ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

船場吉兆に思うこと

2007-12-17 14:48:08 | 社会・政治・一般
ちょっと違う気がする。

北海道の「白い恋人」に、三重の「赤福」に続く食品偽装問題として取り上げられた船場吉兆。当初から、弁明する役員のパート社員への責任転嫁ぶりが不愉快に思っていた。

率直に言えば、私は食品偽装問題はそれほど重大だとは考えていなかった。そりゃ嘘は悪い。でも腹を壊したとかの健康被害は聞いていない。騙された消費者の不信感こそが、最大の問題だと思っていた。

だから船場吉兆の役員の卑怯さが、とても不愉快に思えた。そんな矢先、船場吉兆が役所へ今後の法令遵守を約した書面を提出したとラジオの報を聞き、鶏冠にきた。いや、頭だ。

法令遵守は当然であって、問題の根幹はそうではなかろう。お客様を騙したことへの反省はないのか。法令さえ守れば、お客は騙していいのか?!

食品衛生法があろうとなかろうと、飲食店として守るべき倫理はどこへ行った。私は吉兆へ行った事もないし、買ったこともない。しかし、その評判なら聞いていた。すごい高級割烹だと思っていた。私には縁遠い高級店だとも思っていた。

しかし、今ではそう思わない。思えない。

私の無責任な憶測だが、店の経営者は「どうせ素人に但馬牛と九州の牛の違いなんて分かりゃしねえ」と高をくくっていたのではないか。おそらく、それは正しい。九州の牛だって生産者が必死になって育てたはずだ。但馬の牛と差があろうと、それは僅かなもので、素人に判別のつくものではないだろう。

だからこそ、素人は店の看板を信じて食べに行く。高い金を払って楽しむ。その高い金には安心料も含まれているはずだ。その信頼を裏切った。ところが謝罪はその点を忌避している。あの深々と頭を下げた映像を見て、納得したお客さんがいるとは思えない。

飲食店は客商売。そのお客との信頼関係を損ねたことに対する危機感が、まるで伺われない。お客の信頼をなくしたお店が復活するのは難しい。手軽に買えるお菓子とは訳が違う。高級割烹として致命的な失策をしたと思う。
コメント (8)
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