いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

新聞のおわび。 apology by a newspaper

2014-04-19 20:02:05 | 日記
 (1)耳が聞こえない作曲家として注目を集めた佐村河内守さんがメディアで話題となって絶賛取り上げられたが、今年になって代作者が名乗りをあげて自らも認め謝罪をしたニュースは、メディア取材に衝撃的な教訓を与えた。

 興味本位に走るのはメディアの宿命としても、取材を通して真実、事実に迫る姿勢、検証は確証(convincing proof)を持ってこそ情報であり、報道の使命である。
 情報化時代の中で新聞はケイタイ、パソコン、アイフォーンのタブレット(tablet)文化のスピード化に押されて需要を減らして、世界的な経営難時代を迎えている。

 (2)新聞には情報量の多さ、分析、比較考証、解説力、記録・資料性とタブレット文化にはない優れた特性を持っているが、冒頭のような取材に対してこそ発揮されるべき特性がしかし切り込み不足と「情報」がタブレット文化の中で興味本位主体になって瞬時性、消えゆくものとして扱われて、新聞もその時代、社会の流れの中で迎合(flattery)してしまったようだ。

 見やすくするために文字を大きくしたのは高年令化社会の中でいいことではあったが、その分内容があいまいになり分析、比較考証、解説力の特性が劣化して「つまらない」新聞になったのは存在感を見失って新聞離れを加速させる要因でもある。

 (3)それでも新聞の真実性、事実性の高さは、社会風土の中でも信頼の置けるものである。けっしてタブレット文化のスピードに惑わされてはいけない取材の確実性(裏付け)、正確性がステータス(status)だ。

 (4)昨日のある新聞の片隅に「盲目の名歌手『ホセ・フェリシアーノさん』(68)がプエルトルコで交通事故のため死去」のニュースが写真付きで報じられた。
 グラミー賞受賞者でギターの名手としても知られて日本でもよく知られたビッグネームの歌手でもある。68才のまだまだの年令とはいえ、交通事故ではいたしかたないと驚いたものだ。

 ところが本日の同新聞の「おわび(apology)」で、実は亡くなったのはサルサ歌手の「チェオ・フェリシアーノさん」(78)だったというものだ。

 (5)ロイター通信配信の請負とはいえビッグネームの死去ニュースだ、確認の仕方はあったのではないのか。「おわびし、見出しとともに訂正します」と言われても、そうしかないと言っても、ビッグネームの死去ニュースだ、影響力を考えての慎重な確認、確証が必要だったのは言うまでもない。
 
 何が何でも早く知らせなければいけないというものでもなく、特に新聞の特性はより深い取材力、考察力による「読み応え」にある。

 (6)新聞の片隅に「おわびし、見出しとともに訂正します」では済まされない本人の名誉にかかわる不確実性(unreliability)だ。どうしてそうなったのかの分析、検証報告が必要だ。

 新聞経営難時代を迎えて世界的に全国紙が地方紙との取材、印刷タイアップ、連携に走って、独自観、取材特色を薄めているのは記事の不確実性の中にもあらわれて、この上新聞の真実性、事実性を失ってはメディアの特性が泣くというものだ。
 
 

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