(1)原発計画の無計画ぶりがあきらかになっていく。地震国日本の狭い国土に列島を囲むように経済効果優先政策で54基もの原発を設置して、専門家から危険も指摘されてきた東日本大震災での巨大津波ほかの原発安全対策の不備、不足の中で、福島第一原発事故ではいまだに汚染水漏れが続き帰宅困難地域は解消のめどもなく、多くの被災者が全国に避難生活を強いられている。
被災地の強い放射性物質を含むガレキ、汚染土の最終処分保管地も決まらずに、さらに問題なのは当初から原発の科学的構造上ついて回る原発から出る高いレベルの放射性廃棄物(核のごみ dust of a nucleus)の最終処分場についても、考察、検討、計画もなく原発設置計画だけが進められて手がつけられていないままがあきらかになった。
(2)日本だけの現象ではなく、以前に米国と日本が「核のごみ」最終処分候補地として第3国のモンゴル政府に受け入れ協力を要請して、当然のように断られた経緯もある。
当事国は原発稼働による経済効果の恩恵にあずかりながら、未来にわたって処理保管に危険がつきまとう「核のごみ」だけを財政援助と引き換えに第3国に押し付ける無分別、横暴な原発国のやり方は非人道的な批判はまぬがれない。
(3)小泉元首相はかっては原発政策を首相として推進した責任者ではあるが、近年原発先進国の欧州での「核のごみ」最終処分の実態を視察したあと、原発から出る「核のごみ」最終処分の安全管理は不可能と判断(本人趣旨発言)して、一転して日本での原発廃棄、原発ゼロ政策論を展開して、今年の都知事選でも賛同する細川候補を応援して即時原発ゼロを争点化した。
首相が決断すれば、すぐにでもやれるというのが主張だ(代替エレルギーは知恵のあるものが出てきて考えるというのは荒唐無稽で荒っぽいが)。
(4)実は政府はこの「核のごみ」最終処分場決定については先送りして検討を進めてこなかったが、小泉元首相が突如原発廃棄論を展開しだして急に検討を加速(報道)した経緯が伝えられている。
これを検討する経産省の作業部会は、このほど「適地(suitable area)」の選定基準案なるものを示した。そもそも当初から必然的な対策、対応が必要な原発から出る「核のごみ」最終処分場について、政府の無計画、無作為のなかで勝手にも都合よく「公募方式」を打ち出していた。
(5)「公募方式」は前述の第3国への受け入れを財政援助と引き換えに打診した日米のやり方と同じ手法で、あまりにも横暴無策、無責任で福島第一原発事故の惨状を見るまでもなく当然のようにこれに手をあげる自治体、地域など出てくるはずもない政府の無責任ぶりである。政府の無策ぶりを自治体、住民に押し付けるだけの横暴だ。
ついでに言うなら、駐留米軍基地の70%以上が集中する沖縄に政府が振興策財政支援と抱き合わせの同基地の県内移設を提示して県民の反発を買っているのと同じ構図だ。
(6)同上の最終処分地の選定基準案は、「公募方式」を断念して「科学的根拠に基づいて有望地を選定し、国が複数地域に申し入れる」ものだ。
具体的には立地不適地(火山の半径15キロ圏内、活断層周辺、隆起地ほか)を示して候補地から外し、調査の上「30年後をめどに最終処分地操業を始める」(報道)というものだ。
これによると国土の「70%」が「適地」となる(報道)とされて、この基準による最終処分場の絞り込みは範囲が放漫すぎて事実上不可能といわれる途方もない方針案だ。
(7)安全対策も事後対策もなく原発をつくるだけつくり、さらに福島第一原発事故の惨状を目の当たりにして、重要なベース電源としてまだ原発再稼働に意欲を示す安倍首相だが、原発が出す「核のごみ」問題は放置されてきて遅々として進まない。
しかしこれは避けて通れない政治的、社会的、文化的、国民的「命題(proposition of dust of a nucleus))」なだけに、否応なしに国民的課題として対策に取り組まなければならない重要問題である。
被災地の強い放射性物質を含むガレキ、汚染土の最終処分保管地も決まらずに、さらに問題なのは当初から原発の科学的構造上ついて回る原発から出る高いレベルの放射性廃棄物(核のごみ dust of a nucleus)の最終処分場についても、考察、検討、計画もなく原発設置計画だけが進められて手がつけられていないままがあきらかになった。
(2)日本だけの現象ではなく、以前に米国と日本が「核のごみ」最終処分候補地として第3国のモンゴル政府に受け入れ協力を要請して、当然のように断られた経緯もある。
当事国は原発稼働による経済効果の恩恵にあずかりながら、未来にわたって処理保管に危険がつきまとう「核のごみ」だけを財政援助と引き換えに第3国に押し付ける無分別、横暴な原発国のやり方は非人道的な批判はまぬがれない。
(3)小泉元首相はかっては原発政策を首相として推進した責任者ではあるが、近年原発先進国の欧州での「核のごみ」最終処分の実態を視察したあと、原発から出る「核のごみ」最終処分の安全管理は不可能と判断(本人趣旨発言)して、一転して日本での原発廃棄、原発ゼロ政策論を展開して、今年の都知事選でも賛同する細川候補を応援して即時原発ゼロを争点化した。
首相が決断すれば、すぐにでもやれるというのが主張だ(代替エレルギーは知恵のあるものが出てきて考えるというのは荒唐無稽で荒っぽいが)。
(4)実は政府はこの「核のごみ」最終処分場決定については先送りして検討を進めてこなかったが、小泉元首相が突如原発廃棄論を展開しだして急に検討を加速(報道)した経緯が伝えられている。
これを検討する経産省の作業部会は、このほど「適地(suitable area)」の選定基準案なるものを示した。そもそも当初から必然的な対策、対応が必要な原発から出る「核のごみ」最終処分場について、政府の無計画、無作為のなかで勝手にも都合よく「公募方式」を打ち出していた。
(5)「公募方式」は前述の第3国への受け入れを財政援助と引き換えに打診した日米のやり方と同じ手法で、あまりにも横暴無策、無責任で福島第一原発事故の惨状を見るまでもなく当然のようにこれに手をあげる自治体、地域など出てくるはずもない政府の無責任ぶりである。政府の無策ぶりを自治体、住民に押し付けるだけの横暴だ。
ついでに言うなら、駐留米軍基地の70%以上が集中する沖縄に政府が振興策財政支援と抱き合わせの同基地の県内移設を提示して県民の反発を買っているのと同じ構図だ。
(6)同上の最終処分地の選定基準案は、「公募方式」を断念して「科学的根拠に基づいて有望地を選定し、国が複数地域に申し入れる」ものだ。
具体的には立地不適地(火山の半径15キロ圏内、活断層周辺、隆起地ほか)を示して候補地から外し、調査の上「30年後をめどに最終処分地操業を始める」(報道)というものだ。
これによると国土の「70%」が「適地」となる(報道)とされて、この基準による最終処分場の絞り込みは範囲が放漫すぎて事実上不可能といわれる途方もない方針案だ。
(7)安全対策も事後対策もなく原発をつくるだけつくり、さらに福島第一原発事故の惨状を目の当たりにして、重要なベース電源としてまだ原発再稼働に意欲を示す安倍首相だが、原発が出す「核のごみ」問題は放置されてきて遅々として進まない。
しかしこれは避けて通れない政治的、社会的、文化的、国民的「命題(proposition of dust of a nucleus))」なだけに、否応なしに国民的課題として対策に取り組まなければならない重要問題である。