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幸せという怪物。/DINER 第52話「Eden‘s dinner&strange four plates③」感想(ヤングジャンプ2018年44号)

2018-10-04 | DINER
                              
                              知ってしまった。








先週の感想、
結構的を得ていてちょっと嬉しい(笑
そりゃそうだ、老けすぎだし太り過ぎだし、相当苦悩したんだろうなあ・・・って想像出来ましたもん
太ったのは幸せ太りでもあったのかもしれませんが。。

どんなに冷徹で残忍な人間でも、
決して人間は一人で生きて行く事は出来ない
想像してみると分かると思うんですが、どんなにとんでもない奴でも大抵傍に誰か居るでしょ?
あれは結局のところどういう人間であっても「心の拠り所」が絶対的に必要で、
もっと言っちゃえば全ての人間に冷たくする事は人間の心理的に出来ない~という事の裏返しなんですよね
ましてや、常に死と隣り合わせの極限の職業ですから、知らず知らずの内に息子の存在が「癒し」になってたんでしょう。





そう考えると、
何が正義で何が悪なのかがよく分からなくなりますよね
息子は引き金を引けば確かに堅気からは外れて人殺しの仲間入りになる
だけど、それは殺すのが目的でなく、両親を守る為・・・

逆に、両親は、今まで多数の人間を殺めてきたけれど、
息子にとっては孤児であった何の縁も無い自分を懇切丁寧に育ててくれて、
いっぱしの大人になるまで育ててくれた恩人じゃないですか?
社会的に見れば殺人鬼、
だけど、
人一人を一人前にした挙句、「私たちを殺せ」と自分らが息絶える事を望んでいる・・・
悪なのは悪なんだろうけど、“誰かを幸福にした”のも事実な訳で、それを思うと、、、
完全には憎み切れないですよね

結局のところ、一面的に見れば正義も悪も簡単に決めつける事が出来るけれど、
現実はそう簡単に割り切れるもんじゃない・・・というのが難しいところですよね
ある意味、残虐描写以上に青年誌でなければ通じないテーマ性に思える今回のシリーズ、
息子は、両親の願い通り両親を手に掛けることが出来るのか、
それとも自己犠牲で両親を助けるのか、
或いは、
禁じ手として全く関係のないカナコを殺めて、自らも手を汚しこの場所から出る免罪符を得るのか・・・。

しかしまあ、
ここで第三の選択肢を彼が望んだとしても、
個人的には責められんなあ・・・というか、
環境が環境なだけにやっぱり心底感謝はしてるだろうし。。
どれを選んでもロクな心理にはならんでしょうが、
それすら含めて愉しんでいるコフィこそ(ある意味)絶対悪なんでしょう。


これも想像ですけど、
エドとデニーは、自分らを殺し屋のろくでなしと認めた上で、
そんな自分らが所謂「普通の幸せ」を謳歌出来る現実に酔ってしまった、
感覚を狂わされてしまったのでは?って個人的に思いました
だって普段は常に憎まれる側ですし、
そんな自分らが誰かを幸福に出来る~という事実がきっと何かしらの「救い」になってたんでしょう
最後の最後でそんな大仕事を完遂出来るのならば、ここで終わっても構わない・・・。
個人的には二人がそんな風にも映ってしまって少し涙腺にも来たお話でした。

やはり、人間はロボットではないから、完全に情を棄て去る事は不可能なんでしょうね。










しかし、
カナコを(結果的に)全力で守ったボンベロ様は超絶格好良かった・・・!
以前、コメントで「少女漫画好きな人が好きそう」って言われたんですが、
今週分読んでると確かに・・・って思ってしまいましたね笑
そろそろカナコが本気で惚れてもおかしくないな!