いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

脱法が危険に変わっても。 what a change to danger from evasion of the law

2014-07-29 21:15:50 | 日記
 (1)厚労省が評判のよろしくない「後期高令者」を「熟年」と呼び方を変えようと検討しているらしい。後期高令者を熟年と呼び変えて、何が変われるのか、何が変わるのか。行政の薄っぺらな評判頼りのこれみよがしの「かっこつけ」行政のとりつくろいだけだ。

 後期高令者にしても熟年にしても、一生かけて投資させられてこれまでの社会保障政策の財源を支えてきて、いざ受給出番の時には年金支給年令は次々に先送りされて、支給額は削減され、医療費負担は増額し、介護保険料も追加されて、これでよく我慢できるものだと感心するばかりだ。

 (2)「脱法(evasion of the law)」ドラッグなる意味不明の名称薬物に若者ばかりか中年までが魅入られて事件、事故、暴走をくり返して、政治、行政は技術論、解釈論に終始して何ら適切な対策もせずに放置しておいて、あげくの果てがこれではいけないと「危険(danger)」ドラッグとただ名称を変えておいて、あれほど危険で放置できない社会悪の薬物の存在を見過ごすかのような本末転倒の行政判断にはあきれるばかりだ。

 (3)脱法ドラッグの危険性、過激性、病理性、反社会性を数多く見させられては、法律論を超えた(超法規的 surpass laws and regulations)緊急特別の行政指導、監督対策が必要であったことは歴然だ。

 脱法ドラッグのまずは販売停止、生産・使用禁止による国民の生命、生活安全を守る緊急行政措置は当然の対策であった。
 この期に及んでの危険薬物の技術的、解釈的、判定能力のあれこれの枝葉末節をくり返して社会的悲劇が続く様は、政治、行政が危機管理に適切に機能していない実情を示すものだった。

 (4)大胆な行政指導、監督はこういう非常事態の社会悪に対して発揮すべきものだ。メディアも脱法ドラッグ販売、使用犯罪者と取り締まりの警察の「いたちごっこ」などと法整備の不備、後手対応をただ指摘するだけで、政府の社会悪対策の本質を見ないメディア批評力の劣化を見るばかりだ。

 (5)脱法ドラッグを危険ドラッグと名称を変えて、ようやく政府、行政も販売店の立ち入り検査、使用症状段階での取り締まり強化をはじめたが、あまりに遅い対応でまだまだ手ぬるい、不十分な安全対策といわざるを得ない。

 これまでの事件、事故、悲劇を見れば、超法規的でも特別行政指導、監督でまずは危険ドラッグの完全封じ込めを進めるべきだった。まずは社会悪の流行りの「流れ」を根幹から止めて危険排除のうえで国民の生活安全対策を見直すことが必要だ。

 (6)実態は変わらないのに放置しておいて名称を変えれば済むという、あるいは表現にこだわるだけの安易な思考法は、現代社会の風潮にもつながっている。そのうち、生活保護者の名称も変わるかもしれない。

 情報化社会、タブレット社会の特徴として、高度に専門化、技術化されたプロセスは省かれて結果、帰結だけがすべてのパラダイム(paradigm)として認識される社会だ。
 政治、行政もその社会理念にどっぷりつかっている。だから本質(プロセス)が見えなくても結論、帰結(結果評判)だけを気にして、問題(本質)は何ら解決されずに残ったままの先送り社会だ。

 (7)ちょっと薄っぺらな社会観はやるせない。安倍首相のあべこべ「つっかかり」政治がもてはやされるのと共通観がある。

 

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