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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

見過ごされた15才。 overlooked fifteen

2014-07-28 19:49:11 | 日記
 (1)武家時代の15才というと「元服」といって「一人前」の人間として認められる儀式があった。現代社会でも欧米には選挙投票権を15才から与える社会もあり、15才から大人の仲間入りを認める社会もめずらしくない。

 日本でも国民投票権、選挙投票権を20才から18才に引き下げることが検討されて法案提出の準備が進んでいる。
 武家時代は生涯年令(平均寿命)が50代前後で(戦国時代は若い男性の死亡率も高い時代)、おのずと「大人」の年令が下がる理論的、社会的背景はあった。

 (2)現在も少子高年令化社会を迎えて、高年令者層と低年令者層のインバランス(imbalance)解消のために選挙投票権、国民投票権の年令を引き下げて「国民の意思」の平等化、平均化をはかることは必要な時代、社会背景はある。

 そういう現代社会背景とは別に、20才以上(成人)になってもなかなか「一人立ち」が出来ずに親の生活保護の中(パラサイト・シングル parasite single)で精神年令も低い「大人」の存在が社会問題化している。

 (3)こちらはあながちそれだけが原因ではないが、結婚が高年令化し未婚率も高くなっているのが現代社会でもある。
 「大人(成人)」年令をどこに設定するのかは、両極面の背景、事情の中にある。

 佐世保で起きた15才高1女子生徒による同学年女子生徒殺害事件は、「ひとり暮らし」の15才女子生徒のマンション内で犯行は行われて、事件の特異性、異常性に驚かされる。

 (4)逮捕された15才女子生徒の母病死、父再婚の家庭環境の中で、父親は「しっかりしているから一人暮らしさせている」(報道)という都合のいい身勝手な親権放棄で、無責任、無関心、無分別には、最近の親子関係の希薄さ、身勝手さ、都合主義の家庭崩壊の傾向がみえるもので、容易には理解することがむずかしいものだ。

 同女子生徒には報道によるとこれまでも問題行動があって、学校でも「15才で一人暮らし」の実態は把握しており(報道)「担任やカウンセラーが定期的に連絡を取っていた」(報道)中で起きた異常な高1同級生殺害事件だ。

 (5)父親、学校、近辺社会から見えてくるのは、何という非常識、無関心で無責任、非社会的無見識かとなげかわしいばかりだ。
 自分の都合、事情、立場を正当化、妥当化させるためにいまだ教育性も社会性も倫理上も請け負えない15才「対象」に大人の倫理の「責任」を転嫁、押しつけておいて、この状態を一向に不自然、不条理(unreasonableness)と感じない、思わない非常識、無分別、無機質性だ。

 (6)親も学校も近辺社会も「大人」になりきれない虚弱性、幼稚性が共存する未熟性社会構図だ。
 過去に問題行動のある15才女子生徒がひとりでマンション暮らしをしていることを把握しながら、親も学校も近辺社会も不自然に思わずに見過ごされて(overlooked)適切な対応をとっていない社会の倫理観とは異常というしかない。

 この佐世保では過去にも小学生の同級生殺害という類似悲劇が起きており、「小中学校が地域と連携して、命の大切さを学ぶ教育活動に力をいれてきた」(報道)といわれている。

 (7)現実にその時の「肝に銘じた」はずの犯罪の芽を摘む覚悟が見過ごされてきた。

 

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