に根ざした金融のバランス感覚はある。時代は変わっ
ても、天下のまわりもの、国民の税金、支持者からの献金の有益ならざるを得
ない使途については、高い透明性、倫理性が求められる。

 

 

 

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