いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

日常と非日常  ordinary

2009-10-26 19:38:22 | 日記
 ファッション・ショーとモーター・ショーは、似たところがある。機能(function)
を、そのままではとても日常的には利用できない、「日常」と「非日常」でクロー
ズ・アップ、ショー・アップして魅せる。

 ファッション・ショー。色、素材(柄)をアーティスティック(artistic)表現で象徴
してみせることが戦略で、街着として着て歩く日常のクロージング・デザイン
(clothing design)がイメージできない。
 ショー・ビジネスと割り切っても、アーティスティックという、突拍子もない非
日常のデザインで誇張してみせて、「日常」で表現することのむづかしさ。

 大量生産、大量消費が主流のかってのモーター・ショー。すばらしいスタイル
のキャンペーン・レディが脇を固めて、最新のボディのビーイクル(vehicle)がス
ポットライトの光を放っている。
 日常、生活では使用するには、ちょっと手がでない。

 アパレル(apparel)は、消耗品として、限りなく実用化されて、今や、ファー
スト・リテイリング(retailing)が全盛の時代。

 今年のモーター・ショー。(プラグ・イン)ハイブリッド車(PHV)、電気自動
車(EV)と、低燃費、環境適応型がフロントを飾り、すっかり実用化した模様。

 消費者の「目線」(消費控え、低迷も含めて)が変えた社会ニーズ。

 アパレルも、ビーイクルも「考え方」次第。消耗品として、単年もので更新して
いくのか、「いい」ものを、長く使って、元をとるのか。

 車(ビーイクル)。点検と修理で1週間、家を離れることになった。ボディもし
っかりしていて、塗装も強固で、よく身の安全を守っていてくれている。
 それに応えるように、いつも慈(いつく)しんで、車に負担のかからない安全
運転を心がけてきた。

 そういう想いで、車を運転していると、不思議と危険がわずかのことで遠のいて
いくことがある。
 手許にいないと、どうしているのかなと、いうところまでいくと、車もそれに応
えてくれそうな気がするから、不思議。

 現実的には、運転技術そのものの問題なのだが、「無機質(inorganic matter)」
なものに、心かよわせる、想い、余裕が、人間ソフトを支えることがある。

 

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愛の力 - bonus track

2009-10-26 15:42:29 | 日記
 財津和夫さんのコラボレーションアルバム「ふたりが眺めた窓の向こう」の1曲
目に入っている「愛の力」です。
 よく会話の中では、愛の力というものはねと、普通に使う言葉。曲のタイトルと
なると、シャンソンあたりにでてくる、抒情的、慕情的な語感が文字にはある。
 音(話し言葉)にすると、けっこう強い響きがあって、重く存在感がある。

 キーボードのコードタッチ音ひとつ、ひとつで、語りだす歌。
 メイン・スコアをアコースティック・ギター1本にのせて、財津さんが歌い繋い
でいく。
 途中から、静かに深くキーボードがからんできて、詞のなかに繰り返しでてくる
「不思議な気持ち なにか変だよ」というまま、いきなり one way ticketの愛 
ですか。ただ、愛というよりは、もっとユニバーサル(universal:普遍的)な、
慕う愛、荘厳なバロック(baroque)シーンで終ります。不思議な気持ち。

     「愛の力」 (「ふたりが眺めた窓の向こう」より)

 今 なにをしているの 買い物かい 散歩かい
 それとも 君の好きな 読書かい

 ぼくは ただすわっているよ 窓ごしに空をみている

 不思議な気持ち なにか変だよ
 手をつなげない 君がいるなんて
 まるで地球がふたつあるみたい まるで君がいないみたいだ

 不思議な気持ち なにか変だよ
 君はそこだと 知っているのに
 口づけひとつ できないなんて まるで君が 他人みたいだ 

 愛の力とは よくいうけれど
 そんなものが もしなかったら だから 空で 君のことを
 抱きつづけていたい

 不思議な気持ち なにか変だよ
 ふたり ひとつの空に いるのに
 まるで 鏡の向こうのように まるで 世界がちがうみたいだ

 不思議な気持ち なにか変だよ
 だいじにしたい 出来たての 愛
 ぼくは ここだと 手をふったのに ひとの流れに 君は消えた

 はなれていては なにもできない
 ぼくは 愛の神様 じゃない だから そばで たしかめたい
 抱きつづけていたい
 

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ブレーク・スルー  break through

2009-10-25 19:56:30 | 日記
 感情的な対立から何も生まれない。たとえ一方が勝利しても、遺恨が残り終わり
のない対立が続く。宗教、貧困に根差した民族紛争、テロ思想が実証している。

 市民税10%減税、地域のことは地域に決めてもらう地域委員会の設立をテーゼ
として、51万人の圧倒的な市民の支持を受けた名古屋市長。
 公約(テーゼ)の実現をめぐる議会との対立が感情的なものとなり、平行線どころ
か、まったく論点の噛み合わないものとなっている。

 市民税10%減税をプライオウリティ(priority)とする市長に、議会は財源を正して
対立。
 政策の最優先課題として取り組む「プライオウリティ」ということになれば、その財源
の問題ではなく、その政策がプライオウリティになることにより、モスト・ビハインド
(most behind)の政策が何であり、それを今後どう対応するのかの問題。

 市民の支持、国政での民主党政権による政権交代をテコに、説明責任に配慮
のない市長のパーソナリティに対して、議会も横恋慕のような、いいがかりのまっ
たく論点の噛み合わない空虚な議会。

 市民が、脇に、忘れられている。

 市長の手法(パーソナリティ)に適応力(adaptability)のない独断性(dogma)が
あるとすれば、それを取り巻くスタッフはまったく機能していない。副市長、アド
バイザーも相当数、委嘱されている。

 議会も、プライオウリティ政策の財源に固執するという取ってつけた反抗ではな
く、包括的な政策論議の中で、正当な、前向きな議論を展開すべきだ。
 市民のための政策運営に責任をもつ、市長と議会が、感情的な対立をしている場
合ではない。消費低迷、景気悪化の経済不況の社会情勢だ。

 市長は、市民に情報公開を徹底し、問題点の説明責任を果たすべきだ。これに対
して議会は、こともあろうに、誤解を招く恐れがあると、市長の市民への説明責任
に異を唱える申し入れをした(さすがに、後になって、そういう趣旨ではないと修正)。
感情だけの、ゆきあたりばったりの対立が浮き彫りになっている。

 市長は、もうひとつのテーゼである、議会(議員)の定数、報酬の大幅削減の議
会提案をこの時に指示した、感情的な全面対立(議会解散)ではなく、市民に対す
る説明責任により、市民とともに民主的なステップでブレーク・スルー(break through)
することだ。

 ことに地方議会では、スケールが小さく話題性が限られるとはいえ、市民を忘れ
た首長と議会の感情的な対立が目につく。小さいことではない。
 市長と議会に対する市民のかかわりこそ、政治の、生活の原点、ドラスティック
ムーブメント(drastic movement)なのだ。

 


 

 

 

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秋深い、美辞、修辞。  this fall, rhetoric

2009-10-24 19:39:01 | 日記
 家屋が120m2、300万円と言われてもね。市民感覚とはかけ離れた格好つけ
(課税標準価)の資産公開みせられて、どういう評価をしていいものやらだ。
 透明性の高い大臣の身の回りの情報公開は、「生き方」の姿勢が「数字」で見え
て、スポンサー(sponsor)の国民には参考になる。

 「生き方」というのは、政治家に限らず、大切なヒューマン・ファクターで、「言葉」
より、「数字」で見えてくるものがある。
 示す「数字」が、生活実感をともなうものであることが真実。
 政治の世界では、「数字」が都合よくひとり歩きして、それを追認するかのよう
な政治家の都合のいい、言葉の美辞、修辞(rhetoric)。

 同じ言葉でも、こちらの美辞、修辞は、思い入れが、強い。
 ミュージシャン財津和夫さんの、僕のように曲をつくって、歌うものにとっては
、アルバムは思い入れがある。

 財津和夫さん、10月28日にコラボレーション・アルバム「ふたりが眺めた窓
の向こう」を発表をする。
 実は、今回、財津さんがこういうコラボレーション・アルバム(13曲中、4曲
がコラボ、共作)をつくるとは、思わなかった。

 一度解散(1989年)したチューリップの再結成コンサートを昨年2月に終え
て、これがチューリップのツアー・コンサートの最終章だと財津さんが表明して、
間を置かずして、3月から小ホール中心にステージと客席の一体感、コミュニ
ケーション・ソロコンサート「ライヴ&トーク」を始めて、今年、ソロアルバムづくり
も表明。

 その時は、私の中には、多分、財津さんは「こういう」アルバムをつくるだろう
なという、ひとつのコンセプトがあった。それは、今回、実現しなかったので、で
もきっと近い将来、「こういう」アルバムをつくるものと期待している。
 「どういう」ものかは、その時まで、私の心のなかにしまっておく。

 今、「こういう」アルバムを制作していたら、これからの財津さんの音楽シーン
をエポック・メーキング(epoch making)するものだったと思う。
 
 しかし、結果として、福岡の後輩ミュージシャン(飛鳥)、アマチュア時代から
のバンドの音楽志向で共有性をもつ長年のお付き合いミュージシャン(小田和正)
、他(富田京子、平原綾香)でのコラボレーションアルバムとなった。

 モノトーン、語り口、手づくりのソロアルバムということで、チューリップ時代
の1978年に発表した初めてのソロアルバム「宇宙塵」以来の、ほとんどのオー
ケストレーション(orchestration)の各パーツを財津和夫さんひとりで担当した
、その再現となる。

 チューリップに音楽上の一区切りをつけて、あたらしい音楽性を模索(groped)
する中での、パラドックス(paradox)に「原点回帰」するミュージシャン財津和夫
さんの、思い入れがある。
 

 

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もうひとつの宇宙。  another cosmos

2009-10-23 19:28:33 | 日記
 秋も、深まり、でしょうか。朝晩はそれなりに冷んやりしてきて、しかし、日中
はすばらしい秋晴れが続いて、ついつい日射の方に誘われていく。
 今年は、紅葉も例年より早く始まっているようで、奈良の室生寺あたりでは、
うねって続く、参道を覆う鬱蒼(うっそう)とした紅葉林ももうすぐ映えるだろう。

 桜井茶臼山では、3世紀末頃の古墳石室内の調査も再開され、「古代中国で
不老長寿の薬とされた赤色顔料、水銀朱」(報道)が全面に塗られていたことが
わかる。
永遠の命を祈願したものなのか。次世代へのメッセージも込められていたのか。

 21世紀の近代社会の人と草と土と空気の中で、未だに手つかず寝りつづけ
る日本の歴史の原点にふれると、古代の生活、社会がもうひとつの宇宙(cosmos)
のように見えてくる。
 福岡の太宰府では、日本最大の倉庫跡かという、石組みも発見されている。

 「今」の時代が、400年後、1000年後の後世紀の人、社会には、どう映って
いくのだろうか。

 (1)地球環境快適性の保存の努力が評価されて、地球は進化し続けている
のか。
生活、社会空間は、宇宙にも広がり、つぎつぎと未来型のマテリアル(material:
物質)が創造されて、情報化は高度を極め、月(luna)も生活空間となっているは
ずだ。

 (2)環境破壊が続けば、地球は確実に崩壊して、アクア化(aqua:大洋)し
、再び、アメーバ状態から、別次元の新人類が誕生していくのかもしれない。
 今の人類とはまったくつながりのない別次元のリサイクル(recycle:再循環)
人類の誕生か。

 3世紀と21世紀が同居している、今の日本の秋を想うと、極端なベクトルの
ふたつの次代への枢軸(axis)の岐路の中、守り、伝えたい未来が想えてくる。


 

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