いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

紀律委員会と巨人軍。 committee of discipline and team of giants

2016-03-15 19:31:30 | 日記
 (1)野球賭博行為に4人の選手が関与していた巨人軍が実は同時期に今度はゲーム前のベンチ前の円陣でその日のゲームで勝つことを条件に声かけ役にほとんどの選手が金銭を支払う、しかし負ければ逆に声かけ役が他の選手すべてに金銭を払うという、同球団のいうゲーム前の士気を高める「儀式・験(げん)かつぎ」を行っていたことが外部からの指摘で発覚して、巨人球団(本日、阪神、西武も同様行為を認める)もすでにわかっていたことを認めた。

 実際にこの「儀式・験かつぎ」という「ご祝儀」行為開始のその年から巨人軍はセ・リーグ3連覇を果たした(報道)というから、効果はあったようだ。

 (2)NPBも巨人球団も「勝つ」ことを条件としたポジティヴな(positive)賭けなので、ネガティヴな(negative)「敗退行為」を進んで意図する野球賭博にはあたらないとして、巨人選手4人の野球賭博発覚時にわかっていたことだがこれまで公表しないできたと釈明、説明している。

 何とも不思議な倫理観、論理で、国民の注目、人気を集めるプロ野球組織を運営する社会的立場にあるものとして何を言っているのかわからない。

 (3)「勝つ」か「負ける」か二つしかない勝負に対して金銭を賭けて行方を左右しようという行為は、スポーツの本質論(能力、体力、技術、戦略のすべてを発揮しての純粋最高のパフォーマンス)から大きくかけ離れたファンを裏切る、あってはならない行為であることには変わりはない。

 巨人選手4人がかかわった野球賭博行為発覚時にわかっていたことだから、NPBも巨人軍も同時に公表して出直すべきであったのはいうまでもない。

 (4)巨人軍は最初全選手への聞き取り調査を実施して再発防止に全力をあげた(昨年3人が発覚し実はその後今年3月になってあらたにもう1人が賭博実行者と自ら名乗り出たという不始末、手際の悪さであったが)といわれているのだから、すでにわかっていた金銭にかかわる「儀式・験かつぎ」を隠す必要はなかったし、もちろん積極的に公表すべきことであった。

 プロ野球巨人軍は一連の不始末を受けて球団内に「紀律委員会」(committee of discipline)を設けて、事件再発防止に努める姿勢を示している。何ともプロフェッショナル集団、プロ野球球団としては情けない、みっともない、やるせない幼稚でぜい弱な印象だ。

 (5)プロ野球は人並み外れた高い野球技術に身体能力の高さで、個人事業主として球団と契約して一流選手となれば年間数億円の報酬、収入を受ける。雇用の需要と供給のバランスが成り立つ特殊な経済力学、原理ではあるが一般社会、従業者、労働原理からすれば異常なケタ外れた報酬、収入制度であって、社会倫理、雇用のパラダイム(paradigm)を壊す倫理観であり、論理ともいえる。

 そうした特権意識(the privileged principle)、階級意識としての甘え、油断が自律性を失わせてのコンプライアンス(compliance)の欠如だ。

 (6)そういえば最近のプロ野球球団では選手のコンプライアンス意識の啓発にも組織的に取り組んでいたような気がする。ケタ外れた高報酬、収入とコンプライアンス欠如、社会常識不足とのインバランス(imbalance)はプロ野球の魅力のひとつともなっていた。

 かって福岡に本拠地を置く西鉄ライオンズは知将三原監督のもと中西、大下、豊田、稲尾などそうそうたるツワモノが主力の豪快野球で「野武士軍団」といわれて巨人を日本シリーズで連破する実力チームであった。

 (7)伝えられるところによると、ある選手は朝まで飲んでいてそのままデーゲームのグラウンドに賭けつけて酒臭い匂いのまま打席に立ちホームランを打ったともいわれて、その行状評価は別にしても豪快さはプロ野球そのものだったと伝説的にいわれている。ちなみにそのあとあと、その球団のエースがチーム勝敗の野球賭博にかかわって永久追放を受けた。

 チーム勝敗を左右する金銭授受の野球賭博行為はもちろんあってはならないが、プロ野球球団が「紀律委員会」設置では何とも情けないファンの夢を壊すものだ。

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震災遺構論。 idea to leave a postdisastrous structure

2016-03-14 19:48:24 | 日記
 (1)東日本大震災から5年目を迎えた3月11日のNHK報道番組では、震災発生当時の大津波が市街地を襲う映像の前には決まって「これから津波映像が流れます。」とのテロップが流されていた。

 当時の巨大津波の想像を絶する脅威を目の当たりにして、しかも高台から目の前で人が津波に飲み込まれていくのを前にして何もできなかった経験に今も特別の想い、心痛を抱いている人が多くいることは容易に想像できるところだ。
 津波映像(飲み込まれる瞬間まで放映)を直視できない当時現場にいた関係者も多くいたろう。

 (2)専門医療からの見地、助言も得てのNHKの配慮なのだろうが、効果のほどはどうだったのだろうか。人間の心象(a image brings its own mind)心理の受ける影響の深さ、大きさ、現実を伝える、実感できるものではあった。当該者、当事者にしかわからない心象心理でもある。

 (3)東日本大震災被災地では震災後に大津波に流されて何もなくなった平地に残された、骨組みだけが残った建物(postdisastrous structure)を「震災遺構」として保存し、残すべきか、あるいは復興促進の障害となって早く取り壊すべきだとかの論議が起きていることが伝えられている。

 (4)冒頭のように震災報道番組の配慮を見ていると、震災を経験した人が震災の脅威を現実のものとして目の前で再現し、実感することの心的作用、問題があることを考慮するなら、早く障害を除去してあたらしい出発をすべきだと考えられるが、一方で今回の震災発生にともない過去の自然災害の教訓(precepts)を記した、起こした道標、記録刻印物体(ここから上に避難せよとの支持刻印)の保存、言い伝えが地元住民の日常からの高台避難の心構えに役立っているとの話も聞く。

 (5)震災影響は過去、現在、未来の時間の流れの中で学ぶもの、乗り越え前に進むもの、伝え続けるものと、それぞれの時代の役割があることがわかる。
 日本の歴史遺構といえば広島の原爆ドームが有名だ。半世紀前に世界で唯一の戦争被爆国となった日本の悲劇性(tragicalness)を伝えるもので、広島はすでに地方都市として復興を果たして街並みには原爆投下被害の面影はないが、街の中心部に爆心地の原爆ドームが今でもそしてこれからも当時を伝える悲劇的モニュメントだ。

 (6)ここを何度か訪れている人から聞いた話だが、原爆ドームは何度かの補強工事そして耐震工事で最初に訪れた時の被爆当時をそのままに伝える姿、形、色が変化してきて、今では少し感情もそれに合わせて変化してきているというものだった。

 地方都市として復興した街の中心部にある原爆ドームとしては老朽化による周辺、訪問者への危険度も高くなって、当時のままの保存自体がむずかしい時代の変化にも直面している。

 (7)東日本大震災は「ゼロ」からの復興に向かって、高台移転に数メートルの高い防潮堤建設と街並みそのものが震災教訓の姿を後世に残すように伝えるようにあらわしている。

 あえて被災者の感情論に対立のある、迅速な復興に影響のある震災遺構として残す必要があるのかは考えどころだ。
 街並みが復興を果たしたあとあとの震災遺構の姿、有り様も考えての論議も必要なのではないのか。

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待望論。 expectancy theory

2016-03-13 20:15:45 | 日記
 (1)科学の世界は「現在」を否定するのに古い理論、論理を持ち出すことはまずあり得ずに、より先の未来世界に向けた先端的科学技術論の完成度で推し量るのが常だが、極めて建設的であり創造的だ。

 これが政治の世界になると趣(おもむき)は違ってくる。現在を否定するのに「昔はよかった」の過去への郷愁が支配して、回帰志向が強くなる。
 壮大な政治、経済、平和の融合(union)としてのEUは域内の政治、経済の格差拡大問題がEU全体の財政、金融不安を招いて相互不信が続いて、混乱に乗じてネオナチ運動など全体主義思想、政治勢力が台頭してきている。

 (2)人とモノ、経済の自由な往来を基本理念とするEUに対して、域内の財政、金融不安を抱える国の支援、援助には一線を画して自国の利益、権利優先を主張するわかりやすい理念の保護主義的思考が復活してきて国民的支持も集めている。

 米国大統領選での反移民政策を掲げるトランプ候補が比較高い支持を集めているのと共通する風潮だ。

 (3)日本でも安倍官邸一強、主導政治が続く中で、最近目につくのが田中角栄待望論やかっての自民党保守本流の流れをくむ池田勇人、大平正芳政治への回帰論だ。
 田中的利権政治への批判先鋒だった前東京都知事の石原慎太郎さんが政界引退後の最近になって田中角栄待望論本を発表して驚かせた。

 ともに共通するのが今の安倍政治が米国追随一辺倒なのに対して、日本の高度経済成長を背景にして米国と堂々と渡り合った時代の日本政治、政治家への郷愁が見られる。

 (4)もうひとり最近の書刊本で小泉純一郎さんがとりあげられている。自民党内で反主流派議員として活動して、当時の政権、党運営方針に対して歯に衣(きぬ)着せぬ言動で国民的人気も高く、自民党総裁選が一般党員の投票参加が認められた有利な展開の中で(議員の支持は比較低かったが)、「自民党をぶっ壊す」と宣言して高い国民的人気のまま総裁に選ばれて首相に就任して6年以上の長期政権を担(にな)った。

 (5)その小泉さんが最近の書刊本紹介の中で「自民党は総理に何を言おうが自由だった」と述懐している。安倍官邸主導政治の今の与党自民党は安倍首相、官邸に対して「モノ」が言えない風潮があるといわれて、かっての小泉純一郎さんのように政権運営、党執行部に直言するものが見当たらない、「モノ」を言えばただ外されると風に流される政治状況だ。

 国民までもが安倍政権の重要政治課題にことごとく過半数が反対(世論調査)しながら、経済回復基調の中で安倍内閣支持率は比較安定しているという小市民的国民(the petite bourgeoisie)性の従順ぶりだ。

 (6)今の政治に小泉純一郎さんのような存在があれば国民的人気、注目度も高くて、政治状況を変えたのではないのかとのこれも待望論(expectancy theory)のひとつになってしまうのだ。

 小泉政治は「自民党をぶっ壊す」と宣言して自論の郵政民営化につながる解散総選挙で大勝して、本当に旧来の自民党をぶっ壊してしまった有言実行が印象に強いが、推進した行財政改革政治は中座してその郵政民営化3事業分轄もその後の自民党政権の中で非効率性が噴出して、数年で元のもくあみにおさまってしまった。

 (7)小泉政治の成果は、結局のところ09年の民主党による本格的政権交代への道を開いたことだが、そういう意味でも小泉型政治かかわり待望論は今の政治状況に必要なのかもしれないが。

 その小泉元首相につかえて幹事長にとりあげられて今の安倍首相があるのだが、その安倍官邸主導政治が与党自民党内に「モノ」言えぬ風潮をつくり出しているのも皮肉な結果だ。

 (8)ともに国民的人気、支持の高い小泉「首相」主導政治と安倍「官邸」主導政治との手法の違いだ。ただ政治にしても待望論からくる回帰調は「昔はよかった」の自己陶酔、満足型であり、今の政治状況を変えるダイナミズム(dynamism)にはなりえない。

 こういう述べてきた政治風潮が注目されるのは閉そく感の証明であり、これを変える「何かあたらしい価値観」政治の出現こそが待望されているのだ。

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トランプ降ろしの現実。 actuality to get down mr. trump

2016-03-12 19:42:54 | 日記
 (1)米国大統領予備選での共和党トランプ候補の勢いが止まらない。これまで勝利をあげている3人の候補者の中で15勝と2位のクルーズ候補の7勝にダブルスコアの圧倒的優位に立っている。

 今回の大統領選は民主党候補のヒラリー・クリントン候補以外は民主、共和党ともに政治家として知名度も高くなくて、その元国務長官のクリントン候補もオバマ政策の継承を唱えてこれといった主要政策を主張するわけでもなくて、対立するサンダース候補の格差解消社会、貧困対策の低所得者、若者受けのいい社会政策も財源の裏付けに乏しい現実性に欠けるもので、総じてこれまでの米国大統領選に比べて候補者「小粒」の印象は強い。

 (2)それに拍車をかけているのが民主、共和党ともに政策論争そっちのけでの各候補者同士の中傷合戦だ。伝えられる報道では、共和党予備選で優位に立つトランプ候補は勢いにまかせての政治とは関係のない他候補の体形を揶揄(やゆ)したり、自分を批判する相手を「うそつき」呼ばわりしたりの勝手放題で、しかしその過激な発言、パフォーマンスが注目されての支持の高さでもある不可思議でもある。米国社会、政治への現状不満の表れともいわれている。

 (3)仮にこのトランプ候補がそのままの勢いで米国大統領に選ばれたでもしたら、米国政治はどうなるのかと共和党本部執行部でなくても心配になるところだ。
 大統領制をとる米国政治は議会構成とはかかわりなく国民が直接選挙で国の指導者大統領を選ぶ方式なので、国民の支持を受けた大統領として絶大な権力、権限が集中してそれだけ大統領の判断、決断、裁量も国の行方を左右する影響力も大きい。

 (4)いくらトランプ候補でも大統領にでもなれば、今のような注目狙いの過激な発言、突出したパフォーマンスに終始することはないと考えられるし、もちろん大統領個人の資質、能力、見識にもとづく重要な判断、決断が必要であっても多くの抱える専門分野の助言者、協力者、閣僚を含む政治家、スタッフに支えられてのものであり、もちろん上、下両院議会の議論、協力、支持がなければ、米国の政治、外交、経済を強力に推進できるものではない。

 (5)仮にトランプ候補が米国大統領に選ばれることがあれば、それなりに「変化」すること、せざるをえないことは当然に考えられる。問題は現在の予備選で圧倒的な優位に立つトランプ候補の過激な発言、他候補を中傷するやり方に対して、共和党本部執行部(主流派)が危機感を抱いてトランプ降ろし(get down)にやっ起になっていることだ。

 民主党のクリントン候補はもちろんのこと、有力新聞までが公然とトランプ候補を支持しないキャンペーンをくり広げている。しかしその中でも共和党主流派を代表するといわれるルビオ候補はこれまでわずか2勝のみでトランプ候補の15勝にははるかに及ばない。

 (6)共和党本部執行部、有力新聞の懸念、心配はよくわかるが、その意に反してトランプ候補を圧倒的に共和党選挙人が支持しているという現実(actuality)だ。
 これが自由主義社会の先頭に立つ米国の自由のよさでもあり、活力でもあった。公正、公平なメディアまでもが米国のよさを自ら否定していては心もとないばかりだ。

 トランプ候補の支持者は白人中心で、既成の政治、政治家への反感、不信を持つ人が多いといわれている。米国社会は多民族国家で、近年はヒスパニック系(メキシコなど南米出身)が伸びて黒人層とあわせて白人層をしのぐ勢いの人口比率にあるといわれている。

 (7)これに危機感を覚える白人層が反移民主義の過激発言をくり返すトランプ候補支持に集中している構図だ。
 米国社会の抱える「現実」問題を無視しての「トランプ降ろし」ではすまない「現実」問題だ。

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復興時差と格差と検証。 difference in time of the reconstruction & discrepancy & verification

2016-03-11 19:45:17 | 日記
 (1)東日本大震災の5年間の国が全額負担する集中復興期間の復旧、復興費用に国費26.3兆円が投入された。当初19兆円(民主党政権時)の見込みのところ7兆円超の積み増し予算となった。

 前代未聞の東日本大震災の復旧、復興に対する5年間の国費投入26.3兆円がどういうものかは想像すらできないが、残念ながら被災者の思い、期待に応えたものとはいえない現実がある。

 (2)26.3兆円の40%近くの10兆円は「住宅再建、復興まちづくり」に当てられた。高台移転、防潮堤工事などインフラ整備だが、被災地自治体では土地確保に手間取って計画策定が思うように進まずに計画の遅れから被災者が待ち切れずにそれぞれが土地を確保して自宅建設を進めて、計画どおりには進まなかった。

 結果として「高台移転用に整備した土地が余る」(報道)ムダも指摘されている。住宅の高台移転にともなう生活インフラ整備の総合的視点(医・食・住・郵・交などリンク)が不足して、特に高年令者中心に生活への不便さから移転に躊躇(ちゅうちょ)する話もよく聞いた。

 (3)防潮堤工事も主要産業の漁業操業への不便さ、景観を損なうなど多様な要望、意見の中でこれも思いどおりには進まなかった。
 東日本大震災を受けての政府の復興構想会議では高台移転計画がとにかく前面にだされたが、生活インフラ整備の総合的視点による考え方が欠如していたため被災者の理解は深まらなかった。

 高台移転計画は将来、未来社会を考えれば、生活安全を担保する恒久的な視野のものではあるが、防潮堤建設とリンクさせることが合理的必然性であったのか、たとえば湾内、海域では減災効果の研究とリンクさせる方法論(methodology)など先端的、科学的都市生活設計の視点もあってよかった。

 (4)中小企業支援などの「産業なりわいの再生」に4.1兆円と生活や健康に関する「被災者支援」の2.1兆円を倍増上回ったが、集中復興期間としては逆転現象だった。まずは人、生活、健康支援に積極的に投資すべきことであった。

 被災地自治体への復興財政支援も使途、目的制限、制約も多く、結局は使い切れずに国に返還となった予算も数兆円規模いわれているのはどう考慮されているのかわからない。会計検査院の13年度までの調査で5兆円の予算が消化されていない(報道)というもので、それだけでも5年間の国費26.3兆円投入の20%にもなるものだ。

 (5)政府としては被災地の行政機構の執行格差を考慮して復興の公平、公正性を考えたものだろうが、被災地自治体、住民の要望優先で自由性、自主性のある予算使途、目的とすべきであった。

 逆にこれからの5年間は「復興、創生期間」として復興費の被災地自治体負担も加味されてくるので、被災地自治体間での復興格差(a reconstruction discrepancy)がより顕著になってくることが考えられる。

 (6)東日本大震災から5年が経過していまだに全国に十万人単位での避難生活者がいて復興の遅れはあきらかであり、福島第一原発事故の帰宅困難地域ではいまだにまったく復旧、復興手つかずのところもあり、政府が除染などにより帰宅可能地域として拡大しても現実にそこで生活を望む被災者の数は限られて、生活インフラ整備がともなわなければ無理だ。

 このまま避難地域での将来生活設計を考える人も多く(アンケート調査結果)、復興の遅れ、巨額の復興国費投資との費用対復興格差が深刻な「復興まちづくり」のへい害となっている。

 (7)被災地自治体にとってもこの巨額の復興国費投入はあっても、復興時差(difference in time of the reconstruction)、住民が戻らない急激な人口減少が「復興まちづくり」には立ちはだかる大きな課題、問題だ。

 だからこそのまずは人、生活、健康への被災者支援への復興投資の重要性だった。「産業なりわいの再生」は「人、生活、健康」があってのもので、人が戻らないことには成り立たない問題だ。

 (8)そこでどうするか。もうすでに時間のズレ、時差はあるのだが、5年の集中復興期間終了でこれまでの復興検証、点検を総括して(専門家、関係者によるものでいい)この段階でこれからの5年間に向けてあたらしい復興目標、本格計画を打ち立てる必要がある。
 このままでは被災者の将来に向けた拠り所がみつからない。

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