(1)何やかんや言っても、日本のメディア(TV・新聞・ラジオ・インターネット)の情報、記事の信頼度(reliability)というのは比較高いレベルにあると言える。iPS細胞の臨床実験の誤報道でもニュースソース(news source)から話を持ちかけられた多くのメディアはほんの一部を除いて、その真偽性について検証し、分析し、問題があるとしてニュースにしなかった。
基本的に正しい情報を伝える使命感、検証機能が働いているということだ。新聞記事の場合、掲載記事の担当者を公表して情報開示性、信用性を高める工夫も見られる。
しかし、情報化社会が高度に進化してメディア、特に新聞業界にとっては世界的な購買量の減少による経営難に陥って業界再編が進んだ。
全国紙が地方紙と取材提携、ニュースの共有化をはかり、経営効率化のために情報分析、視点、構成の独自性、切り込み手法の特性が希薄になるメディア自己否定要素に走るという、経済原理にもとづく安易な方法論を選択した。
(2)迅速で広範囲な伝達力を持つネット社会の普及に対抗するため、読者層の興味本位に迎合してスクープ(scoop)にしのぎを削って他社を出し抜くことがステータス(status)になって、情報源(news source)の確認、分析、検証が十分ではないという、メディア特有の批評、比較精神性が損なわれてもきている。
女性容疑者を取り巻く一族、親族の一連の不審死事件でも、容疑者の段階で当該女性の誤った写真をほとんどのメディアが同一掲載して、誤って使われた女性からの指摘で初めて間違いがわかるというメディア全体にとってはあってはならない、取り返しのつかない初歩的重大ミスであった。
人間として誤りはあるものとはいえ、たとえば裁判での「疑わしきは被告の利益」という観念レベルの十分すぎる確認情報しか使わないという、自己規制によるメディア精神性が立場、影響力から当然必要だ。
情報化社会に迎合したメディアの興味本位性、スクープ性偏重の現在姿勢が社会問題を起こしてもいる。
(3)発表された12年度メディア信頼度(reliability in media)に関する世論調査では、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットいずれもで調査(08年度)以来、最低(報道)となった。パラドックス(paradox)としてこれも「報道」だから、細かいデータ上は前述のような「危険性」をはらんだ憶測ものともいえるが、「最低傾向」はうなずける。
発表データでは、100点評価でNHKテレビが70.1点(前年度比較△4.2点)で最も高く、新聞68.9点(同△3.1点)、民放テレビ60.3点(同△3.5点)、ラジオ58.6点(同△5.5点)、インターネット53.3点(同△3.0点)となった。
民放テレビまでがせいぜい及第点というところだが、メディア従事者の反社会行為、不法行為が目について、メディアへの評価(つまり信頼度)は総じて厳しい評価度だ。
(4)最近のメディアの特色として批評力、分析力が衰えて記事、ニュース内容が平凡になってきていることだ。活字の大きさも含めて分かりやすさを強調してあまり、内容、解説力が軽くなっている、ものたりない傾向がある。
それでも仮に風評(rumor)しかない社会であったならば、これほど怖いものもないわけで、冒頭に述べたように比較信頼性のあるメディア報道の役割、使命感は守られなければならない。
基本的に正しい情報を伝える使命感、検証機能が働いているということだ。新聞記事の場合、掲載記事の担当者を公表して情報開示性、信用性を高める工夫も見られる。
しかし、情報化社会が高度に進化してメディア、特に新聞業界にとっては世界的な購買量の減少による経営難に陥って業界再編が進んだ。
全国紙が地方紙と取材提携、ニュースの共有化をはかり、経営効率化のために情報分析、視点、構成の独自性、切り込み手法の特性が希薄になるメディア自己否定要素に走るという、経済原理にもとづく安易な方法論を選択した。
(2)迅速で広範囲な伝達力を持つネット社会の普及に対抗するため、読者層の興味本位に迎合してスクープ(scoop)にしのぎを削って他社を出し抜くことがステータス(status)になって、情報源(news source)の確認、分析、検証が十分ではないという、メディア特有の批評、比較精神性が損なわれてもきている。
女性容疑者を取り巻く一族、親族の一連の不審死事件でも、容疑者の段階で当該女性の誤った写真をほとんどのメディアが同一掲載して、誤って使われた女性からの指摘で初めて間違いがわかるというメディア全体にとってはあってはならない、取り返しのつかない初歩的重大ミスであった。
人間として誤りはあるものとはいえ、たとえば裁判での「疑わしきは被告の利益」という観念レベルの十分すぎる確認情報しか使わないという、自己規制によるメディア精神性が立場、影響力から当然必要だ。
情報化社会に迎合したメディアの興味本位性、スクープ性偏重の現在姿勢が社会問題を起こしてもいる。
(3)発表された12年度メディア信頼度(reliability in media)に関する世論調査では、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットいずれもで調査(08年度)以来、最低(報道)となった。パラドックス(paradox)としてこれも「報道」だから、細かいデータ上は前述のような「危険性」をはらんだ憶測ものともいえるが、「最低傾向」はうなずける。
発表データでは、100点評価でNHKテレビが70.1点(前年度比較△4.2点)で最も高く、新聞68.9点(同△3.1点)、民放テレビ60.3点(同△3.5点)、ラジオ58.6点(同△5.5点)、インターネット53.3点(同△3.0点)となった。
民放テレビまでがせいぜい及第点というところだが、メディア従事者の反社会行為、不法行為が目について、メディアへの評価(つまり信頼度)は総じて厳しい評価度だ。
(4)最近のメディアの特色として批評力、分析力が衰えて記事、ニュース内容が平凡になってきていることだ。活字の大きさも含めて分かりやすさを強調してあまり、内容、解説力が軽くなっている、ものたりない傾向がある。
それでも仮に風評(rumor)しかない社会であったならば、これほど怖いものもないわけで、冒頭に述べたように比較信頼性のあるメディア報道の役割、使命感は守られなければならない。