あっー、HSPなので色々考えが浮かび中々終われない。困ったと思いながら続きです。
北条家が隠した子供こそが北条泰時だと私は考えます。そして預かったのは北条義時です。自分の子供として育てた。
寺にでも預けたら有力御家人がそれを知り、泰時を神輿に乗せて北条家に挑戦してくる可能性もある。それを考えて義時が育てる事となったのでしょう。
さて、北条泰時は1183年生まれです。そして源頼朝と北条政子との最初の子である大姫は1178年に生まれ。長男の頼家は1182年生まれです。
そして頼朝は1182年に愛人の亀の前を中原光家、伏見広綱の屋敷に極秘に囲っていた。
当時は並みの御家人なら側室屋や妾を持つのは当然。武家の棟梁たる頼朝なら、普通は堂々と妾を持ったと政子にも言える筈です。
しかし、源頼朝は亀の前の存在を隠していた。
北条政子は頼家を妊娠中。阿波局も泰時を妊娠中。共に頼朝の子だったら、妾を持ったなんて口が裂けても言えません。それがバレたら、そりゃ政子も時政も激怒するでしょう。
だからこそ政子は前代未聞の壮絶なる後妻打ちを行った。時政も頼朝に怒り伊豆に帰った。その点も泰時が頼朝と阿波局との子供である可能性を示していると思います。
私、「鎌倉殿の13人」をしっかりと全話観ている訳ではありませんが、作者の三谷幸喜も泰時を頼朝の子としてニュアンス的に大河ドラマで表現していると思います。
先ずは双六中に上総広常が梶原景時に暗殺されるシーンで、広常は武衛、武衛と頼朝を呼んだ。武衛は将軍と言う意味。頼朝は広常から武衛と呼ばれていた。
そして幼少の泰時もぶえっー、ぶえっーと泣いていた。
ネットでは上総広常の生まれ変わりが泰時だと騒いでいましたが、私は父親が頼朝だからぶえっー(武衛)と泣かせたのだと思います。
三谷幸喜はこの件で色々語っていたようですが。
それと頼朝が生まれたばかりの泰時を見て、「わしに似ている」と言った点です。
事実、残された頼朝の自画像と泰時の自画像は本当によく似ています。共に面長で。
逆に義時の自画像は俳優の中村梅雀みたいなムサイ丸顔??をしてます。とても泰時の父親とは思えないです。
それに家来であったとしても、他人の子供を見て自分に似ていると言う常識のない者はそういません。以前に付き合っていたなら尚更似ているなんて言えないが、それを頼朝に言わせた。
その点も泰時が頼朝の子だと暗示させたのだと思います。政子も大変怒っていましたし。
そして三代目鎌倉殿である源実朝がゲイで、北条泰時が好きだった点です。
父親は共に頼朝。実朝と義時の母は政子と阿波局で血が繋がっているからルックスも似ている。親近感も感じる。だから好きになった。その暗示の為に実朝をゲイにして、泰時へ恋文的な歌を送った演出をしたのでしょう。
私的にはゲイである話は納得できませんが。
続く。