(1)どうもこの人のパラダイム(paradigm)、常識、論理は「あべこべ」(contrary logic)だ。安倍首相が自らに近くNHK経営委員に任命した作家の百田尚樹さんが、先の都知事選で自ら応援した候補者の応援演説で他の候補者を「人間のくずみたいなもの」(報道)と批判したことについて衆院予算委員会で安倍首相は「ある夕刊紙は私のことをほぼ毎日のように人間のくずと報道しているが、私は別に気にしませんけどね」と発言を問題にしないことを示した。
問題視されたのは、都知事選中に「人間のくずみたい」と「述べられた」側のひんしゅく(scorn)はさることながら、そう「批判した」、発言した側の無礼講、非常識、倫理観欠如だ。
(2)安倍首相が私なら言われても別に気にしないと言うことを聞いているのではない。NHK新会長の偏向発言から安倍首相に近いNHK経営委員の重なる思想偏向、ひんしゅく発言がくり返されての任命責任者としての安倍首相の識見、責任が問われているのだ。これでは議論がかみ合うはずもない(意図的に拒否、はぐらかしている)。
(3)また意欲を示している憲法解釈による集団的自衛権の行使容認については、1国で自らの国を守ることなどできない時代で集団的自衛権は今や世界の常識だ(趣旨発言)と述べているが、集団的自衛権を行使するのは軍事力、軍隊によって他国に干渉し、世界各地域に軍隊を派遣して世界戦略を展開している国(NATOなど)の論理であって、日本のように交戦権を認めずに戦力不保持の平和憲法を持つ国の常識、論理ではない。
(4)日本は個別的自衛権により主権、国民を守り、日米安保・軍事同盟関係でより包括的な国の安全を保障する体制の中にある。集団的自衛権の行使は平和憲法の主旨に反して、これを行使するならまず憲法改正で国民に信を問わなければならない。
安倍首相が憲法解釈で集団的自衛権の行使を容認しておいて、いずれ国民の信を問うと言っているのは「あべこべ」の議論だ。
(5)靖国参拝問題も、安倍首相は国のために戦争で命を落とした人に尊崇の念を示すのは国のリーダーとして「どこの国」でもやっていると正当性を主張しているが、かっての旧日本軍により侵略、植民地支配を受けた中国、韓国の反発を買って、今も新首脳同士の会談も行われていない。
とりたてて国内問題のはずが、なぜアジア近隣国からいらぬ批判、干渉を受けているのか。
(6)国のために戦った人にも、国民を戦争に駆り立てて主導したもの(A級戦犯)もいれば、ただ従った人(招集)、非戦闘員として命を落とした多くの国民(原爆犠牲)もいる。特に原爆犠牲の国民に対しての国の責任、配慮がその後の非核外交に十分にいかされているのか。安倍首相の戦争観には偏向がある。
第2次世界大戦を主導した日本の指導者は、かっては中国大陸に旧日本軍を侵攻させ植民地支配の中で多くの現地人に多大な被害と苦痛を与えたものだ。
(7)日本政府、安倍首相からすれば戦後交渉で謝罪、保障は解決済みとしていつまでその植民地支配の責任を問われるのかのジレンマ(dilemma)はあるのだろうが、現実(中国、韓国との対立)を直視するなら首相として尊崇の念の表現の仕方は別にあるはすだ。
首相としてそれに対抗するように公然と靖国参拝に固執する仕方は挑発的、意図的で、対話のドアは開けてあるという言葉とは裏腹の「あべこべ」の倫理観、論理、思考だ。
問題視されたのは、都知事選中に「人間のくずみたい」と「述べられた」側のひんしゅく(scorn)はさることながら、そう「批判した」、発言した側の無礼講、非常識、倫理観欠如だ。
(2)安倍首相が私なら言われても別に気にしないと言うことを聞いているのではない。NHK新会長の偏向発言から安倍首相に近いNHK経営委員の重なる思想偏向、ひんしゅく発言がくり返されての任命責任者としての安倍首相の識見、責任が問われているのだ。これでは議論がかみ合うはずもない(意図的に拒否、はぐらかしている)。
(3)また意欲を示している憲法解釈による集団的自衛権の行使容認については、1国で自らの国を守ることなどできない時代で集団的自衛権は今や世界の常識だ(趣旨発言)と述べているが、集団的自衛権を行使するのは軍事力、軍隊によって他国に干渉し、世界各地域に軍隊を派遣して世界戦略を展開している国(NATOなど)の論理であって、日本のように交戦権を認めずに戦力不保持の平和憲法を持つ国の常識、論理ではない。
(4)日本は個別的自衛権により主権、国民を守り、日米安保・軍事同盟関係でより包括的な国の安全を保障する体制の中にある。集団的自衛権の行使は平和憲法の主旨に反して、これを行使するならまず憲法改正で国民に信を問わなければならない。
安倍首相が憲法解釈で集団的自衛権の行使を容認しておいて、いずれ国民の信を問うと言っているのは「あべこべ」の議論だ。
(5)靖国参拝問題も、安倍首相は国のために戦争で命を落とした人に尊崇の念を示すのは国のリーダーとして「どこの国」でもやっていると正当性を主張しているが、かっての旧日本軍により侵略、植民地支配を受けた中国、韓国の反発を買って、今も新首脳同士の会談も行われていない。
とりたてて国内問題のはずが、なぜアジア近隣国からいらぬ批判、干渉を受けているのか。
(6)国のために戦った人にも、国民を戦争に駆り立てて主導したもの(A級戦犯)もいれば、ただ従った人(招集)、非戦闘員として命を落とした多くの国民(原爆犠牲)もいる。特に原爆犠牲の国民に対しての国の責任、配慮がその後の非核外交に十分にいかされているのか。安倍首相の戦争観には偏向がある。
第2次世界大戦を主導した日本の指導者は、かっては中国大陸に旧日本軍を侵攻させ植民地支配の中で多くの現地人に多大な被害と苦痛を与えたものだ。
(7)日本政府、安倍首相からすれば戦後交渉で謝罪、保障は解決済みとしていつまでその植民地支配の責任を問われるのかのジレンマ(dilemma)はあるのだろうが、現実(中国、韓国との対立)を直視するなら首相として尊崇の念の表現の仕方は別にあるはすだ。
首相としてそれに対抗するように公然と靖国参拝に固執する仕方は挑発的、意図的で、対話のドアは開けてあるという言葉とは裏腹の「あべこべ」の倫理観、論理、思考だ。