いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

大島渚と批評と反面。 force of criticism and one side mirror

2013-01-16 19:38:16 | 日記
 大島渚さんは、私には映画監督以上にテレビのコメンテーター(commentator)としての存在感が大きい。絶えず批評精神(criticism spirits)を持って舌鋒鋭く主義主張を展開して、笑ったままの(ような)表情から一瞬にこわばった顔に移っての口角泡をとばすエキセントリック(eccentric)な話ぶりには、純粋性と演出性の区別がつかないほどの勢いがあった。

 興奮しだすと抑えがきかずに、これでも分からないかというばかりに論争相手を罵倒して始末のつかない常連だった。最後は司会者に諭(さと)されて、やわらかい笑顔に戻ってのあたりさわりのない言葉でケリをつけていた。
 演出というよりは純粋性、生真面目さがよくわかる表裏のない人柄がよく出ていて、その主張よりは表現、表情の激しさ、豊かさの方がインパクト(impact)があって、映像作家らしいという印象が強かった。

 映画監督としての作品も「愛のコリーダ」(76年)、「戦場のメリークリスマス」(83年)に代表されるようにテーマ(theme)の社会話題性の方が前面に強く出る作風で、時代、文化、伝統、倫理の本質論を鋭く突いて深層真理を分からせようとした主義主張は、よく分からなかった。
 メディアが映画全盛時代にも日本映画にさほど興味があったわけでもなくて、大島渚作品の社会話題性の高さの割には1本も観ていないからだ。

 それでも「愛のコリーダ」のように日本映画の倫理観、規制の中で抵抗し、パラドックス(paradox)として早くから海外に目を向けてかえって海外での作品評価が高く、「戦場のメリークリスマス」では坂本龍一、デビット・ボウイと音楽界の当時中性的演出(化粧)効果で人気のミュージシャンを起用して、ホモセクシャルを題材にした映画製作で、社会話題性とともに海外の俳優起用、他国合作形式の映画づくりにも先駆けた先進性、革新性があったことは、この傍観者にもよく伝わっていた情報発信力はあった。

 テレビのコメンテーターで見るように、いつも社会、時代、文化に対して怒り、抵抗し、そこに留まらずに反面(one side mirror)し、反逆していた激しさがその生き方からも伝わっていた。
 その激しさと最後には垣間見せる笑顔の冷静さの対照(contrast)がわずかに大人の理性を感じさせるもではあった。

 大島渚の語呂のいい名前風格とともに、いつもどこにいても存在感のある人生であった。その激しさが病気につながったのか、その激しさ、執念が一時は病気を克服して映画製作に向かわせたのか、80才で昨日永眠した。

 時代と映画を激しく疾風のごとくに駆け抜けた80年の純粋で好奇、視野の広い問題提起の見事な人生観であった。

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自民党再生の規律、健全化。discipline & balanced resuscitation of LDPJ

2013-01-15 19:56:22 | 日記
 (1)衆院選で大勝した自民党(政権)は今夏の参院選というもうひとつのハードルを睨(にら)んで安倍首相は「古い自民党」には戻らないと盛んに宣伝しているが、一方では前民主党政権と同じことをやっていては何も変わりはないことになると言って、都合よく「古い自民党」の既得権益政治への政策回帰を進めている。

 衆院選大勝を背景として後者の方が本音なのだろう。かっての歴代自民党政権が既得権益保護のためにバラマキ公共事業を推し進めて、今や国家財政累積赤字額が1000兆円を超える先進国一の財政赤字国家だ。

 (2)前民主党政権は財政規律、健全化(finacial discipline and balanced resuscitation)のために国債発行(借金)を上限44兆円に限定したが、それによって政策実行率が下がって結果として財源不足によるマニフェスト(公約)破たんを招いた教訓もあり、44兆円にこだわらずに公共事業優先の緊急経済対策の財源として国債発行50兆円でデフレ脱却の経済再生を目指す。

 日銀に圧力をかけて物価指数上昇率2%を目標とする大胆な金融緩和策に公共事業復活による財政出動という「アベノミクス」への市場期待感で、80円台後半の「円安」、1万円台の「株高」効果を招いて景気不況の閉そく社会への反転攻勢はスタートした。

 (3)その余波か、韓国経済はウォン高に見舞われて好調の家電、IT、自動車などの輸出産業への影響が懸念されている。
 トヨタ自動車はハイブリッド(hybrid)、プラグ・イン・ハイブリッドの「技術革新力」で12年の世界販売台数で再び首位に立つことが確実になった。
 韓国、台湾に凌駕(りょうが)され続けている日本家電業界も、シャープの世界初の省エネ型「IGZO」液晶テレビ、独自のプラズマクラスターイオン搭載の空気清浄機ほかの「技術開発力」で業績回復のきざし、反転攻勢の機運も出てきた。

 技術革新力、開発力の優れた日本製造業の潜在能力の高さが業績回復力を後押しして、新年を迎えて日本経済にもあかるいきざし、光、環境が見えてきた。

 (4)そこへ今度は前民主党政権が地域主権改革として、使途を自治体の裁量に委ねた「一括交付金」を古い自民党が既得権益保護のためにとってきた国が使途を制限、限定する「ひも付き」補助金に回帰変更する。

 政府、官邸主導で経済再生をはかりたい安倍政権にとっては、①各自治体の自由裁量による個別の振興策よりは、国策として一貫した統一した経済効果をはかりたい思惑と、②地方、地域への政治的関与、権限を強めて、与党政治勢力の拡大、定着をはかりたい思惑の交錯だ。

 (5)前民主党政権の失政を背景とした「民主党と同じことをやっていては何も変わらないことになる」都合のいい「古い自民党」帰り路線だ。
 安倍首相(または自民党)の前民主党政権失政の反面教師として意識した強いリーダーシップ論の前面効果が今は好回転している政治、経済状況ではあるが、言葉とは裏腹な露骨な「古い自民党」回帰路線でもある。

 特に地方への「ひも付き」補助金復活に到っては、道州制など地域行政機構の改革を目指すならいざ知らず、震災復興で急務となっている地域の活性化を損なうものだ。
 財政規律、健全化と同様に自民党再生の規律、健全化(discipline and balanced resuscitation of LDPJ)も言葉ではなくて示さなければならない。

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成人年令の引き下げ論。 redutive theory of adult's age

2013-01-14 19:29:57 | 日記
 (1)暦の関係で今年は1月14日が成人の日だ。関東では大雪に見舞われて、振り袖着物にブーツスタイルの新成人もいた。式典が夏の盆の帰省などを利用してすでに終えているところもあり、祝日の中では内的、外的要因から一番意義、存在が希薄な祝日だ。

 今年の成人(20才 adult's age)は122万人(統計データ)でピーク時代からは半減して3年連続で総人口比率の1%未満となって、ますます存在感をなくしている。
 50年には人口比率40%以上が65才以上で占められる超少子高年令化社会を控えて、成人(20才)人口が100万人を割ることになれば、そちらのほうがインパクト(impact)、影響力の強い危機的人口データになる。日本国総人口8000万人時代だ。

 (2)20才を成人としたのは外国慣例踏襲の影響力があったのだろうが、日本には古来、平均寿命50才台時代の伝統文化、生活周期の中で15才元服(成人)という慣習があった。
 何才をもって成人(大人)として規定して、権利義務関係を派生させるのかは、いろいろの側面から近年、検討課題、話題になってきている。

 (3)政治無関心の無党派層を取り入れる思惑、党利党略から選挙投票権を18才に下げる考えは、インバランス(imbalance)な人口構成比率で右肩下がりで減少する若年層の意見、意思も比較平均値に取り入れる公平性、また権利義務関係を派生させることによって社会構成責任比率の均衡化をはかることからは妥当なところだ。

 一方で20才あたりの若年層の今や特徴としての社会行動の幼稚化、自立責任放棄(大勢ではないと確信している)が社会問題化して、現在の20才が法的、社会的権利義務関係にふさわしい責任行動を負える年代ではないとの意見も根強い。
 最も象徴的なのは、成人式会場での一部層ではあるが成人当該者による飲酒騒ぎ、意味のない式典妨害暴力行為などの無分別で幼稚な自己顕示欲、満足欲だ。

 (4)これを主張する人たちは、現在の成人は30才が適当とか適当な年代を位置づけてはいるが、どの年代層にも同じような構造、構成現象は垣間(かいま)見られて、40代でも親と同居、庇護の中で暮らすパラサイト・シングル(parasite single)現象(あくまで社会的構造問題ではなく、個人的無気力問題)も近年話題にもなっている。

 (5)法律で規定する成人は成育上の実体論ではなくて、法的、社会的権利義務責任論でのことだ。当該者が法的、社会的権利義務関係、責任を負えるのかの個人的資質の問題ではなくて、国が守るべき主権、人権、生活権に対して等しく負わなければならない構成年代層としての責任基準だ。

 (6)人生平均寿命80才台の時代ではあるが、人口構成比率からは圧倒的に少数層の若年層時代でもある。
 人口構成比率からも成人年令を下げて(reduction of adult's age)、等しく法的、社会的権利義務関係を比較公平にその責任を負い、若年層の意見、意思を反映して人格自立を促すことを支持したい。

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書物と電子書籍。 paper books and electron books

2013-01-13 19:39:22 | 日記
 (1)新聞の広告欄を見ていると、のべつ幕なく新書本の宣伝が目に付く。作家の才能には驚かされるが最近の傾向として、作家の写真入り(美女、美男が多くなった)、同職業人の推せん文、全国読者(時には書店関係者)の声、勝手に反響を盛り上げるドラスティック(drastic)な演出があふれている。

 宣伝だからコマーシャリズム(commercialism)の露出は当然だが、書物(paper books)は映像とは違うからあまり視覚、ドラスティックな興味本位にばかり訴えると「中身」への関心が薄れていく傾向はある。

 (2)書物(書籍)と映像(演出)の違いはともに視覚から入るものだが、「書物」は脳内蓄積量、刺激量が強く記憶力、思考力型であるが、「映像」は感覚刺激量、感情刺激量が強く感情力現在進行型である。
 新聞の新書本の宣伝は効果優先主義で映像スタイルをとって書物(書籍)スタイルを扱っているから、違和感が強い。

 数百ページにも及ぶ執筆という作家の大変な努力、精進を正しく伝えているとも思えずに逆効果ともなっている。宣伝謳(うた)い文句の大反響の根拠もわからずに、殺し文句だけで読者を踊らせようというような宣伝手法(advertising skill)は、脳内蓄積量、刺激量、記憶力、思考力型読者層には不向きだ。

 (3)近年出版物は氾濫してもベストセラー本、ミリオンセラー本はなく、ヒットランク本の上位は手軽なHow toもの料理本、健康本、タレント本で占められているのが現実だ。
 人間の関心、興味が通信技術革命(internet)で多様、スピード、広域性を持つようになって、情報単細胞の書物から情報多様、多量、スピードのタブレット(tablet)型(smart phone電子書籍化)に変化して、軒並み書店の経営も厳しくなって減少している。

 (4)書物(書籍)に替わるものとして情報量多様、多量の電子書籍(electron books)が出現したが、文化として定着する前にタブレット先進国の米国ではすでに電子書籍サービス業界が低迷、後退状態だと言われている。

 書物と電子書籍の比較優位性では、「電子書籍」の情報多様、多量、スピード、同時処理性の便宜さに対して、「書物(書籍)」には資料性、書き込み性、比較性、飛ばし読み性とかえって「加工性」の強みがあって、時には装飾性、足場土台(踏み台)性などの実用型利用付加価値性も高く、書物と電子書籍の棲(す)み分け、両立性はあった。

 (5)書物も電子書籍も文字を視覚から取り入れるものだが、脳内蓄積量、刺激量(書物)と感覚刺激量、感情刺激量(電子書籍)の基本的な神経細胞作用の違いがあって、実は異なる文化だ。

 書物の特殊な「加工性」群を見ても、人間の「能動的」な知識欲、学習欲を喚起するもので、文学としての書物の優位性(priority)は変わらない。そして、「受動的」なタブレット文化には時代環境、社会性に即応した利用価値は当然ある。

 (6)昨年、ノーベル文学賞の有力候補として村上春樹さんが注目されたが、世界的に数多く翻訳された実績、人気からして、後世に文豪として名を残すことになるのか、現代文学での文豪不在が続く。

 文豪というのは、後世の評価に待つものかもしれないが、今でも心に残る書物(書籍)では夏目漱石「こころ」(岩波「読者が選ぶこの1冊」)が1位になるなど、到底現代作家、文学は太刀打ちできない。

 (7)冒頭のようにメディアがドラスティックに盛り上げる宣伝手法の現代書物の姿こそが、文学の「あるべき姿」を見失っているということだ。
 書物、文学は脳内蓄積量、刺激量の強い記憶力、思考力型文化である。

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10兆円の緊急経済対策。 urgent economic policy in 10 trillion yen

2013-01-12 19:47:11 | 日記
 (1)まずはお手並み拝見の安倍政権がデフレ脱却の経済再生を最優先課題(priority policy)として13兆円規模の補正予算とあわせて、10兆円規模の「緊急経済対策(urgent economic policy in 10 trillion yen)」を閣議決定した。

 ほぼ半分近くの4.7兆円を公共事業費に割り当て、専門家からは持続可能な雇用拡大につながらない中身のないバラマキ公共事業との評価もあり、経済効果に疑問視する声も聞かれる。このまま終われば09年に否定されたあのかっての長期自民党政権時代と同じだ。

 (2)当初、財務省は「補正予算で使える金額は2~3兆円」と予防線を張っていたが、自民党の経済再生路線による衆院選大勝を背景としたまずは前民主党政権との違いを強調したい自民党連立政権の、後に引けない公約実現決断に押し切られての大型経済対策となった。

 このための財源となる国債発行(財政赤字)は、前民主党政権が国際公約としていた上限44兆円を超えて50兆円規模に膨(ふく)れて、国債残高は先進国で最悪(1000兆円超)となった。
 麻生副総理、金融担当相は、44兆円にこだわっていては前政権と何もかわりはないことになる(インタビュー)と自公連立政権による経済再生に強い意欲を示した。
 
 ①09年の民主党政権も同じように国民の圧倒的支持を受けて本格的政権交代を果たしたが、公約の「政治主導」の推進にこだわって政府機関、官僚との協調、協力関係を排除して政治家主導に極端に偏(かたよ)ったたために、結果として政策実行、具体化に弊害が出て衆院選大勝を背景とした政治効果をあげることが出来なかった。
 本来、政府機関が行うべき細かいデータ分析、計算まで政治家(副大臣)が担当して激務は大変なものだったと言われている。
 自民党連立政権は、一応は財務省の抵抗を前民主党政権とは違う、大勝を背景とした「次元の違うレベル」の財政運営方針で押し切った。

 ②そもそも1000兆円を超える先進国最悪の累積財政赤字の根源は、かっての長期自民党政権の政治責任、遺産である。
 このもうひとつの「次元の違うレベル」の財政赤字への財政規律、健全化財政責任、対策も重要であり、計画的、時限的、累計的、効果的な財政健全化展望も示さなければならない。
 現在、国債の95%近くが国内金融機関でまかなっておりEU財政金融不安とは背景が違うと言われているが、このまま国債発行が増加の一途を辿(たど)れば国際信用力を失い財政不安、破たんも招きかねないことになる。

 ③この累積1000兆円を超える財政赤字の健全化をどの世代が担(にな)うのかは問題だ。先送り先送りの結果として、先進国最悪レベルに到達した世代層が全面的に責任を負って次世代に先送りしないことが必ずしも正論ではない。
 前民主党政権が債務を次世代に先送りしないとしてデフレ、円高(当時)不況、震災社会の中で国民の過半数の反対を押し切って14年度からの消費税引き上げを決めたのは、政策優先順位のとり間違いだ。
 麻生副総理、金融担当相の、そんなこと(国債発行上限44兆円)をやっていたら前政権と何もかわりがないことになるという発言は、長引くデフレ不況の経済再生には一定の理解はある。

 (3)ただし、大型補正予算、緊急経済対策で経済再生を目指すなら、対峙する財政規律、健全化財政への指標展望(characteristic observation)も示さなければならない政治責任はある。

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