(1)すごい先端的研究業績をあげる人にすごい人格、人間性まで求めることなど、ちゅっと慾張りでやはり無理もあるというものだろう。
人間そんなにあれもこれもというわけにはいかない。STAP細胞論文不正疑惑問題で揺れている理化学研究所で「研究室のリーダーら全員に義務付けられた研究不正防止などの研修」に同所から不正論文と決めつけられた問題疑惑の小保方さんを含めて対象者半数以上が参加しなかった(報道)ことが分かった。
同所によると「研究室は全国に散らばり、ベテランの研究者には『今さら聞くまでもない』との思いもあるのでは」(報道)らしい。情報化、移動高速化社会の中でこの方たちの社会通念はこの程度のものらしい。
(2)大学機関をはじめ研究機関での論文不正、盗用、研究費不正流用などの不祥事が相次いで発覚しているこの頃だ。STAP細胞論文では、論文執筆責任者が自ら意図的な(見やすい、比較しやすい)画像処理を認めて、これが不正(dishonesty)だとの認識になかった研究倫理観(compliance)の欠如を自ら認めて、これを調査、審査していた同研究所の当時の調査委員長(のちに辞任)にも同様の論文疑惑問題点が指摘されるという歯止めの利かない不正スパイラル(spiral)崩壊現象に陥っている。
(3)ベテラン研究者の「今さら聞くまでもない」権威主義(authoritarian)は、研究者の「自分こそが権威」の閉鎖的、孤立的、唯一的観念のあらわれであり、しかしそれが時には常識をも覆す突破力となって画期的な先端的研究成果に結びつくこともある、やっかいなものだ。
同研究所の理事長でもあるノーベル物理学賞授賞の野依良治さんは、かって島津製作所勤務の田中耕一さんがノーベル化学賞を授賞した際には田中さんをよく知らないとして、自分たちとは違う世界の人(趣旨)と評したことが今も印象的に残っている。
(4)そういう権威主義の人が代表を務める理化学研究所をはじめとする先端的科学研究分野、機関の「そういう」体質が近年の不正続出で社会から厳しく問われているのだ。
STAP細胞疑惑問題では同研究リーダーの小保方さんがさっさと登場して事情説明すればいいものを、もったいぶって隠れて(隠して)ようやく出てきたのはいいが、(画像の切り貼りなど)不正だとの認識はなかったとして今度は「STAP細胞はあります」と言葉で断言はするが時間は十分にありながらその科学的根拠は示さないという、支離滅裂現象だ。
(5)そこにきて、昨日はiPS細胞作製でノーベル医学生理学賞を授賞した山中伸弥さんの2000年に発表した論文の画像、図への疑惑騒動だ。
証明する根拠となる生データ(実験ノート)が保存されておらずに謝罪した。この場合は同研究成果が実存して現在も使用、活用されていることと、広く第三者により再現実験されていることなどから事実関係に問題はないものとみられている。
(6)人間には誤りはつきもので、それが取り返しのつくものか、つかないものかは大事な分岐点だ。
昨日の記者会見で山中伸弥さんは、責任、無念の思いか一瞬ぐっとこらえるものがあって言葉を詰まらせる場面もあったが、その後の研究成果の事実関係の正しさを見る限りは「堂々(in a dignified manner)」と謝罪するところは謝罪して、言葉を詰まらせることなく冷静に研究成果の「正しさ(rightfulness)」は正しいと主張してほしかった。
「事実関係」が見えないSTAP細胞疑惑との違いだ。
人間そんなにあれもこれもというわけにはいかない。STAP細胞論文不正疑惑問題で揺れている理化学研究所で「研究室のリーダーら全員に義務付けられた研究不正防止などの研修」に同所から不正論文と決めつけられた問題疑惑の小保方さんを含めて対象者半数以上が参加しなかった(報道)ことが分かった。
同所によると「研究室は全国に散らばり、ベテランの研究者には『今さら聞くまでもない』との思いもあるのでは」(報道)らしい。情報化、移動高速化社会の中でこの方たちの社会通念はこの程度のものらしい。
(2)大学機関をはじめ研究機関での論文不正、盗用、研究費不正流用などの不祥事が相次いで発覚しているこの頃だ。STAP細胞論文では、論文執筆責任者が自ら意図的な(見やすい、比較しやすい)画像処理を認めて、これが不正(dishonesty)だとの認識になかった研究倫理観(compliance)の欠如を自ら認めて、これを調査、審査していた同研究所の当時の調査委員長(のちに辞任)にも同様の論文疑惑問題点が指摘されるという歯止めの利かない不正スパイラル(spiral)崩壊現象に陥っている。
(3)ベテラン研究者の「今さら聞くまでもない」権威主義(authoritarian)は、研究者の「自分こそが権威」の閉鎖的、孤立的、唯一的観念のあらわれであり、しかしそれが時には常識をも覆す突破力となって画期的な先端的研究成果に結びつくこともある、やっかいなものだ。
同研究所の理事長でもあるノーベル物理学賞授賞の野依良治さんは、かって島津製作所勤務の田中耕一さんがノーベル化学賞を授賞した際には田中さんをよく知らないとして、自分たちとは違う世界の人(趣旨)と評したことが今も印象的に残っている。
(4)そういう権威主義の人が代表を務める理化学研究所をはじめとする先端的科学研究分野、機関の「そういう」体質が近年の不正続出で社会から厳しく問われているのだ。
STAP細胞疑惑問題では同研究リーダーの小保方さんがさっさと登場して事情説明すればいいものを、もったいぶって隠れて(隠して)ようやく出てきたのはいいが、(画像の切り貼りなど)不正だとの認識はなかったとして今度は「STAP細胞はあります」と言葉で断言はするが時間は十分にありながらその科学的根拠は示さないという、支離滅裂現象だ。
(5)そこにきて、昨日はiPS細胞作製でノーベル医学生理学賞を授賞した山中伸弥さんの2000年に発表した論文の画像、図への疑惑騒動だ。
証明する根拠となる生データ(実験ノート)が保存されておらずに謝罪した。この場合は同研究成果が実存して現在も使用、活用されていることと、広く第三者により再現実験されていることなどから事実関係に問題はないものとみられている。
(6)人間には誤りはつきもので、それが取り返しのつくものか、つかないものかは大事な分岐点だ。
昨日の記者会見で山中伸弥さんは、責任、無念の思いか一瞬ぐっとこらえるものがあって言葉を詰まらせる場面もあったが、その後の研究成果の事実関係の正しさを見る限りは「堂々(in a dignified manner)」と謝罪するところは謝罪して、言葉を詰まらせることなく冷静に研究成果の「正しさ(rightfulness)」は正しいと主張してほしかった。
「事実関係」が見えないSTAP細胞疑惑との違いだ。