景観(historical scenery)がその価値をもつのは、(1)歴史的遺産としての条
件を備えて、(2)文化性があり、(3)資料としても後世に伝えることができる具体性
をもっていることが考えられる。
文化遺産の中には、その高い価値基準から、非公開として保護、保存しているも
のもある。
景観ということになれば、通常、自然界の歴史的遺産。世界遺産として国際的に
認定され、登録して保護、保存している。
当然、社会資本(インフラ)を形成する一部が景観というのが一般的なので、日
常生活とのかかわりをもつ、歴史的遺産ということになる。
「景観保存」と「日常生活」とのかかわり方、区分けがあるのか、ないのかがむ
ずかしい。
よく見かけるのは、由緒ある武家家屋(屋敷)に現在もその歴史的様式の中で、
生活をしている住民、由来のある人がその保存する意義(宿命)、目的を理解して
健気(けなげ)にもそこを生活基盤として暮らしている。
景観との「むすびつき」に必然性があればあるほど、保存、保護に前向きに取り
組める。
今回、広島県福山市の景勝地(国立公園)の鞆の浦湾の埋め立て計画にともなう
景観問題。「景観利益の保護」を理由に、地裁が工事(公共事業)中止を県に命じ
た。
万葉(730年)の時代からの景勝、国立公園で、日本近世の港を形成する条件
(5つ)すべてを残す唯一の港という最高ステージの条件を備えているとなると、
この判断もやむを得ない。
一方、日常生活では、丘陵が港にせり出して道路が狭く、渋滞も激しく、緊急用
の安全対応にも支障のある日常生活を強いられている。
この解決策として、港の一部を埋め立てて、架橋を渡してインフラ整備を図ろうと、
それを主張した市長を市民も選挙で支持しての、しかし、今回のそれに反対した少
数派の景観保護の裁定というところ。
つまり、そこに生活する人々の中で、景観保護の意義は理解していても、景観と
の「むすびつき」に必ずしも必然性があるわけでもなく、健気(けなげ)にその歴史的
環境の中で生活することに「むすびつかない」生活環境の改善へのジレンマだ。
先日、国連本部のあるニューヨーク市マンハッタンでの現地取材での話。ここで
は、国連総会が開催されるたびに、セキュリティ対応、交通規制が敷かれて、通勤
、買い物に大きな影響を与えているのだが、その地域にかかわる人々にとっては、
国連本部が「そこ」にあることが意義のあることであり、その不利益には慣れっこ
になっている、という記事を目にした。
一時的な問題と、恒常的な不利益とでは、単純に比較もしようがないが、「むす
びつき」(万葉の時代からの景勝地に生活する)を踏まえた「問題」との対峙(問題
と向かい合って)から、安全も含めた文化的な生活様式の健気(けなげ)な「おさま
り型」を探っていただきたい。
地裁は判断を示したが、しかし、この問題で、勝者もなければ、敗者もないのだ。
あるのは、歴史と生活の融合を、そこに生活する人々でつくりあげる壮大な世界観
。
件を備えて、(2)文化性があり、(3)資料としても後世に伝えることができる具体性
をもっていることが考えられる。
文化遺産の中には、その高い価値基準から、非公開として保護、保存しているも
のもある。
景観ということになれば、通常、自然界の歴史的遺産。世界遺産として国際的に
認定され、登録して保護、保存している。
当然、社会資本(インフラ)を形成する一部が景観というのが一般的なので、日
常生活とのかかわりをもつ、歴史的遺産ということになる。
「景観保存」と「日常生活」とのかかわり方、区分けがあるのか、ないのかがむ
ずかしい。
よく見かけるのは、由緒ある武家家屋(屋敷)に現在もその歴史的様式の中で、
生活をしている住民、由来のある人がその保存する意義(宿命)、目的を理解して
健気(けなげ)にもそこを生活基盤として暮らしている。
景観との「むすびつき」に必然性があればあるほど、保存、保護に前向きに取り
組める。
今回、広島県福山市の景勝地(国立公園)の鞆の浦湾の埋め立て計画にともなう
景観問題。「景観利益の保護」を理由に、地裁が工事(公共事業)中止を県に命じ
た。
万葉(730年)の時代からの景勝、国立公園で、日本近世の港を形成する条件
(5つ)すべてを残す唯一の港という最高ステージの条件を備えているとなると、
この判断もやむを得ない。
一方、日常生活では、丘陵が港にせり出して道路が狭く、渋滞も激しく、緊急用
の安全対応にも支障のある日常生活を強いられている。
この解決策として、港の一部を埋め立てて、架橋を渡してインフラ整備を図ろうと、
それを主張した市長を市民も選挙で支持しての、しかし、今回のそれに反対した少
数派の景観保護の裁定というところ。
つまり、そこに生活する人々の中で、景観保護の意義は理解していても、景観と
の「むすびつき」に必ずしも必然性があるわけでもなく、健気(けなげ)にその歴史的
環境の中で生活することに「むすびつかない」生活環境の改善へのジレンマだ。
先日、国連本部のあるニューヨーク市マンハッタンでの現地取材での話。ここで
は、国連総会が開催されるたびに、セキュリティ対応、交通規制が敷かれて、通勤
、買い物に大きな影響を与えているのだが、その地域にかかわる人々にとっては、
国連本部が「そこ」にあることが意義のあることであり、その不利益には慣れっこ
になっている、という記事を目にした。
一時的な問題と、恒常的な不利益とでは、単純に比較もしようがないが、「むす
びつき」(万葉の時代からの景勝地に生活する)を踏まえた「問題」との対峙(問題
と向かい合って)から、安全も含めた文化的な生活様式の健気(けなげ)な「おさま
り型」を探っていただきたい。
地裁は判断を示したが、しかし、この問題で、勝者もなければ、敗者もないのだ。
あるのは、歴史と生活の融合を、そこに生活する人々でつくりあげる壮大な世界観
。