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死ぬという選択。/DINER 第53話「Eden‘s dinner&strange four plates④」感想(ヤングジャンプ2018年46号)

2018-10-18 | DINER
                              
                            自殺を選択する息子。








まず、条件通りカナコを殺して助かったとする。
しかし、赤の他人を殺してまで得た「幸福」に本気で笑えるだろうか?
人の罪悪感は、時に人を殺すくらいの心理的な抑圧を与えるものです
平和に豊かに育てられた息子にはきっと耐えられないでしょう。

かといって、エドとデニーが自分を憎むように仕向けたところで、
正直「それ」にも限界があるというか、例え彼らの云う通り“演技”だったとしても、
「捨てられた人間」である自分をここまで育ててくれた~という事実は決して消えないでしょう
そんな(居なければ)とっくに野垂れ死んでた、というレベルの恩人に引き金を引けるものでしょうか?
ぶっちゃけいくらそういう風に先導してもそこにも限界があるというか、
結局は他人もダメ、親もダメ、家族もダメ・・・となったら、
自決するしか道は残されてなかったんでしょうね。

ただ、変な話ですが、個人的にはこの選択にグッと来てしまったのもまた事実。
赤の他人を自分らが助かる為に躊躇なく葬り去るような人間に育ってなかった~というのが、
ある意味エドとデニーがこの子を本当に愛情を込めて育てていた証拠なんでしょうね。





結果的に、
あの皿が伏線となって、
息子の弾丸をわざと反らして自分らに当たるように軌道を変えて死ぬ・・・という
神業のような芸当でエドとデニーはこの世を去りました
恐らく、練習してたんじゃないかな?って思いましたが、
元々あの犬もそういう手段で殺したみたいでしたから、まあ確信犯的な行為ではあったんでしょうね。

きっと、
エドとデニーはジョーに「人間としての生き心地」をもらったんでしょうね
普通だったら得られないような、ある種真っ当過ぎるくらいに真っ当過ぎる「当たり前の幸福」・・・
自分らが死ぬ、という選択は、ある種彼への“恩返し”でもあったんでしょう
せめて最後は、
価値あるものを残したい・・・
なんだか、悪党として最初登場したはずなのに、
やってることは息子を生かす為の自己犠牲がほとんどだったので、
正直彼らが本当に悪人だったのかすら分からなくなって来ました
拷問を食らった人々にとっては許し難き悪鬼でしょうけど、
ジョーにとっては最後の最後まで自分を見守り生かしてくれた生涯の恩人なんですよね・・・。
何が正しくて、何が間違ってるのかも分からなくなるような、涙が出そうになるお話ですが、
現実もまあ得てしてこういう割り切れない結末ばっかりだったりするんでしょうねえ。
マスコミとかは良くも悪くも一面化したがりますけどね(批判ではない)。


でもやっぱ、
こういうの読んでると単純過ぎる勧善懲悪よりも読み応えあるなー。って強く感じてしまいます
エドとデニーは殺人鬼だった若い頃から、最後にようやく「人間」に戻れたんでしょう
結果的にジョーの存在によって死を享受する顛末になってしまったけれど、
正直それが「間違ったこと」だったのか?と言われると微妙ですよね
報いを受けた末に、確かに命を先に繋げた・・・
本当は彼らにとって「必要なこと」だったのかもしれません
ちょっと寂しいというか、複雑な気分にもなりますが、それもまた確かなカタルシス、かと。










一方、この事件を受けて、
ボンベロやカナコの心境にも変化が出て来そうな予感がして来ました
「死ぬってのも」というのは、ある意味「お前も賭けろ。」という隠語にも聴こえる
そして、カナコもジョーの発言を受けて、彼女の正義心が目覚めそうな予感もしています
色々な意味でカナコ、ボンベロに“感化”をもたらしそうな今シリーズ、
単体でも凄く面白かったけど、秀逸な伏線にもなりそうで、期待大!ですね。