(1)社内用語を英語に統一しようという話題が一時聞かれて、ユニクロ、楽天など企業幹部に多くの外国人を登用する企業で実施されることになったがその後あまり続く企業もなく、しかし大学では国際化にあわせて留学生の受け入れ確保のためにすべて英語で授業を行うという学部もあらわれて、あわせて秋入学を実施するという大学も出てきた。
世界で通用する英語を日常語として使用してグローバル化に順応しようという試みで、そこまで徹底しなくても英語に違和感なく日常生活に取り入れることは、そうしなくてもいいということにはならない利便性(conveniency)、国際化に対応した価値観はある。
(2)国柄によっては米国に対抗心の強いヨーロッパ、特にフランスでは英語が出来ても余程でない限りは自尊心の強いフランス人はフランス語を使うことが圧倒的に多い。
米国への対抗心と自国の文化、歴史に強い愛着と自負心、自尊心を持っている国民性のあらわれだろう。
日本語もトヨタの操業理念であるカンバン(kanban)商法や交番(koban)、ゼンガクレン(全学連)は希少な和製英語として世界に認知されているものもある。
(3)そこで米国生まれの長く日本の大学教授を務めた専門家が執筆した「驚くべき日本語」(集英社インターナショナル)で「日本語は潜在的には世界語として使われる可能性を持った言語として『日本の国際化は英語で始まるのではありません。日本語で始まるのです。』」(新聞掲載の同書評抜粋)と主張して、日本での英語偏重主義のアンチテーゼ(anti these)として目に付いた。
(4)日本人による同書評の中では「一部の大学や企業では互いに何を言っているのかじつはよく分からないくせに無理をして英語で会議をし、英語が得意でない政治家が見栄をはって海外で下手な英語を駆使してスピーチをするのがカッコいいと思われるご時世」(報道)と時代背景を分析している。
日本人に限らずに母国語(native tongue)を文化として誇りを持って自負心を持っているのは当然ではあるが、グローバル化した世界では多くの誰とでも意思や言葉を伝えるスキルを持つことは大切で重要なことだ。
その基本的なひとつが「英語」ということになる。
(5)英語とはまったく形態、文化の違う語彙(ごい)の日本人が英語を上手に話す、使うことができないのは当たり前のことであり、それでも何とか駆使して他国人とコミュニケーションをとることは見栄とかカッコ(格好)のためではないはずだ。
上手く使えないから使わないでは進歩も前進もない。日本語の特徴を高く評価してだから日本語しか使わないでは、あまりに内向きな偏向、消極性に映るだろう。
(6)同筆者の言うように「日本語の美をよく理解して世界語に使われる可能性を持った言語となる」のは非常に結構なことだが、日本人が下手な英語でも臆せず使うこともまた少しも不名誉なことではない(it doesn't brings disgrace to speaks poor english)。
世界で通用する英語を日常語として使用してグローバル化に順応しようという試みで、そこまで徹底しなくても英語に違和感なく日常生活に取り入れることは、そうしなくてもいいということにはならない利便性(conveniency)、国際化に対応した価値観はある。
(2)国柄によっては米国に対抗心の強いヨーロッパ、特にフランスでは英語が出来ても余程でない限りは自尊心の強いフランス人はフランス語を使うことが圧倒的に多い。
米国への対抗心と自国の文化、歴史に強い愛着と自負心、自尊心を持っている国民性のあらわれだろう。
日本語もトヨタの操業理念であるカンバン(kanban)商法や交番(koban)、ゼンガクレン(全学連)は希少な和製英語として世界に認知されているものもある。
(3)そこで米国生まれの長く日本の大学教授を務めた専門家が執筆した「驚くべき日本語」(集英社インターナショナル)で「日本語は潜在的には世界語として使われる可能性を持った言語として『日本の国際化は英語で始まるのではありません。日本語で始まるのです。』」(新聞掲載の同書評抜粋)と主張して、日本での英語偏重主義のアンチテーゼ(anti these)として目に付いた。
(4)日本人による同書評の中では「一部の大学や企業では互いに何を言っているのかじつはよく分からないくせに無理をして英語で会議をし、英語が得意でない政治家が見栄をはって海外で下手な英語を駆使してスピーチをするのがカッコいいと思われるご時世」(報道)と時代背景を分析している。
日本人に限らずに母国語(native tongue)を文化として誇りを持って自負心を持っているのは当然ではあるが、グローバル化した世界では多くの誰とでも意思や言葉を伝えるスキルを持つことは大切で重要なことだ。
その基本的なひとつが「英語」ということになる。
(5)英語とはまったく形態、文化の違う語彙(ごい)の日本人が英語を上手に話す、使うことができないのは当たり前のことであり、それでも何とか駆使して他国人とコミュニケーションをとることは見栄とかカッコ(格好)のためではないはずだ。
上手く使えないから使わないでは進歩も前進もない。日本語の特徴を高く評価してだから日本語しか使わないでは、あまりに内向きな偏向、消極性に映るだろう。
(6)同筆者の言うように「日本語の美をよく理解して世界語に使われる可能性を持った言語となる」のは非常に結構なことだが、日本人が下手な英語でも臆せず使うこともまた少しも不名誉なことではない(it doesn't brings disgrace to speaks poor english)。