(1)ソチ・オリンピックが終わった。日本との時差が5時間程あって競技のメインイベントが日本の深夜ということもあり、オンタイムでの観戦はなかなか叶わなかったが日本代表アスリートはメダル8個と長野オリンピックの10個に次ぐ成績(ただし海外オリンピックでの最高記録)を残した。
しかし中身を見ると、その半分がスノーボード、ハーフパイプの近代種目でのメダル獲得でかっての金メダルも獲得したメダル常連のスピードスケートはメダルなしで、結局は19才のフィギュア男子の羽生結弦さんの金メダルに象徴される10代の活躍(15才のスノーボード男子ハーフパイプの平野歩夢さんの銀メダルほか)にスキージャンプ・ラージヒルの41才の葛西紀明さんにスキー複合個人ノーマルヒルの渡部暁斗さん、そしてスノーボード女子パラレル大回転の竹内智香さんの銀メダルの大会だった。
(2)メダルの色は別にして獲得確実と見られていたスキージャンプ女子、フィギュア女子はメダルなしに終わったが、パラドックス(paradox)としてアスリートのそれぞれの臆するところのない高い人間性が見られて、メダル以上の感動、感激シーン、醍醐味(greatest pleasure)を魅せられて、オリンピックはメダルだけではないことを広く知らしめる大会ともなった。
スキー女子モーグルの上村愛子さんは決勝でスピードだけならトップの成績ながら総合点で4位とわずかにメダルに届かずに、しかし全部やり終えたと笑顔で静かにオリンピックをあとにした。
オリンピックに出ていまさら臆するところなどないはずだ。人間が人間を評価するルールの競技で採点に不満、不服を示す国柄もあり、メダルだけがオリンピックゲームズでないことを潔(いさぎよ)く具現してみせた。
メディアの総評では、日ごろから海外ゲームに果敢に挑戦して技術向上ないしは海外に練習拠点を置いて、環境順応に取り組んだ強化方法の差が結果として種目の明暗に分かれたとあるが、勝つものがいれば必然的に負けるものもいるスポーツゲームではそうでない女神もいたのだ。
(3)しかしメダルまであと一歩のものも多く、入賞は28数とこれも長野オリンピック(33数)に次ぐ記録(ただし海外オリンピックで最高記録)となった。
特に今大会は10代の日本代表アスリートの活躍が目に付き、競技の将来性に大きな期待を持たせる世代交代も印象付けるものであった。
またその中でスキージャンプの41才の葛西紀明さんがラージヒルで銀メダルを獲得したのは、すべてのスポーツにわたってトレーニングの科学的、医学的、組織的開発(分析、検証、実証、サポート)効果によりアスリート寿命が各段に向上、持続している現代スポーツの傾向を象徴的に示したものだ。
(4)その中でのオリンピックでの10代の代表アスリートの活躍は競技アスリート人口層の厚さを示すもので、日本のスポーツにとっても持続可能性に大きい期待を持たせるスポーツ構造の発展性といえるものだ。
「心」さえ持続できれば、技術、能力を長く維持できるスポーツ環境にあり、今大会を最終目標としてきたアスリートの中にもまだまだ活躍できる人たちはいる。
(5)高橋大輔さん(27)は大会直前の足のケガで出遅れが伝えられてショートプログラムで4位、全体で6位入賞となったが、フリーのプログラム構成点ではトップを争う高得点で実力を証明し、浅田真央さん(23)は不本意のショートの16位からフリーではただひとり3回転半を跳び成功させてオリンピックで自身の最高点を更新して6位入賞を果たした。
ともに今後の去就はあきらかにしていないが、年令的にも「心」の持続が可能ならば(また日々の鍛錬が大変でもあるが)競技をリードすることは十分に可能だ。
(6)以前に国別メダル数の比較は意味のないものと書いたが、オリンピックの醍醐味が出身国アスリートを応援する密かな楽しみとするなら、それはゲームソフト感覚(olympic games has feeling of game soft computer)でいいのではないのか。
15才のアスリートの平野歩夢さんはどう見ても国のため、威信、名誉を懸けて思い込んで競技しているとは思えないし、かっての服装がどうのとかメダルを噛む行為がどうのこうのと組織的規制をしてアスリートをコントロールすることなどスポーツの醍醐味の前では意味もなく、日の丸をつけることと、国のため威信、名誉をかけることとは別次元のものと悟るべきだ。
しかし中身を見ると、その半分がスノーボード、ハーフパイプの近代種目でのメダル獲得でかっての金メダルも獲得したメダル常連のスピードスケートはメダルなしで、結局は19才のフィギュア男子の羽生結弦さんの金メダルに象徴される10代の活躍(15才のスノーボード男子ハーフパイプの平野歩夢さんの銀メダルほか)にスキージャンプ・ラージヒルの41才の葛西紀明さんにスキー複合個人ノーマルヒルの渡部暁斗さん、そしてスノーボード女子パラレル大回転の竹内智香さんの銀メダルの大会だった。
(2)メダルの色は別にして獲得確実と見られていたスキージャンプ女子、フィギュア女子はメダルなしに終わったが、パラドックス(paradox)としてアスリートのそれぞれの臆するところのない高い人間性が見られて、メダル以上の感動、感激シーン、醍醐味(greatest pleasure)を魅せられて、オリンピックはメダルだけではないことを広く知らしめる大会ともなった。
スキー女子モーグルの上村愛子さんは決勝でスピードだけならトップの成績ながら総合点で4位とわずかにメダルに届かずに、しかし全部やり終えたと笑顔で静かにオリンピックをあとにした。
オリンピックに出ていまさら臆するところなどないはずだ。人間が人間を評価するルールの競技で採点に不満、不服を示す国柄もあり、メダルだけがオリンピックゲームズでないことを潔(いさぎよ)く具現してみせた。
メディアの総評では、日ごろから海外ゲームに果敢に挑戦して技術向上ないしは海外に練習拠点を置いて、環境順応に取り組んだ強化方法の差が結果として種目の明暗に分かれたとあるが、勝つものがいれば必然的に負けるものもいるスポーツゲームではそうでない女神もいたのだ。
(3)しかしメダルまであと一歩のものも多く、入賞は28数とこれも長野オリンピック(33数)に次ぐ記録(ただし海外オリンピックで最高記録)となった。
特に今大会は10代の日本代表アスリートの活躍が目に付き、競技の将来性に大きな期待を持たせる世代交代も印象付けるものであった。
またその中でスキージャンプの41才の葛西紀明さんがラージヒルで銀メダルを獲得したのは、すべてのスポーツにわたってトレーニングの科学的、医学的、組織的開発(分析、検証、実証、サポート)効果によりアスリート寿命が各段に向上、持続している現代スポーツの傾向を象徴的に示したものだ。
(4)その中でのオリンピックでの10代の代表アスリートの活躍は競技アスリート人口層の厚さを示すもので、日本のスポーツにとっても持続可能性に大きい期待を持たせるスポーツ構造の発展性といえるものだ。
「心」さえ持続できれば、技術、能力を長く維持できるスポーツ環境にあり、今大会を最終目標としてきたアスリートの中にもまだまだ活躍できる人たちはいる。
(5)高橋大輔さん(27)は大会直前の足のケガで出遅れが伝えられてショートプログラムで4位、全体で6位入賞となったが、フリーのプログラム構成点ではトップを争う高得点で実力を証明し、浅田真央さん(23)は不本意のショートの16位からフリーではただひとり3回転半を跳び成功させてオリンピックで自身の最高点を更新して6位入賞を果たした。
ともに今後の去就はあきらかにしていないが、年令的にも「心」の持続が可能ならば(また日々の鍛錬が大変でもあるが)競技をリードすることは十分に可能だ。
(6)以前に国別メダル数の比較は意味のないものと書いたが、オリンピックの醍醐味が出身国アスリートを応援する密かな楽しみとするなら、それはゲームソフト感覚(olympic games has feeling of game soft computer)でいいのではないのか。
15才のアスリートの平野歩夢さんはどう見ても国のため、威信、名誉を懸けて思い込んで競技しているとは思えないし、かっての服装がどうのとかメダルを噛む行為がどうのこうのと組織的規制をしてアスリートをコントロールすることなどスポーツの醍醐味の前では意味もなく、日の丸をつけることと、国のため威信、名誉をかけることとは別次元のものと悟るべきだ。