いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

非武装中立論と非核三原則。 neutralism & non-nuclear

2012-11-11 19:30:36 | 日記
 (1)かって野党第一党の社会党の委員長が「非武装中立論(demilitarized neutralism)」を唱えて、当時の自民党政権の日米安保、軍事同盟関係と比較対極の理論で革新性を強調したことがある。
 当時は自民党の保守基盤が強い政治構造の中で、「反対のための反対」という立場の少数派野党として理論武装による政治哲学対決論を展開していた時代だった。

 非武装中立論は大まかに見れば、外交力を活かして近隣諸国と友好関係を確立、維持して、全方位外交を展開する政治論で、人類共通の高い政治理想と精神性を持っているが極めて実現プロセス、現実観(realism)に欠ける理想論でもあった。

 (2)当時は、共産主義革命による中国も現在のような軍事力、経済力を持っていなかったが当時の経済後進国のアジア圏の共産主義化は新しい脅威として捉えられて、覇権国家の米国は日本に駐留米軍を常駐させて日米安保軍事同盟で東アジアに影響力を行使しようとしていた。

 当時、社会主義改革理論を党是としていた社会党は当時のソ連、中国の共産主義革命理論とは一線を画してはいたが、高い政治理想の非武装中立論は党の政治思想、「その後」の政治構造設計とのギャップ(gap)も大きくて、自民党保守政権との対極論、空想論の域内のものでしかなかった。

 (3)その社会党の流れを受ける現在の社民党は、ベルリンの壁崩壊以後のソ連がロシアほかに分解し、中国も資本主義経済理論の導入による国際政治情勢の変化、構造改革の流れの中で、自衛隊の合憲性を認めて、非武装中立論は時代の理想論と化してしまった。

 (4)当時そういう選択の政治環境はなかったわけだが、仮に09年の民主党マニフェスト選択による政権交代のように高い政治理想論が支持されて、ひょんなことから政権交代を果たした場合に非武装中立論は日本をどんな国の立ち位置に導いたのだろうか。
 
 当時の社会党にその準備と覚悟、戦略はあったのだろうか、09年民主党による本格的政権交代後、3年を経た現在の政治混迷を見るにつけ記憶が蘇(よみがえ)る。

 (5)日本維新の会代表の橋下大阪市長はエキセントリック(eccentric)な発言、政治手法に問題はあるが、考えていることをオープンに示すいままでの政治に不足していた「正直性」、「情報開示性」が高い支持の原動力(motive power)だ。

 広島での遊説で、核廃絶は「現実には無理だ。米国の核の傘の下に入ることは必要」(報道)と語った。さらに非核三原則(three non-nuclear principles)について「『持ち込ませず』は日米安保で本当に可能なのか。(日本に基地を持つ)米軍第7艦隊が核を持っていないなんてありえない」(同)と述べた。

 (6)非核三原則は唯一の被爆国日本の理論テーゼ(these)であるが、72年沖縄返還時に密約で「持ち込ませず」は実効力を失くしているのは周知のことだ。
 そのとおりの問題提起はいいが、核廃絶、非核三原則は唯一の被爆国日本が発信する使命であり悲願だ。

 日米安保条約にもとづき米軍基地が国内に存在するとはいえ、非核三原則のレベルの軍事力整備にすべきことだ。
 米国オバマ大統領も「核のない世界」を標榜(ひょうぼう)しており、これは非武装中立論とは現実観でまったく違うことだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする