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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

多様な価値観の国歌。  symbol character

2010-03-18 19:39:37 | 日記
 人種差別の事件が続いていた頃の米国。オリンピック陸上競技で金、銀、銅独占した米国
代表の黒人アスリートが、表彰式の国旗、国歌セレモニー(ceremony)の表彰台上で全員黒
革の手袋をつけた右手を頭上に掲げて抗議の意思をあらわしたことがある。スポーツの祭典
に政治が持ち込まれた瞬間だった。
 その後米国では、09年「チェンジ」を訴える黒人初のオバマ大統領が誕生した。

 日本では3月、桜の季節の訪れになると卒業式、入学式のシーズン。毎年のごとくか、卒
業式、入学式での「起立して国歌(君が代)斉唱を求める」県教育長、学校長名の「通知」
を巡って、「思想、信条の自由」を侵害するとして、これに同意せず、協力しない教職員。
 そしてこれを違憲として反対する教職員による訴訟沙汰が話題になる。

 国旗(日の丸)、国歌(君が代)に対しては、国民を戦争に駆り立てた「国家観」の負の
イメージが強く残り、現実に戦争体験者、原体験の関係者にとっては、払しょくのできない
歴史的「負」の遺産だろう。

 戦争行為に対しては、当時の連合国側による戦争裁判、戦後の国による賠償責任等で一
応の歴史的使命を経た。しかし、その後も幾度となく、当時の戦争責任論については異論も
発信されたり、近年は国際協力のもとに法改正までして自衛隊の海外派遣や核保有論まで
ささやかれることもあり、国民が犠牲者の「戦争」については、確かな検証責任が行われたと
は言い難い。

 しかし、時代は、国を代表する国旗、国歌は国際会議や国際的なスポーツ祭典では、国民
の期待を背負う「シンボル・キャラクター(symbol character)」として誇りと勇気をあらわすもの
として、その多様な価値観が認知もされている。

 今回、高裁は卒業式、入学式での国歌(君が代)の斉唱への「通知」について、一審地裁
の「通知は命令」という判断を取り消し、「通知は指導の範囲で、処分もない」として「訴えの
利益(理由)はない」として、訴えそのものを却下した。当然の結論だ。

 セレモニーの円滑な進行に、県教育長、高校長名で通知してまで意思の連携をはからなけ
ればならない行為も行為だが、国旗、国歌そのものの個別的意義と、卒業式、入学式のセレ
モニーの中の総体的なアイテムとして、これを捉えられない教職員の狭い見識(固定観念)
も見識(固定観念)だ。なるほど、初期、初等教育が硬直している。

 強要されることがあってはならないし、まして違反者への処分などあってはならない。一
方、セレモニーのシンボル・キャラクターとして使用することに狭い論理、感情論で協力し
ない、反対する狭義レベルのものでもない。

 シンボル・キャラクターが、かってのように国家主義のシンボルに利用されたりして、思
想、信条の自由が阻害されないよう、注視することが大切なので、そのため、セレモニー、
祭典他の「どれも、これも」から国旗、国歌を排除することではない。

 教育でこそ、多様な「価値観」の有り様を発信すべきなのだ。

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