いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

福島に戻る田中前委員長。 he goes home to iidate mura , fukushima

2017-09-21 19:45:18 | 日記
 (1)自民党長期政権下では原発推進と規制監督する両極の立場の業務を経産省内に置いて、原発安全神話のもとに日本の原発政策を推進してきた。
 東日本大震災での福島第一原発事故での安全管理の不足が指摘されて、安倍内閣になって原発規制監督する業務を原発推進する経産省から独立(independence)して原子力規制委員会を立ち上げた。

 (2)政府の原発再稼働を将来のベースロード電源とする方針にもとづいて、原発再稼働を政府が認めるのか、原子力規制委員会が認めるのかで互いに責任を押し付け合い、結局は原発推進する経産省から独立した原発規制監督する立場の原規委ではあったが、政府方針にもとづく既定路線の中で福島第一原発事故原因、被害住民の救済事業も進まない中で、彼らの言う世界でもっとも厳格な新規制基準にもとづいて原発再稼働審査を続けて再稼働を認めて(基準合格)きた。

 原発廃棄40年の原則もなし崩しにして継続を容認して、当初の目的、意気込みとはかけ離れた政府の原発再稼働政策を後押しする独立前の役割に立ち返っていた。

 (3)初代原子力委員会の田中俊一委員長は今月5年間の任期をまっとうして退任するのにあたり、虚偽報告などいろいろ問題のあった東電の柏崎刈羽原発についてそれまでの慎重な姿勢を転換して任期終了直前になって事実上の審査合格を主導して退任した。

 当初の原規委の意気込み、独立性主張をなし崩しにして政府方針に姿勢を転換させての原発再稼働容認前提の原規委運営となったのは、福島第一原発事故被害避難者がいまだに全国に多数残る中で原発規制監督に十分に応えられなかったことは問題を残していただけなかった。

 (4)田中前委員長は5年間の任期に「一点の曇りもない」(報道)と胸をはったが、当初の目的、結果には結びつかなかった。
 その退任した田中俊一前原規委員長は福島出身で、報道によると今後は福島第一原発事故の被害が大きかった飯館村に住居を移して「(規制委での経験を)福島の復興に役立てられたらいいと思う」(同)と述べている。

 (5)本ブログでは福島第一原発事故当時の民主党政権菅首相が事故直後に自ら東電本社に乗り込んで現場指揮をして、その後も同事故現場に上空から乗り込んでそれが同事故復旧に支障となったと批判を受けたが、その意欲、決意から首相退任後は福島に移り住んで復旧、復興に尽力すべきだと書いた。

 管さんはそうはしなかったが、田中俊一前原規委員長が今後飯館村に移り住むとすれば原発規制監督の前責任者として原発被害者に寄り添う見上げたすばらしい理性、精神性といえる。

 (6)田中前原規委員長が退任後にようやく解き放たれて、多くの国民が納得できる良識ある行動を示したことは意義がある。評価すべきことだ。

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