借りてきた借り物は
いつの間にか壊れてる
同じように揺れている
同じように目を逸らしている
私のもの
私の心 (さよならおもいでよ)
ここ日本では所謂・・・
人と人との間に「流れ」があって、
そこを上手く泳げないとついていけなくなったり、苦しい気持ちになったりする訳なんですが
そこに上手く順応しようとして、自分を捻じ曲げてまで「誰か」の振りをしたところで、
本当の意味合いで救われるのか?って言えばそれは違う気がする
自分の思ってもない事をいって、
「みんな」に合わせて本音を押し殺して・・・
それで流れに乗れたとしても、、、
楽しい人は楽しいんでしょうけど、自分は正直それを「悲しい」って思うんです
「それ」は自分の感情じゃないし、「それ」で例え上手く行ったとしても、本当の自分が消えてしまったようで空しい
借り物の感情で満たされた振りをしても、
自分が求める“本懐”には一歩たりとも近づけない事を、俺は知っている
だからこそ、この曲のそんな歌詞にはグッと来たし、正直聴く度に頷いてしまうんです
本当の自分だけを、
本当に追及していたい。
借り物の自分なんて所詮ハリボテに過ぎなくて、
誰かに溶け込むことを諦めてまでも守りたい「俺自身」が存在している・・・
からこそ、シンパシーを(勝手に)感じるし、聴いてて泣きそうにもなるんでしょうね
別に、泣きそうになる/泣きそうにならない、なんて音楽の絶対的な価値ではないけれど
ただこの曲を聴いてると、やっぱり「本当の自分」で勝負したい、
それで負けたとしても、それはそれで仕方が無い。
そんな風に思えるし、
そういう「自身を貫くこと」を頑張れとか諦めるなみたいな陳腐な言葉で表現せず、
あくまで間接的に表現している粋な部分が光っているロストエイジの新しいアンセムだと思います
疾走感溢れるバンドサウンドに、要所要所でダイナミックに迫る音塊の爽快感など、
まさにファーストアルバムの一曲目のようなみずみずしさに満ちている定番化必須な新曲ですね
イントロだけでも今作に込めた気合が直で伝わって来る、本当に素晴らしい一曲です。
今は、「手前らしく生きる」事が、
繋がり繋がろうの時代になって来ていて(雰囲気的に)貫き難い時代なのは確かです
でも、だからこそ、そこで泣き寝入りするんじゃなくて、
孤独を選んでまでも本懐を選ぶ事も時には重要なことのように思えます
「誰か」に自分を寄せたって、
「誰か」になろうと頑張ったって、
「誰か」の真似して安心感を得たって、
結局は「本当の自分」が死んでいくだけ。
だったら、惨めだとしても、「愛されない自分」を選んだ方がまだマシに思える。
そんなマイノリティに贈る最高の応援歌だと思います。超自分勝手な聴き方ですけどね(笑