いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

強制と不服従(国旗と国歌)。 coercion & dis-obedience

2011-01-30 19:36:14 | 日記
 (1)日本時間の1月30日のカタールで行われたアジアカップサッカー決勝で、ザック・
ジャパン、サッカー日本代表が延長戦後半に長友(DF)が相手ゴール左ゾーンに持ち込んで
ゴール中央に上げたクロスに、途中出場の李(FW)が見事な左足ボレーシュートを決めてオ
ーストラリアに勝って優勝した。ザック・ジャパンの不敗神話が続く。

 日本を代表して国際試合に臨む時には、サッカー日本代表は胸に「日の丸」のエンブレム
(emblem)を付けて、「君が代」演奏の時には全員が肩を組んで「日本代表」として一体感を
共有する。
 セレモニーではサッカー日本代表のザッケローニ監督をはじめイタリア人の同コーチ数人を
含めて全員が肩を組んで「日本代表」として一体感を共有する。
 ザッケローニ監督は試合前「アジアカップを持って(優勝して)『日本に帰る』」と表現してい
た。

 (2)東京都が入学式、卒業式で「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱することを都
立学校に義務付けた通達に対して、都教職員(395人)が「思想、良心の自由を保障した憲
法に反する」と提訴した裁判で、地裁は東京都の行き過ぎた処分を考慮して提訴を認めて
「違憲」とした判決を、二審の高裁が「通達の目的、内容は不合理とは言えない」と「合憲」と
判断した。

 広く国民に国旗、国歌として定着している「日の丸」、「君が代」の存在自体は、主権国家と
してのアイディンティティ(identity)を示すものとして思想、良心の自由の範ちゅうでは推し量
れるものではない、それ以前の概念のものとしてそれを「強制(coercion)」するものでもなけ
ればましてそれにより「処分」されるものでもなくて、「不服従(dis-obedience)」するものでも
ないと解釈する。

 本質的には、「日の丸」、「君が代」遂行にかかわり、「強制」も「不服従」も「思想、良心の
自由」を問題としては、裁判で争う「利益」、訴える「利益」そのものが存在しないと考える。

 (3)かって軍国日本は、「日の丸」、「君が代」で多くの国民を戦争に駆り立てて、近隣諸国
と合わせて多大な被害を与えた歴史があり、国民の中には心情的にこれらの受け入れを拒
絶する本能本質もある。
 現在において、「日の丸」、「君が代」を強制されることが思想、良心の自由、信条に反する
と拒絶するのは、そうした国家体制での「利用」の仕方、恐怖観念に由来するものだ。

 (4)広く国民に定着している国旗、国歌に対する東京都の「強制(義務付け通達)」が、思想、
良心の自由で争う「違憲」、「合憲」の判断、問題とするのには「訴える利益」そのものがなく
て、これは個人の信条に反することを「強制」し、「処分」すること、「不服従」することが、人格
権、生活権の侵害(違法行為)になるのかの問題だ。
 「日の丸」、「君が代」の遂行に当たって、これを「強制」し「不服従」に対して「処分」する「脅
迫観念」は、違法性が強いものと言わざるを得ない。

 (5)ジョンレノンが「イマジン」で、国も国境もない世界、ひとりひとりみんながそう想えば実現
するとメッセージを発信したが(それはそのとおりだが)、スポーツの世界では国を代表してフ
ェアに戦うダイナミズム(dynamism)も捨てがたく、国民を勇気づけ、一体感を生むその価値観
も大切だ。
 そのためのシンボル(symbol)、エンブレム(emblem)としての「日の丸」であり「君が代」でも
ある。

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