諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

いわき市・車中泊の旅。【蛇岸淵編】

2019年01月13日 15時13分14秒 | 旅行
私はいわき市好間町のバス通りに面した家で生まれました。

向かいにはジャンボシュークリームで大変有名な白土屋。その真ん前の白土屋の駐車場辺りに、私の父親が経営していた新聞販売店が在ったのです。

その約100メートル程裏には水石で有名な夏井川の支流・好間川が流れていた。私の家にも好間川で取れた、変わった形をした美しい水石を玄関に飾っていましたが、大抵の家では玄関に水石を飾っていたものです。今は残念ながら採り尽くされてしまったみたいですけど。

その好間川のチョッと上流に織姫が住んでいた伝説の蛇岸淵がある。ここで人間・瀬織津姫が人々の祓い清めをしていたと私は考えています。だから是非行ってみたい。

ナビを設定して出発。そしたら何と上好間田代にある母親の実家に向かっている。ここまで来たのだから寄って見るか。

先ずは母の実家の氏神である八坂神社に参拝。ここには何度も来ているが寂れている。炭鉱があった時代は賑やかだったみたい。

強風で松飾も倒れていた。立て直して土を拾い松飾の中に入れる。この位しか私には出来ない。

次に母の実家に。昔はとんでもなく古く、しかも屎尿を肥やしに仕えるタイプの家だったので臭かった。鶏小屋も建っていたから尚更臭い。煩い。

でも今は生命感が感じられないほど静か。ロスアンゼルスから戻って来た従姉が本家のあった場所に平屋を新築している。誰も住んでいない。チョッと勿体無い。

隣にあった江川卓の一家が住んでいたボロボロの家も新築されて誰かが住んでいる。向かいの亡くなった長男の家はそのままだが、隣にその息子が新築した。随分変わってしまった。

それ以上に変わったのは、母の実家の梨園に入る小道の向かいに在ったなだらかな土地が整備されて、広大な駐車場になっていた。車300台。否、400台以上駐車出来るかも。何なんだ、ここは。

変な人工の林がある。中に複数のテーブルとイス。そして奥に平屋の施設がある。ワイナリーだった。「いわきワイナリー」と言うらしい。障害者・健常者で共に働くワイナリーみたい。昨年の秋頃にオープンしたみたい。

そう言えば昔あった莫大な砂利石を積み上げた山が無くなっている。亡くなった父方の従兄弟の弟が名付けた「お寂し山」が。そして梨畑も。

原発事故の風評被害で梨の価格が半値になった。暮らして行けなくなった。それで所々の梨畑が太陽光発電に切り替わったが、梨を葡萄に変えてワイナリーになるとは。ここまで私の故郷が様変わりするとは。

それと「お寂し山」も無くなったのは寂しい。炭鉱時代の寂しさの象徴の山だったが、無くなると寂しいものだ。村興しには良いのかも知れないが。

気を取り直して山を降り蛇岸淵へ向かう。私の想像ではとんでもない霊場の筈。気を引き締めないとやられる筈だ。

ナビに従い好間川の蛇岸淵に。川に入る小道を通る。川が見えた。高速道路の橋の下が蛇岸淵の様だ。そして橋の下のアスファルトで整備された地面ににクルマを止めようとしたら・・・・・バグァン。クルマが跳ね上がった。何でだ。

黒いアスファルトだから分からなかったが、結構な段差になっていた。それで前バンパーの下を強かに打ち付けたのだ。ガックシ。

バンパーを確認する。結構な衝撃だったから外れかかかっているかもと思ったが、大丈夫だった。見えないけどバンパーの下は疵付いたが。

見たらアスファルトには削り瑕が多数ある。皆、蛇岸淵を見に来て瑕付けた様だ。水捌けを考えてのことだろうが、ペンキでも塗ってくれなきゃ分からないよ。しっかりして欲しいよ、福島県の道路公団には。

結構ショックを受けながら蛇岸淵を覗き込む。軽い眩暈がする。吸い込まれそうになる。しまった、ここは霊場だった。気を引き締めなければ。

気を取り直してまた覗き込む。織姫が住んでいた淵の割には浅い。でも祓い清めをするにはちょうど良い州がある。古代、ここで祓い清めをしていたのは間違いなさそうだ。

でも、ここは長居する場所ではない。寒いのもあるが、水辺を好む私の細胞が恐怖している。2.3枚写真を撮ってすぐさま去った。

天栄村の明神瀧でも感じたが、霊場には凡人は長居すべきではない。長時間いたらトランス状態になって引き込まれる。自分の命が祓い清められ過ぎて亡くしてしまう。霊場は劇薬でもある。少しで良いのだ。

そう想い蛇岸淵を後にしました。


ではでは。



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いわき市・車中泊の旅。【北好間字下屋敷の山林編】その2

2019年01月12日 01時47分39秒 | 旅行
続きです。

それにしても私の家の山林はどこに行ったのだろう。どこにあるのだろう。ナビで連れて来られた土地には家が建っている。勝手に建てたのか。そうではないだろ。築40年以上は経っている筈。しょうがない、いわき市の法務局で調べて來るか。

法務局では確かにその番地は私の家の物になっていました。でも驚いたのは地積が減っている。何でだ。

最初は9728㎡。次に5742㎡に減った。最後は7468㎡に戻っている。何でなんだ。

係りの人に聞いたら「気にする事は無いです」と。気にするよ、どうしてなの。

その訳は測量する毎の誤差。或いは測量のミスだとか。嘘だろ。そんなに誤差が出るものなのか。最初は2947坪だったのに1740坪に減って、最後に測量したら2263坪に戻ったって事かい。いい加減過ぎるだろ、それって。

まぁー、私の人生はこう言うの何時もの事だけど何か損した気分。それにあの土地を開拓するのにどれだけの金がかかるのか見当もつかない。名義も母親の物になっているし。

母方の祖父が杉の木を植えたらしいけど、それを売って開拓する費用になるのかな。それよりもその杉の木が売れる様になるのに後何年かかるのだろう。

それよりも誰も剪定していない筈。そんな杉の木、売れるのか。持っていても何にもならないのでは。

それに私の家の山林は閼伽井嶽常福寺への参道。否、車止めの場所には石碑の大山祇神社が鎮座しているらしい。大山祇神は亦の名を和多志神。鬼渡神の根本の神。相変わらず因縁の鬼渡神に関わる土地。そんな場所に家なんて建てて良いのだろうか。

実は私の亡くなった従兄の父親(25年前に亡くなっている)は、閼伽井嶽や水石山で木こりみたいな仕事をしていた。もう少し考えが練られたら語るつもりだが、そのせいで祟りを受けている可能性がある。私もそうなるのではないか。

そう言えば犬を連れた二人の女性は参道を下って来た。それは大山祇神社の参拝の帰りか。参拝をすれば祟られずに済むかも知れない。

でも、その車止めの場所の木には注連縄が張っているいるとか。やはりこの地は霊場。大山祇神を調伏する為に常福寺が建立されたのかも。それほどの霊場なのかも。

車止めから登ると太子堂弘法水に到着する。この水から閼伽井嶽と名付けられたと言われる。

もう一つ説がある。「閼伽井」は「赤猪」で、昔この地で巨大な赤い猪が暴れまわり村人を苦しめていた。そこに岩城国造の建許呂命が現れ、弓矢で赤猪を撃って退治したとの話が伝わっている。

その物語は何を意味するのか。

赤猪と言うと記紀に出てきますね。大国主が美しい八上姫に好かれたことに嫉妬した八十神の大国主の兄達が、大国主に「崖から赤い猪を落とすから捕まえろ」と叫び、真に受けた大国主は体を張って捕まえようとしたら、赤く熱せられた岩だった。それで大国主は火傷して死んだ。

この大国主を殺した八十神は閼伽井嶽で考えると大山祇神になるのでしょうか。

猪を眷属とするのは大物主。そして大歳神とも考えられる。賽の神でもある。だったらやっぱり大山祇神となる。全ては境界線の神。やっぱり鬼渡神。参拝し続けろと言う事なのだろうか。

ここに住むようになるかは分からないが、私の墓を建てるのには良いのかも知れない。霊場だし。

誰も来ない暗い山林に隠れるように私の墓の石碑が在る。その下に私の骨を埋める。誰にも知られずに眠る。それが私には合っているのかも。

それでいいかも。

石碑には「永迷網彦命」とても名乗ろうかな。


ではでは。

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いわき市・車中泊の旅。【北好間字下屋敷の山林編】その1

2019年01月11日 01時40分39秒 | 旅行
今年の正月、故郷、福島県いわき市へ車中泊の旅をして来ました。

今回、その旅行記を書こうと思ったのですが、同じテーマで長々と書きますと書いている私が飽きて中止したくなります。

そう言う訳なんで今回はその旅行記にテーマを付けて、断続的に書きたいと思います。その第一弾は「北好間字下屋敷の山林編」です。

どう言う事かと言うと最近テレビで「ポツンと一軒家」みたいな番組が流行っているじゃないですか。チョット私も憧れていたのです。あんな感じで山の中で孤独に生きたいとの想いがあるのです。

そこでふっと思った。私の家にもいわき市好間町に2500坪程度の山林がある。そこに一軒家を建てて住んだらどんなだろうか。

私は宮城県仙台市は未だにアウエー感がある。自分の暮らすべき街ではない。私は福島県の方が合っている。

これまでも裏磐梯、西会津、天栄村、金山町、喜多方市辺りで安い一軒家は売っていないものかと思ってたのですが、やっぱり生まれ故郷のいわき市が良い。だったら北好間に山林がある。確か40年以上前に見に行ったけど今はどうなっているのだろうか。

そんではと思ってグーグルで確かめたのですが、その土地に民家が建っている。どうなっているのか。

また私の家の土地に誰かが家を建てたのか。20年間、黙って住んでて地主に何も言われなければ、住んでいる人の所有物になってしまう。それは防がなければ。行くべし。

そう思ってトヨタ・アリオンを故郷・いわき市に走らせました。

私はいわき市好間町で生まれましたが、いわき市は非常に大きい。好間町も上、下、そして北がある。広過ぎ。北好間は殆ど山だし。

ナビに従って走る。そして石畳の急な坂を上り到着。こんな道を登るのか。

私、知らなかったのですが、私の家の山林は閼伽井嶽への参道に面しておりました。

参道と言っても江戸時代よりも前。閼伽井嶽常福寺の開基は806年との事ですから、今から1200年以上前から有ったと思われます。凄い古い。ここまで古いとは。

ナビが示した私の家の山林は射撃場の入り口の道に面している。変だ。人家もある。私の家の山林の筈なのに、勝手に家を建てて住んでいるのか。

そう想いながら立ち止まっていたら、ビークル犬を連れた60代の女性が山を下って来た。

私は「下屋敷〇-〇〇〇はどの辺でしょうか」と、私に纏わりつくビークル犬の頭を撫でながら訪ねた。

ビークル女性は「どなたの家でしょうか」。

私「いや、家ではないのです。山林です。ナビではこの場所なのですが」。

ビークル女性は「ここは下屋敷の✖✖です。その番地は山だから分からないですね」。

私はビークル犬の喉をカキカキしながら「そうですか」と。

ビークル女性を見送って数分後。今度は柴犬とプードル犬を連れた60代の女性が下って来た。こんな寂しい林道で変な太った男が立っているのに驚いている様子。綱を握っていない柴犬が私に纏わりつく。

私は柴犬の頭をカキカキしながら、「下屋敷〇-〇〇〇」はどの辺でしょうかと再度訪ねる。

柴プー女性は「分からないわねぇー。ところでどの様なご用件なの」。

私は「その番地は私の親の土地なのですが、今はどうなっているのかと見に来たのです」。

柴プー女性は「あそこの家の方は班長さんだから知っているかも」と結構なアバラ家を指さす。

私は「チョット見に来ただけです。ここら辺なのは間違いないでしょうから、聞くまでもないです。有難うございます」と。

柴プー女性は私と話をしたくてしょうがない感じで、「どなた様ですか。ここら辺は過疎で人は大分減っている。この道は行き止まりになっていて、後は閼伽井嶽への獣道しかないですよ」と。

私は礼を言って別れた。そして辺りを探索。小さな小川が流れている。細いプラスチックの配管がある。上流からの湧水を配管で家まで繋いでいる様だ。っと言う事は水道は無いのだな。っと言う事はトイレはボッチャンか。そりゃそうだろうな。

電信柱はある。電気は繋がっているのか。住めない事はないな。

でも住むにしても木々を切り倒してならす必要がある。これは金がかかりそうだ。


続く。





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初夢で定番の空を何とか飛んでいる夢を見た。

2019年01月10日 10時44分21秒 | 昨日見た夢、いつか見た夢。
正月はいわき市へ車中泊の旅をして来ました。色々と確認しなければならない事があったので。

最近は泊まると言ったら車中泊です。お金が無い事もありますが、車中泊が自由気ままで良い。自分の性格に合っている。ここまで来ると趣味になりつつあります。

今回はビッグアグネスの空気マット一体型マミー型ダウンシュラフと、その上に被せる2枚の封筒型化学繊維シュラフを持って行ったのですが、快適に良く眠れました。家で寝るより規則正しく寝れたかも。

でも久々に夢を見たんですよね。やっぱりCPAPを付けないと眠りが浅い部分があるのでしょう。喉も乾燥していたから無呼吸症候群になっていたのでしょう。もっと痩せねばなりませんね。

さて、1月1日、私の定宿??となっている「道の駅・よつくら港」で今年最初に見た夢は、私定番の空を飛ぶ夢でした。

この夢は若い頃から良く見てます。目を覚ましているのに「あれっ、私は空を飛べるんだったよね」と錯覚する位よく見ています。

ただ飛べると言っても中々高く浮かばないし長く飛べない。地面から数メートルくらいの空間を何とか飛んでいるだけなのですけど。

今回の空飛ぶ夢は敵に追われていました。飛んでいる私をジャンプして捕まえようとしています。ベージュのトレンチコートに黒のハットとサングラスを付けた男達に。

私の飛行はスピードは出るのですが上昇出来ない。一階建ての屋根を超えるくらいしか飛べていない。ギリギリで敵にキャッチされない程度で飛んでいます。

そこに黒のサングラス、赤いスカート、ベージュのトレンチコートの金髪外人女性が逃げていた。私と共通の敵に追われている。

私はさらに低空を飛行し女性に「私に掴まれ」と叫ぶ。金髪女性は私の足に掴まる。そこに敵が数人走って来た。私は上昇しようにも出来ない。金髪女性が重い。敵が女性の脚にしがみ付いてきた。そこで目が覚めました。

まっ、大体予想は付いていますが夢占いです。

先ずは得たいの知れない敵から追われている。これは何かに罪悪感を感じているからなのだそうです。私の場合、人殺しの家系だからかな。

低空飛行で飛んでいた。上昇出来ない。これは精神的な疲労の暗示です。思うように動けない。そんなの十分承知してますよ。

敵に追われて空を飛んで逃げた。抑圧されていて逃げたいと思っているらしいです。そうだろうね。

金髪外人女性を助けてた。この場合はコミニケーションが取れない相手が私の人生に関わっていると言う事なのでしょう。重荷で足枷。まっ、私の親でしょうね。

自分を縛っている者から逃れたい。自由に生きたい。自分の実力を試したい等々の想いが有るかが、足枷があって上手く行かない。そんな精神状態だから、こんな夢を見たのだと思います。もう何度も見たから分かり切っています。

1月1日、正月元旦にこんな夢を見ると言う事は、今年も何時も同様の苦しみの歳なのかなぁー。

まっ、それで良いのかも知れない。現状維持で十分。それが私の生きている証かも知れないので。


ではでは。




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投資顧問会社コスモ・リサーチ社長殺害事件(1988年)の犯人が死刑執行された。その4

2019年01月09日 14時13分15秒 | ニュース
続きです。

私はこう言った一連の事件の流れは知りませんでした。殺されたとだけしか。犯人が捕まっていたのも分からなかった。

それがそれが既に捕まっていて、昨年の12月に河村・末森両被告の死刑が執行された。もしかしたら平成最後の死刑になるのかも。これって感慨深いです。私が社会人となって最初に尊敬した見学さんが殺されたのですから。

それにしても事件発生から30年で死刑執行された。オウムの死刑囚よりも生かされていた。何故なんだ。何で30年も刑が執行されなかったのだ。

調べてみたら主犯の河村啓三は二冊ほど書籍を刑務所から出版していて、その著書が死刑廃止の為の大道寺幸子第一回表現展優秀作品に選ばれたみたいです。だから国は刑の執行に躊躇していたのかも知れんですね。

私もその本を読んでみたいとamazonで探したら、数千円から1万円を超える値段になっている。うーん、そんな金払えないよ。

彼の著書のタイトルは「生きる」と「こんな僕でも生きてていいの」。生きてて良い訳無いだろ。1億円で人を二人も殺したのに。

amazonのレビューを読んでみたら、「自分の生い立ちのせいにしている。親からきちんと教育されなかった。自分に都合の良い解釈をしている。被害者二人への感情は通り一辺倒。」等々書かれていました。

彼と養子縁組をした方もいるそうですが、文章が優れていると言う訳で賞に選ばれたのではなく、死刑反対の勢力により30年も死刑が執行されなかった。そうとしか私は思えません。

1億円を強奪するために二人の人間を殺した。実行犯の二人は死刑執行された。犯行に協力した元暴力団組長は無期懲役になった。1億円にこれほどまでに価値はあるのか。

今年、豊洲の初競りで「すしざんまい」の社長が278キロの大間の鮪を3億3360万円で落札しましたが、1億円で見学さんら二人の命が奪われた。犯人の二人も死刑。そして協力者は無期懲役。

人の命より鮪の方が価値があるのか。なんかやり切れませんね。大間の鮪にも笑われている感じがして。

日本の平和は死刑制度によって成り立っています。人を殺して服役して反省したら罪は許される。反省すれば許される。そんなのは聖人ぶった人間のエゴだと思います。

人を殺したのなら命を持って償う。それが日本の伝統。そうしなければ死んだ者も、その遺族も浮かばれない。神に懺悔すれば許されるカトリックと日本は違う。それが純然たる日本だと思います。

河村、末森は死刑判決から30年も生きた。それは苦しみも有ったでしょうが、してやったりの気持ちをあったのではないか。生きる為に出来るだけの対応はしたと。

そこに刑の執行を伸ばす事に意義を見付けていたとしたら、見学さん達の死が浮かばれない。見学さんが無念過ぎます。

見学さんなら1億円程度は大した金額ではない。その大した金額ではない1億円に見学さんは殺された。何か空しい。

1億円で犯人も人生を棒に振った。本当に馬鹿な奴らだ。

そして先日、ゾゾタウンの社長が100人に100万円、計1億円を大盤振る舞いしましたが、そのお金に群がる人を見て、お金の恐ろしさをまざまざと感じました。この中には金で人を殺す者が少なからず含まれている感じがして。

そんな私も「それにつけても金の欲しさよ」なのですけど・・・・・・。


ではでは。







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