いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

最高裁の自己批判。 self criticism of the supreme court

2014-07-25 19:54:52 | 日記
 (1)市民が裁判に関わるのは裁判員裁判よりは検察審査会のようなチェック機関がふさわしいと書いたが、裁判員裁判による1才児虐待死事件での「求刑の1.5倍」の罪刑判決に対しての是非について争われた上告審判決で最高裁(the supreme court)はこれを「不当」として破棄しいづれも求刑どおりの判決(報道)を言い渡した。
 
 裁判に「市民感情(civilian feeling)」を入れて、いかして社会正義のパラダイム(paradigm)をより現実的に判断しようという大義名分ながら、実は複数の公判を同時に抱える裁判官台所事情の解消のために取り入れられたのが裁判員裁判制度だ。

 (2)法科大学院設置のうえ新司法試験による裁判官の育成が思ったほど合格率があがらずに思惑外れに終わり、10年連続で犯罪が減少しているとはいえ日本も個人権利、社会利益保護主張を裁判で争う傾向が増えて比較裁判官不足が司法課題ともなっている現実だ。

 冒頭の裁判員裁判「求刑の1.5倍」の罪刑判決に対して争われた上告審で、最高裁は「他の裁判結果との公平性が保たれた適正なものでなければならず」(報道)と判例比較を重要視してそのうえで「従来の量刑傾向を前提とすべきではない事情が具体的、説得的に示されるべきだ」として「1.5倍」の判決が「具体的、説得的な根拠が示されているとは言い難く甚(はなは)だしく不当」(同)としてこれを破棄した。

 (3)つまり司法シロウトの「市民」に裁判参加を求めて、現実社会での社会正義の「市民感情」を裁判にいかそうという裁判員裁判制度に極めて高度の専門的な司法判断、理由、説明を強く求めるという相矛盾した最高裁の裁定だった。

 もちろん裁判員裁判といえども人の未来の方向性を決める決定的な司法判断をするわけだから、罪刑の根拠判断、説明に甘いものがあっていいというものではない。パラドックス(paradox)としてそれが市民が裁判に関わる方法としての裁判員裁判の不適性を示すものだ。

 (4)そのために裁判官も同時に裁判員裁判に参加しているわけで、そこで総合判断した判決に対して経験も知識もあるそして専門教育を受けた裁判官と同じレベルの高度に専門性の高い「司法判断」を求めるということになると、当初の高度な専門性、経験、知識、教育に頼るだけでない社会正義の現実的「市民感情」を裁判にいかすという大義名分に反する、最高裁の「自己批判(self criticism)」という判断になる。

 国民の中からアットランダムに選ぶ裁判員に司法の高度な専門性、経験、知識、教育を求めるなどできないのが裁判員裁判の制度だ。

 (5)最高裁は過去の判例、量刑傾向を共通認識として評議を深める(報道)ことを求めているが、そもそも裁判員裁判制度はそういう従来の裁判官のプロ意識に対して「市民感情」であたらしい司法判断に風穴を開けようというのも趣旨ではなかったのか。

 そうでなく今回の最高裁が言うような司法論展開では、やはり経験も知識も判断、専門教育もある裁判官で公判を維持すべきだとなる。

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メンツ対立。 opposition for save own face

2014-07-24 19:49:11 | 日記
 (1)政治とくに外交というのは非常にメンツ(save own face)にこだわる性質を持つ。相手の中身の変化、変更は簡単ではないからそれは置いといても、とにかくメンツにこだわる。
 中国や韓国は旧日本軍によるアジア植民地支配による日本の占領政策責任を現首相の安倍首相に求めて、当時の戦争主導責任者(A級戦犯)が祀(まつ)られている靖国神社参拝に強く反発し抗議している。

 昨年秋の安倍首相の靖国参拝を受けて日中韓3国関係が首脳就任以来いまだに首脳会談も行えない極度の外交対立、不信に陥(おちい)っている。

 (2)現在舛添都知事がソウル市長との会談のため訪韓中で、朴クネ大統領との会談を調整中といわれて、11月には中国で開催されるAPECで安倍首相が日中首脳会談の実現を強く目指しており、日中外務省幹部が話し合い(接触)を続けているニュースも聞かれる。

 この接触の中で中国外務省は安倍首相が再び靖国参拝をしないようくぎを刺した(報道)といわれる。
 中国が日中首脳会談を開催する条件として尖閣諸島領有権問題の「棚上げ」に固執していると安倍首相が自ら認めている。

 (3)中国とすれば安倍首相がどういう政治家で考え、理念、信念、信条を変えなくても、靖国参拝をしないことを認めればそれでいいのか、非常に型(服従)こだわったメンツ外交でしか見えない。

 領有権問題は別にしても、靖国参拝をしないことを表明することについては「心」の表明の問題であり、それで仮に日中首脳会談が開催されるのであればメンツにこだわる必要もない「心」の問題であり、時、所を変えても追悼は可能だ。

 (4)過去歴史の問題ではあっても日本(旧日本軍)によるアジア植民地支配により原住民に被害を及ぼしたことは間違いない(河野談話維持)のだから、その後の関係改善のためには日本が「心」の問題として譲歩することはあって当然のことではないのか。

 訪韓中の舛添都知事が明日、朴クネ大統領と会談する(報道)ことが固まった。韓国大統領府の発表では日韓関係改善に向けての配慮、対応ということのようだ。
 振り上げた拳の落とし所がなかなか見つからずに、韓国大統領が都知事と会うという異例な自体が日韓関係を何とか打開したいとの思いのあらわれでもある。

 (5)靖国参拝にこだわる安倍首相でなければ会うというメンツ外交だ。仮に明日の舛添都知事と朴クネ大統領の会談が実現しても朴大統領は原理原則論を崩さずに、結局は日韓関係改善は安倍首相の「態度・メンツ」にかかわることに変わりはないだろう。

 あとは「ボールは投げられた(thrown ball)」のだから安倍首相の「本気度」が試されるというものだ。
 
 (6)こちらの話し合いのドアはいつも開いているという安倍首相の外交辞令ではなく、「心」の問題としてメンツを捨ててでも日韓首脳との話し合い関係改善に向かうのか、今年後半にかけての安倍首相の「心」の問題として政治環境を整える機運はうかがえる。

 中国、韓国ともに連携を深めて日本の領有権問題、歴史認識問題で原理原則論の主張をくり返して日本を強くけん制している。
 漏れ聞くところでは、領有権問題での棚上げ(日本の領有権、実効支配の後退)と歴史認識問題での責任謝罪という日本にとっては、ともに受け入れがたい首脳会談開催条件のようだ。

 (7)首脳同士の話し合いはとにかく必要だといっても、その先ただ話し合ったからといって懸案課題、問題の解決に向かう保障はなく、日本だけが譲歩、不利益というわけにはいかない事前交渉もある。

 日中韓3国首脳のメンツをどうとりつくろい、あるいは放棄させるのか、投げられたボールの思案は続く。

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野党の存在感を取り戻す。 it recover the existential opposition party

2014-07-23 19:58:42 | 日記
 (1)憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、いまや支持率が軒並みヒト桁台の前半で存在感(existential)、影響力がまったくない野党は論戦にも入れてもらえずに与党協議だけで閣議決定し、国会審議もとってつけたような衆参各1日という安倍内閣、与党主導のままいつしか終わってしまった。

 せめてカヤの外からでも憲法論議に歴史的、理論的、比較考証による厳しい指摘、発信を続けて世間の耳目を集めるような存在感だけでも示してもらいたかったが国民的論議も起こせずに、野党不在の政局だけが強調されたものとなった。

 (2)メディアはさすがに政局危機感を抱いたのか、「1強多弱」の中での野党再編をテーマに各野党代表のインタビューを載せているが、①政策一致が大前提から②野党第1党民主党の一部を取り込んだ第3極勢力の結集、③政権打倒の一点で共闘、④基本政策が違えば党だけが一緒になっても意味はない、⑤政策ごとのパーシャル協力(parcial joint)まで虚弱同士とはいえそれぞれの存在意義だけはそれぞれの立場を堅持して、これでは野党再編など夢のまた夢という現実を思い知らされるばかりのものだ。

 (3)数年前には本格的政権交代を果たして今は虚弱野党のそれでも第1党の民主党は、このままではますます存在感がなくなり国民的関心まで失うとして来年9月までの党代表任期を前倒しして、今夏にも代表選を実施する声が起きている。

 「表紙」を変えるだけの立て直しでますます最悪シナリオの深みにはまっていった長期自民党政権の末期とその後の3年半の民主党政権の末路と同じで、ともに失敗した政治理念、政権運営、政策見直しの検証、考察がなされて反省のもとにあたらしい政治理念、政策のあり方が示されたのか、どこにもそんな「形跡」、提示はない中で今また「表紙」のすげかえだけの貧弱な対応だけでしかも党内対立が続くという有り様だ。

 (4)極端にいえば「表紙」などどうでもよくて、組織改革、理念、政策、実施方法の見直し、提言が深い党内議論の繰り返しの中で練られて、高い理想のもとに政府と対抗できる政策集団に進化させる必要があった。

 09年の本格的政権交代の民主党政権マニフェスト(manifesto)の公共事業の見直し、行政刷新、高速道路無料化、高校授業料無料化、子ども手当などの革新的な政策理念(方向違いもあるが)は、これまでにない理念性、革新性、国民目線が感じられて政治が理想論(ideality)に目覚めた瞬間でもあった。

 (5)残念ながらというか無責任というべきか、財政的裏付けのない空想論に終わってわずか3年半で自滅してしまったが、今こそ野党第1党として当時の政治理想論に燃えて政府に対抗できる政策論争でこそ「存在感」を示すべきことが野党再生の方法論の道だ。

 失われた3年半の検証、反省もなくして「表紙」だけにこだわっても国民の関心は遠く、相手にされないだろう。
 危機感の中で野党再編のための党内政策論議をじっくり、手間ひまかけて行い、日本のため国民のための高い理想論に立った政治理念、政策を示すべきだ。

 (6)そして政府と政策論争を通して野党の存在感をとり戻さなければならない(it recover the existential opposition party)。

 

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国連改革と安倍歴訪。 UN innovation and abe diplomacy of a bird's eye view

2014-07-22 20:11:46 | 日記
 (1)別に首相の外国訪問数を競っても何のおもしろ味もないが、地球俯瞰外交(diplomacy of a bird's eye view)を掲げる安倍首相が今月末からの中南米訪問に続いて9月に南西アジア歴訪で就任1年9か月で49か国を訪問して、日本の歴代首相の中で小泉元首相の48か国(5年5か月)を抜いてダントツで単独トップとなる。

 足元の隣国中国、韓国とは3か国首脳がともに就任以来領有権、歴史認識問題の外交対立、あつれきが続いて、一度も相互訪問、会談さえも行われない異常事態が続いており、結果として日本の立場を説明して国際的理解と協力を求める中国、韓国包囲網外交戦略とならざるを得ない。

 (2)その外交成果はいかばかりのものかは、すぐには目に見えてフィードバックしてはこないが、首脳同士が直接会って話し合うことは国際協力、協調社会の中では大切なことであり、予算、目的、意義、時間と可能な限り外国訪問をくり返すことは意味も意義もある。

 政府専用機一人占めでの外遊で、われわれ民間人の狭苦しい座席でのかしこまった旅行とは比較すべきもない余裕、快適の外遊だが、それでもそろそろ安倍首相も60才に近づいて時差の解消、気候変化、環境順応、健康管理などこうも頻繁な地球俯瞰外交になるといらぬ心配もして、よほど航空機の移動が苦にならずに環境適合力もあると思わざるを得ない安倍首相のタフさだ。

 (3)そろそろその外国歴訪の成果もみせてほしいところだが、北方領土返還問題でここ1,2年で5回も会っているロシアのプーチン大統領はウクライナ問題で欧米各国との対立激化、経済制裁を受けて、その西側先進国に位置する日本としては逆に身動きのできない状況に置かれている。

 TPP交渉でも加盟個別国との話し合いは進んでも肝心の米国との交渉が暗礁に乗り上げて先送り、未解決のままだ。G7,G8を取り巻くウクライナ、イランなど重要な国際問題、課題で直接当事国でない同グループの日本がその立場をいかして調停、話し合いに乗り出す機会もなく、逆に日本と北朝鮮の両当事国問題である拉致被害者救済については米国から安倍首相の北朝鮮訪問には事前の相談を求められるなど、地球俯瞰外交の安倍首相としてはなかなか影響力を示すことができないでいる。

 (4)外交は成果がでればそれにこしたことはないが、それでもまずこちらから出かけて行くことに意義があり、ただしその「中身」については国民に分かりやすく情報公開をして透明性を持たせることが必要だ。

 ODA(政府開発援助)など多大な資金援助が無原則に行われて、仮にそれにともなう密約などあっては将来にわたって国民に不利益と負担を強いることにもなり、国民監視は必要だ。

 (5)今回の7月下旬からの中南米訪問ではブラジルと連携して、国連安保理の常任理事国拡大(5か国から11か国へ)の国連改革(UN innovation)の提案方針を表明するといわれている。

 平和憲法のもとで軍事力による国際貢献は完全に制限されている日本だが、唯一の戦争被爆国として世界平和、安全保障に発言力を持つことは意味も意義もあり、国連改革実現に向けてここは安倍首相の地球俯瞰外交の成果の見せどころでもある。

 (6)現在の安保理常任理事5か国の安全保障既得権益寡占の意思は強固だが、国連の存在感も含めてその安保理体制の限界もすでにあきらかとなっており、ドイツ、インドを含めて日本が中心となって国連改革(常任理事国11か国拡大提案)成立に向けた国連加盟国3分の2以上の賛成確保に安倍首相の地球俯瞰外交の成果を発揮する時だ。

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明治100年の民法。 the civil law has 100 years more from meiji

2014-07-21 20:02:50 | 日記
 (1)現在ではちょっとわかりにくい法律論ではあるが、DNA鑑定で実父子の関係がないことが判明した場合でも法律上の父子関係は取り消せないとの判決が最高裁ではじめ示された。民法上、実関係よりも法律上の関係を優先する養子縁組はある。

 DNA鑑定は「本人」であるのかの科学的根拠、証拠を示すものとして近年は極めて高い精度、確率で信用性、信頼性が保証されて、身分関係を規律してきた。犯罪捜査や親子関係の係争でも精度の高い証明力が社会的認知を受けている。

 事情により親子関係を維持したい場合に、DNA鑑定による親子関係がないと判明しても子どもの生存権を保護、保障するために親子関係を取り消せないとの最高裁の思いやり判断だ。

 (2)明治時代に制定、施行された民法は、親子関係の血縁(blood relation)を保障する有効な鑑定方法もない時代に「妻が結婚中に妊娠した子は夫の子と推定する」(民法772条)と規定しており、現在のDNA鑑定による科学的実証性の高い中でも実関係よりも法律にもとづいた法律解釈上の親子関係を優先させる判断を最高裁は示した。

 それでも5人の裁判官のうち3人が同意見を述べ、2人が反対意見を述べる(報道)という議論を2分する中での「多数意見」による最高裁判決となった。

 (3)法律条文適用が司法の判断義務からすればそういうこともあり得る許容範囲のものだが、明治時代の社会背景、事情の中で制定、施行された民法が100年有余を経て(the civil law has 100 years more from meiji)その後の近代化、科学、情報化社会の中で有効に適合しないまま現在も改正されることなく、法律として効力を持続していること自体が社会的、法律的問題となっている。

 今回の判例は法律論にもとづいて子どもの社会的権利を保護、保障しようという裁量権があって救済措置として評価できるものではあるが、近代化社会では高い科学的鑑定結果(DNA鑑定)による情報信用性が実親子関係の判定を証明できる社会能力を備えており、それをまったく無視して明治時代からの100年有余の法律論を適用、駆使するだけでは極めて真実性、整合性、合理性を欠くものといえる。

 (4)今回の最高裁裁判官の判断も2分するに近いものであったように、これまでも指摘されているように「古い」規範のままの民法が近代化社会の個人、民間人の権利義務関係に見合った法律関係、裁定に適用できる改正(the civil law revision)が必要だという司法限界を示すものだ。

 実親子関係はDNA鑑定結果で正当に保護、保障して、法律上の保護する親子関係は不利益にならないように保障をはかる社会正義パラダイム(paradigm)の確立が必要だ。
 そうでなければ「現実」と「法律」が遊離してまことにわかりにくい不自然な法律論、司法判断の展開をせざる得ない不都合が出る。

 (5)明治時代制定、施行のままの現行民法は時代への適用性に問題があるのが必然で、司法(最高裁)はそういう背景も指摘して司法判断の健全化のための早期改正を促すべきであった。
 そういう「3対2」の判例の意味だ。

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