(1)72年の沖縄返還を巡る核の持ち込み、米軍基地経費の負担増など日米密約(secret treaty)があったことは米国公文書公開によりあきらかになっているが、日本側に密約文書が残っていないことから政府は正式には密約があったことを認めていない。
理論的には外国公文書への作成責任は他国が保証などできないし、する筋の話ではない。日米間公文書は両国が同一文書を保持、保管することによって相互の意思決定、立証能力が発生するものとなる。
(2)米国公文書公開制度により発覚した日米密約について、当時スクープにかかわった新聞記者などが日本側の同文書の開示を求めていた裁判は、1審が「密約の存在を認めて文書の開示を命じ」、2審は密約の存在は認めたが同文書がすでに廃棄された(abandoned officiall document)として「(関係省の)不開示決定の時点で文書はなかった」として1審判決を取り消した。
最高裁は14日に判決を下すが、司法手続きからは2審判決を支持して確定することが確実(報道)になった。
(3)事実関係と理論的な司法判断筋道の展開とが微妙に交錯せずに、歴史的事実関係が「存在」しながら立件証明が闇の中でほおかむり去られる不条理、不合理性(unreasonableness)だ。
報道によると日米密約文書の日本側の「存在」は、08年の外務、財務省への情報開示請求の際の第三者委員会による調査ですでにその時点で廃棄されて「存在しない」可能性が高い(間違いない)との判断のようだ。
(4)密約文書が日本側に「存在しない」以上、同文書開示の訴えの効力がないことになる。非常に政府機関にとっては都合のいい密約隠し、責任逃れの手法で許されるものではないが(公文書廃棄の行政責任はある)、開示請求には応えられない。
特定秘密保護法による機密隠し、情報不開示を先取りしたかのような当時の政府機関のあってはならない不祥事、保身であり、今後は特定秘密保護法による堂々とした国家機密、秘密隠しが横行することが危惧される。
(5)情報公開が基本原理の民主主義にあって、それに逆行する国家情報管理、官邸主導主義の危うい行政、司法事例といえる。
現在の司法は「状況証拠」による立証手法も判例として示されており、踏み込んだ国の責任について判例を示してもよかったのではないのか。
米国公文書の公開制度で日米密約文書の存在したことは周知の事実であり、日本政府機関の同文書廃棄を受けて「密約が存在した」事実関係について国、政府に「告知」する責任を求めることはできなかったのか。非常にもどかしいものがある。
(6)これでは証拠文書を廃棄さえすれば事実にほおかぶりすることができるとして、こんなことを許していたら社会正義のパラダイム(paradigm)が崩壊することになる。
そういう意図的な作為的な「不正」に対して事実関係の究明を質すのが司法の使命、役割である。ここは大胆に政府、行政に対して国民への説明責任をはたすべき司法判断を示してほしいものだ。
(7)これからは特定秘密保護法による国家機密、秘密不開示に対する国民不利益を訴訟により回復する事例が増えることが予想される。そうでなければ国民主権、民主主義、立憲主義は守れない。
司法判断に頼るものであり、行政に踏み込んだ大胆な司法判断が求められる。
理論的には外国公文書への作成責任は他国が保証などできないし、する筋の話ではない。日米間公文書は両国が同一文書を保持、保管することによって相互の意思決定、立証能力が発生するものとなる。
(2)米国公文書公開制度により発覚した日米密約について、当時スクープにかかわった新聞記者などが日本側の同文書の開示を求めていた裁判は、1審が「密約の存在を認めて文書の開示を命じ」、2審は密約の存在は認めたが同文書がすでに廃棄された(abandoned officiall document)として「(関係省の)不開示決定の時点で文書はなかった」として1審判決を取り消した。
最高裁は14日に判決を下すが、司法手続きからは2審判決を支持して確定することが確実(報道)になった。
(3)事実関係と理論的な司法判断筋道の展開とが微妙に交錯せずに、歴史的事実関係が「存在」しながら立件証明が闇の中でほおかむり去られる不条理、不合理性(unreasonableness)だ。
報道によると日米密約文書の日本側の「存在」は、08年の外務、財務省への情報開示請求の際の第三者委員会による調査ですでにその時点で廃棄されて「存在しない」可能性が高い(間違いない)との判断のようだ。
(4)密約文書が日本側に「存在しない」以上、同文書開示の訴えの効力がないことになる。非常に政府機関にとっては都合のいい密約隠し、責任逃れの手法で許されるものではないが(公文書廃棄の行政責任はある)、開示請求には応えられない。
特定秘密保護法による機密隠し、情報不開示を先取りしたかのような当時の政府機関のあってはならない不祥事、保身であり、今後は特定秘密保護法による堂々とした国家機密、秘密隠しが横行することが危惧される。
(5)情報公開が基本原理の民主主義にあって、それに逆行する国家情報管理、官邸主導主義の危うい行政、司法事例といえる。
現在の司法は「状況証拠」による立証手法も判例として示されており、踏み込んだ国の責任について判例を示してもよかったのではないのか。
米国公文書の公開制度で日米密約文書の存在したことは周知の事実であり、日本政府機関の同文書廃棄を受けて「密約が存在した」事実関係について国、政府に「告知」する責任を求めることはできなかったのか。非常にもどかしいものがある。
(6)これでは証拠文書を廃棄さえすれば事実にほおかぶりすることができるとして、こんなことを許していたら社会正義のパラダイム(paradigm)が崩壊することになる。
そういう意図的な作為的な「不正」に対して事実関係の究明を質すのが司法の使命、役割である。ここは大胆に政府、行政に対して国民への説明責任をはたすべき司法判断を示してほしいものだ。
(7)これからは特定秘密保護法による国家機密、秘密不開示に対する国民不利益を訴訟により回復する事例が増えることが予想される。そうでなければ国民主権、民主主義、立憲主義は守れない。
司法判断に頼るものであり、行政に踏み込んだ大胆な司法判断が求められる。