大島渚さんは、私には映画監督以上にテレビのコメンテーター(commentator)としての存在感が大きい。絶えず批評精神(criticism spirits)を持って舌鋒鋭く主義主張を展開して、笑ったままの(ような)表情から一瞬にこわばった顔に移っての口角泡をとばすエキセントリック(eccentric)な話ぶりには、純粋性と演出性の区別がつかないほどの勢いがあった。
興奮しだすと抑えがきかずに、これでも分からないかというばかりに論争相手を罵倒して始末のつかない常連だった。最後は司会者に諭(さと)されて、やわらかい笑顔に戻ってのあたりさわりのない言葉でケリをつけていた。
演出というよりは純粋性、生真面目さがよくわかる表裏のない人柄がよく出ていて、その主張よりは表現、表情の激しさ、豊かさの方がインパクト(impact)があって、映像作家らしいという印象が強かった。
映画監督としての作品も「愛のコリーダ」(76年)、「戦場のメリークリスマス」(83年)に代表されるようにテーマ(theme)の社会話題性の方が前面に強く出る作風で、時代、文化、伝統、倫理の本質論を鋭く突いて深層真理を分からせようとした主義主張は、よく分からなかった。
メディアが映画全盛時代にも日本映画にさほど興味があったわけでもなくて、大島渚作品の社会話題性の高さの割には1本も観ていないからだ。
それでも「愛のコリーダ」のように日本映画の倫理観、規制の中で抵抗し、パラドックス(paradox)として早くから海外に目を向けてかえって海外での作品評価が高く、「戦場のメリークリスマス」では坂本龍一、デビット・ボウイと音楽界の当時中性的演出(化粧)効果で人気のミュージシャンを起用して、ホモセクシャルを題材にした映画製作で、社会話題性とともに海外の俳優起用、他国合作形式の映画づくりにも先駆けた先進性、革新性があったことは、この傍観者にもよく伝わっていた情報発信力はあった。
テレビのコメンテーターで見るように、いつも社会、時代、文化に対して怒り、抵抗し、そこに留まらずに反面(one side mirror)し、反逆していた激しさがその生き方からも伝わっていた。
その激しさと最後には垣間見せる笑顔の冷静さの対照(contrast)がわずかに大人の理性を感じさせるもではあった。
大島渚の語呂のいい名前風格とともに、いつもどこにいても存在感のある人生であった。その激しさが病気につながったのか、その激しさ、執念が一時は病気を克服して映画製作に向かわせたのか、80才で昨日永眠した。
時代と映画を激しく疾風のごとくに駆け抜けた80年の純粋で好奇、視野の広い問題提起の見事な人生観であった。
興奮しだすと抑えがきかずに、これでも分からないかというばかりに論争相手を罵倒して始末のつかない常連だった。最後は司会者に諭(さと)されて、やわらかい笑顔に戻ってのあたりさわりのない言葉でケリをつけていた。
演出というよりは純粋性、生真面目さがよくわかる表裏のない人柄がよく出ていて、その主張よりは表現、表情の激しさ、豊かさの方がインパクト(impact)があって、映像作家らしいという印象が強かった。
映画監督としての作品も「愛のコリーダ」(76年)、「戦場のメリークリスマス」(83年)に代表されるようにテーマ(theme)の社会話題性の方が前面に強く出る作風で、時代、文化、伝統、倫理の本質論を鋭く突いて深層真理を分からせようとした主義主張は、よく分からなかった。
メディアが映画全盛時代にも日本映画にさほど興味があったわけでもなくて、大島渚作品の社会話題性の高さの割には1本も観ていないからだ。
それでも「愛のコリーダ」のように日本映画の倫理観、規制の中で抵抗し、パラドックス(paradox)として早くから海外に目を向けてかえって海外での作品評価が高く、「戦場のメリークリスマス」では坂本龍一、デビット・ボウイと音楽界の当時中性的演出(化粧)効果で人気のミュージシャンを起用して、ホモセクシャルを題材にした映画製作で、社会話題性とともに海外の俳優起用、他国合作形式の映画づくりにも先駆けた先進性、革新性があったことは、この傍観者にもよく伝わっていた情報発信力はあった。
テレビのコメンテーターで見るように、いつも社会、時代、文化に対して怒り、抵抗し、そこに留まらずに反面(one side mirror)し、反逆していた激しさがその生き方からも伝わっていた。
その激しさと最後には垣間見せる笑顔の冷静さの対照(contrast)がわずかに大人の理性を感じさせるもではあった。
大島渚の語呂のいい名前風格とともに、いつもどこにいても存在感のある人生であった。その激しさが病気につながったのか、その激しさ、執念が一時は病気を克服して映画製作に向かわせたのか、80才で昨日永眠した。
時代と映画を激しく疾風のごとくに駆け抜けた80年の純粋で好奇、視野の広い問題提起の見事な人生観であった。