(1)治安(public peace)というのは、高度の科学技術(鑑定)と精度の高い捜査能力に
人格が備われば、社会的信頼が集まって治安は維持される。
高度の科学技術も操作の誤りや取り違えがあったり、捜査能力に思い込み、初動の遅
れで精度を欠き、人格にも問題があるとすれば、今の社会のように治安は悪化する。
治安も、みだりに不適格者に権限を与えても、強権社会を形成して冤(えん)罪を生み、
だからといって、捜査そっちのけで調書、書類作成に四苦八苦、うつつを抜かしてばかりの
レベルでは、平和な社会生活は訪れない。
近年の重要事件の検挙率が30%程度で、ここ1,2年の社会を震撼とさせた凶悪事件の
ほとんどが未解決のままだ。事件現場に駆け付けた警察官の目の前にいた犯人と思われ
る人物が、当の警察官がその現場から離れたスキに姿を消したまま、未だに手がかりもな
い(有力情報の報道がない)始末のものまである。
警察組織、従事者の「資質」に問題があるのは間違いない。危険を伴う仕事なので適格者
の為り手がない時代背景もあり、警察組織、治安の立て直しには相当、相応の手当を支給し
て、捜査能力の精度の高い人格者を募い、徹底した「教育」が必要だ。
(2)95年に、警察組織の最高責任者の警察庁長官が何者かに狙撃されて重傷を負い被害
者となった事件。最高レベルの警護で、標的になることがまず考えられない構成要件の中の
事件が、未解決のまま時効をむかえた。
朝の通勤時間帯のマンションで目撃者が複数いながら、当然のように警護の警察関係者も
いたと思われる中での事件で、15年もの間の未解決事件だ。
治安能力、捜査能力の劣悪さを示すものだ。当時の被害者で警察庁長官も「捜査は不合格
だった」(報道)と述べている。
(3)さらに、時効をむかえた3月30日。警視庁はこともあろうに、この事件の捜査段階での検
証内容として、すでに解体された宗教団体、同関係者が事件に関与していたとして、捜査対象
としていた事実を公表した。
捜査対象の団体がすでに存在しない気安さがあったのか、ことに及んでのみっともない、
あきれた非常識だ。
事件は未解決のまま時効をむかえた。15年の長い期間には多岐にわたる捜査は当然あっ
たろうが、未解決の時効となればそのどれもが、誰のせいでもない、警察庁の責任のもとで
公然と事件に関与したかのような思惑で公開されるべき対象ではなくなっているのだ。
最近無罪となった冤(えん)罪事件の「教訓」はどこにいったのか不可思議だ。
社会生活の平和、治安を担うべき関係者が、信じられないこのような稚拙な非常識な判断
力しか持ち合わせていないことが、警察能力の現状を示すものだ。
(4)もとより、このように適格性に問題のある組織にみだりに権限をばかりを与えると、パラドッ
クス(paradox)に危険性はあるが、しかし治安は適正に維持されなければならない。
治安を維持する相当、相応の手当を支給して、捜査能力の精度の高い人格者を育成しなけ
れば、「複雑化」した社会の治安維持に対する社会的責任も果たせず、信頼も得られない。
どう考えても不自然な「政治とカネ」の問題で、権力にある者の責任が問われない不可思
議な「現状」は、社会の「価値観」にも暗い影を落としているのだ。
人格が備われば、社会的信頼が集まって治安は維持される。
高度の科学技術も操作の誤りや取り違えがあったり、捜査能力に思い込み、初動の遅
れで精度を欠き、人格にも問題があるとすれば、今の社会のように治安は悪化する。
治安も、みだりに不適格者に権限を与えても、強権社会を形成して冤(えん)罪を生み、
だからといって、捜査そっちのけで調書、書類作成に四苦八苦、うつつを抜かしてばかりの
レベルでは、平和な社会生活は訪れない。
近年の重要事件の検挙率が30%程度で、ここ1,2年の社会を震撼とさせた凶悪事件の
ほとんどが未解決のままだ。事件現場に駆け付けた警察官の目の前にいた犯人と思われ
る人物が、当の警察官がその現場から離れたスキに姿を消したまま、未だに手がかりもな
い(有力情報の報道がない)始末のものまである。
警察組織、従事者の「資質」に問題があるのは間違いない。危険を伴う仕事なので適格者
の為り手がない時代背景もあり、警察組織、治安の立て直しには相当、相応の手当を支給し
て、捜査能力の精度の高い人格者を募い、徹底した「教育」が必要だ。
(2)95年に、警察組織の最高責任者の警察庁長官が何者かに狙撃されて重傷を負い被害
者となった事件。最高レベルの警護で、標的になることがまず考えられない構成要件の中の
事件が、未解決のまま時効をむかえた。
朝の通勤時間帯のマンションで目撃者が複数いながら、当然のように警護の警察関係者も
いたと思われる中での事件で、15年もの間の未解決事件だ。
治安能力、捜査能力の劣悪さを示すものだ。当時の被害者で警察庁長官も「捜査は不合格
だった」(報道)と述べている。
(3)さらに、時効をむかえた3月30日。警視庁はこともあろうに、この事件の捜査段階での検
証内容として、すでに解体された宗教団体、同関係者が事件に関与していたとして、捜査対象
としていた事実を公表した。
捜査対象の団体がすでに存在しない気安さがあったのか、ことに及んでのみっともない、
あきれた非常識だ。
事件は未解決のまま時効をむかえた。15年の長い期間には多岐にわたる捜査は当然あっ
たろうが、未解決の時効となればそのどれもが、誰のせいでもない、警察庁の責任のもとで
公然と事件に関与したかのような思惑で公開されるべき対象ではなくなっているのだ。
最近無罪となった冤(えん)罪事件の「教訓」はどこにいったのか不可思議だ。
社会生活の平和、治安を担うべき関係者が、信じられないこのような稚拙な非常識な判断
力しか持ち合わせていないことが、警察能力の現状を示すものだ。
(4)もとより、このように適格性に問題のある組織にみだりに権限をばかりを与えると、パラドッ
クス(paradox)に危険性はあるが、しかし治安は適正に維持されなければならない。
治安を維持する相当、相応の手当を支給して、捜査能力の精度の高い人格者を育成しなけ
れば、「複雑化」した社会の治安維持に対する社会的責任も果たせず、信頼も得られない。
どう考えても不自然な「政治とカネ」の問題で、権力にある者の責任が問われない不可思
議な「現状」は、社会の「価値観」にも暗い影を落としているのだ。