いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ベネッセ事件最後に守るもの。 protective custom at the last

2014-07-18 19:53:06 | 日記
 (1)人は隠そうとすればするほど他人からはのぞき見したくなるのは「世の常(common occurrence)」だ。以前の社会もそうだったし、今もそうは変わらないが、地域社会には情報屋といわれるおばちゃん、おっさんがいて実によく近所のことを知っているのに感心することがよくある。

 昔のように夕方には縁台に出て夕立のあとの夕風に吹かれて近所づきあいをする時代なら、近所の家庭の事情もよくわかる情報共有時代であったが、核家族化、共稼ぎ時代になるとプライバシー、個人主義が尊重されて近所のことはさっぱりわからない時代に変化している。

 (2)情報も個人、家庭内で管理されているうちは機密性は高いが、それでも「世の常」からすれば情報というものは完全に制御など出来るはずもなく、漏えい、流出するものと理解するのが自然の摂理(せつり)だろう。

 そうだから国家も「都合の悪い情報」を国民の耳目(つまり「世の常」)から遠ざけるためには特定秘密保護法なるものを制定して守ろうとしているのだ。
 了見の浅いのは、守ろうとしているものは「都合の悪い情報」とわかりきっているのだから、当然のように特定秘密保護法で守ろうとしているものは国民ほかからは「疑心(suspicion)」の目で見られるのは必至で、これも世の常の漏えい、流出が社会問題となって司法で決着をつける場面もこれからは見られることだろう。

 (3)情報というものは完全に制御などできないので、必ずどこからか漏れる。極めて個人の利益供与に関する、あるいは社会共益性の高い重要情報をどう管理して保護するのかは、どんなシステム強化されても結局は人間がそこに介在するので、人間の使命感、信頼感、自覚が求められることになる。

 いくらシステム強化された情報管理化社会においてもそういう人間資質、能力、素養、人格の見極め、見定めが、最後の情報管理社会の有力手法とするしかないのが宿命だ。

 (4)通信教育を大規模に手掛ける受験産業ベネッセホールディングスで顧客(customer)の情報が大量に外部名簿業者に流出していた事件は、ベネッセの顧客情報管理に重大な欠陥(外部業者に情報管理を委託)があって、見方によっては顧客情報を丸ごと他業者に受け渡していたとも見られる情報管理手法であった。

 専門性のある委託業者を利用する手法は、専門性分業委託化時代には企業の経費節減、合理化、スリム化手法としてよくある方法論であるが、情報漏えい、流出の可能性も高くなるリスクがつきまとう覚悟がいる。

 (5)ベネッセ事件の場合も外部委託のシステムエンジニア(SE)責任者がその立場を利用して1年がかりで1億件の顧客情報を名簿業者に売り渡していたとされる。流出量的に極めて特異な事例である。

 この情報漏えい、流出システムに重大な欠陥問題はあるがそもそも完全制御など不可能な情報管理システムで今回の場合対象となったのは、受験対策の子どもの個人情報であった。

 (6)たしかに昔から現在に至っても子どもの社会的被害の不安は危惧されるものであり子どもの個人情報の流出にセンシティブ(sensitivity)になるのは理解できるが、それでもこの場合最後に守るのが(守れるのが protective custom at the last)家庭であり親権力だ。

 プライバシー尊重、個人主義社会の中で何が何でもすべての情報が同列価値観で見られて大騒ぎする社会もどうかとも思える情報化社会だ。
 それがどんな情報にも興味を示し商売にする不当買取り社会の助長になるのが問題だ。
 

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