いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

個人主義の末路。 the end of individualism

2014-07-16 19:57:37 | 日記
 (1)高松市選管が昨年7月に実施された参院選開票で白票を水増しして不正集計を行い公選法違反容疑で関係者6人が逮捕された事件は、いわゆる当選者を意図的につくりだそうという悪意は感じられないがあまりの無見識、非常識、幼稚さに驚くばかりのあ然とさせられるものだった。

 投票者数と投票数が一致しないと「勘違い」(報道)した選管責任者が、とりつくろうためにあの手この手(白票の再計上集計など)と策を弄(ろう)してあわてふためいたのだろう、考えられない不正開票集計操作をして墓穴を掘った結果の逮捕だ。

 (2)何しろ開票集計時間に迫られての「とりつくろい」不正操作でアレ、コレもやりくり出来ずに発表されたのは、当選した候補者の同市での得票数が「ゼロ」となってしまった。
 通常では考えられない事態であり、そのとおり間違いもなく当選者に投票した有権者から当然のように疑義が出て、一気に不正開票操作が発覚したというものだ。

 09年の民主党による本格的な政権交代のあとその後の衆参ねじれ国会での混乱の中、12年末に安倍政権誕生で国民衆目の中での昨年7月の参院選の開票作業ということで、不正開票操作など考えもおぼつかないのが常識での同選管組織ぐるみでのあまりの幼稚な不正開票操作だった。

 (3)開票場体制、報道も注視する中でひとり、ふたりの関係者の意思で出来る不正ではなく、同選管組織ぐるみでのものであるのは間違いないところだ。
 どうしてこんなことになったのか。冷静に考えれば当選者の同市投票数が「ゼロ」など考えられないことだし、発表後すぐに不正が明らかになる不自然さが見てとれるものなのにだ。

 選管組織全体がパニック状態(panic condition)になって極限の中で、隠そう、隠そう、その場をとりつくらなければのスパイラル(spiral)が浅はかな誰の目にも明らかな不正開票操作に向かわせたことが見てとれるものだ。

 (4)本来の組織に与えられた責任や使命や任務は「うわべ」のものであり、それ以上に個人の利益、名誉や責任が重要であり守るべき領域であることが絶対視優先される社会意識の変化がある。

 日本国民の特性は勤勉性に協調性、協力性、自己犠牲、組織性にあると言われて、よくも悪くも組織力、結集力、自己犠牲が社会を支配して特に経済力、行政力、教育力で社会発展を支えてきた。

 (5)団塊世代の圧倒的な人口比率構成の高さが社会的影響力を持ってきた結果だが、少子化社会、情報化社会を迎えてプライバシー尊重の個人主義(individualism)が台頭し、組織よりは個人の利益、名誉が守るべきより重要なファクターとして社会意識に定着してきた。

 そうすると社会集団、組織の中でどういう変化が見られはじめるかというと、本来全体の利益のためのはずの個人の責任、任務、利益がパラドックス(paradox)として全体視、絶対視されて了見、見識が狭くなって狭量の個人主義が個人の意思、意識、判断、社会を支配するように変化していくのは自然の流れだ。

 (6)他人への関与、関心が淡白になり無頓着になっていく。冒頭の不正開票操作事件は「まわり(選管の開票責任)」が見えなくなり(または見ようとせず)、個人の限界を超えた浅はかな了見でとりつくろうとした狭義の個人主義の末路(the end of individualism)の結果だ。
 個人主義もここまできたかの感はある。

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