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晩年の小野田寛郎さんは柔和なまなざし・・・

2014-01-18 | 雑記
私が二十代の頃、鮮烈な出来事が立て続けに起きました・・・

横井正一さんが1972年でしたか・・・

その2年後の1974年に小野田寛郎さんが帰国されました・・・が、


横井正一さんが帰国された同じ年の10月に

小野田寛郎さんと一緒に行動していた小塚金七さんという日本兵が

フィリピン警察軍との銃撃戦により死亡・・・

このニュースの報が日本にももたらされ、大規模な捜索活動の結果小野田寛郎さんの帰国となったようです。


小野田さんの帰国時の怖いと感じた顔は、このような経緯もあったのではないのでしょうか・・・

その小野田さんも91歳で亡くなられたとの報に、時の流れの速さに、今更ながら驚いていると同時に、

晩年の柔和なまなざしの奥に、今の日本という国はどう映ってたんやろ・・・と・・・


今朝は、小野田さんに関するコラムを紹介してみようと思います。

~以下、1月18日読売新聞朝刊より抜粋~

編集手帳
 "昭和の爆笑王"初代林家三平さんは48歳で禁煙した。フィリピン・ルバング島から小野田寛郎陸軍少尉が帰還した時である。「タバコなんか吸ってちゃ申し訳なくて・・・」。当時、そう語っている。
 1974年(昭和49年)といえば、政界が「金脈」に揺れ、映画『エマニエル夫人』が話題になり、公共の場を全裸で走り抜ける「ストリーキング」なるものが世間を騒がせた年である
 そこに、終戦を知らぬまま29年間、ひとり密林に潜伏して戦争を続けていた人が帰ってきた。どこか後ろめたくて目を合わせられないような、粛然と襟を正さずにいられない心境は三平さんだけではなかっただろう
 「こういう国にするために私の上官や部下は死んだのか?」と、その人が言ったわけではないが、日本人のだれもが無言の問いかけを耳にしたはずである。小野田さんが91歳で亡くなった
 <将校の怖さのままで帰還する>(増田鬼祥)。当時そう詠まれもした射抜くような眼光も、晩年は好々爺(こうこうや)然とした柔和なまなざしに変わった。数奇な運命の行き着いた終着駅が穏やかな日だまりであったことに、ほっとする。
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