いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

研究果実の正義  developmental justice

2009-10-10 19:44:40 | 日記
 情報化社会が高度に成熟(network society)しだすと、情報の入手、手段も多
様になり、結果として、情報を完全に保護(protection)することは至難となる。
 結果としての法的規制など、事後対策による後出しゲーム。

 ファイル交換ソフト「Winny」の開発者が、開発ソフトの機能が事前に著作物に
不法にアクセスできる機能を有することを知りながら開発し、販売されることにな
った経緯にかかわり、逮捕され、地裁で「著作権を侵害することを明確に認識、認
容しながら公開を継続した」のは、未必の故意(不作為の不法行為)があったとし
て(私の解釈)、有罪判決を受けた。

 時代の風潮に配慮して、著作権、業界の利益保護に過敏に反応したものだ。開発
者本人の意図が、研究開発以外にあったのか、司法と開発者の間に因果関係があっ
たのか、私には不明だが、司法のその手法は、まるで時代が100年戻ったかのよ
うな違和感がある。

 いうまでもなく、研究開発の果実は、原理・原則、基礎的理論、機能の創出(product)
が基本的な捉え方で、それを利用して、広範囲な価値を生む第三者的な手法、作為
、利益まで責任を負うものではない。

 PCのソフト開発も、PCの機能を高度化、多様化して、より利用価値の高いグレード
に高めることが本質的な目的であり、反動として、その高い技術(skill)を悪用して、
結果として、社会的損害を与えることも考えられる。が、そこまで包括的に研究開発
プラニングを組み立てることは、むづかしい。

 「善」の裏返しとしての、「負」の作用を前提として、開発者の責任を問うことになれば、
研究開発システムは成り立たない。
 
 二審の高裁では「悪用されることの可能性を認識しているだけでは、ほう助(手助け)
といえない」として、一転無罪の判決。
 一般論として(司法と開発者の因果関係不明)、研究開発能力(capability)の
本質的な正義感(justice)を認めたもので、妥当な判断だ。

 司法が拙速にも逮捕、有罪判決(一審)に踏み切った本当の理由はどこにあった
のか。二審での無罪判決を受けるまでもなく、「解明」されなければならない。
 
 時代は、高度な情報化による、目に見えない(stealth)価値観が支配するネッ
トワーク社会の真っただ中にいる。
 先行する開発ソフト・プログラミングに後手に回る情報、プライバシーの保護対
策の強化は必要だが、それが理解を超えた公権力の圧力であってはならない。

 自由な発想がもたらす果実こそが、未来社会のエネルギーだからだ。

 

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