ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「臨機応答・変問自在」 森 博嗣

2007-07-25 09:32:37 | 
就職活動の最中だった。本命企業の一次面接は、参加者が200人を超える説明会だった。こりゃ厳しいなと思った。

人事の担当者から簡単な企業の説明などがあり、その後の質疑応答が勝負だと考えた。案の定、学生たちが自己アピールのために、「御社の企業業績は・・・・?」とか、「今後の展望は・・・」などと、地に着かぬ浮いた質問を繰り返していた。

最前列に座った私には、人事担当者の表情が退屈気味に思われた。よし、一丁かき回してみるか。体育会仕込みの大声で挙手して、真面目腐って尋ねた。

「S大学のヌマンタと申します。御社には綺麗な女性が多く働いているようですが、社内結婚の割合はどのくらいでしょうか」

場内がどっと沸いた。人事担当者もニヤっと笑い、こんな質問を待っていたんですよと快く話してくれた。それまでの堅い雰囲気から、くつろいだ感じになり、その後の質疑応答は盛り上がった。

その日の夜には電話があり、次の2次面接の日時を指定された。後はトントン拍子で重役による最終面接を経て採用決定だった。もちろん、あの質問だけで決まった訳ないが、かなり印象を残したことは確かだと思う。くだらない質問ではあるが、雰囲気を読んで人事担当者の歓心を買ったことが勝因だと考えている。

たかが質問、されど質問だと思う。

表題の著者、森博嗣はミステリー作家であり、某国立大学の助教授(既に退官)で、教官でもある。とんでもない先生で、試験をやらない代わりに、講義の後に質問を提出させる。その質問の内容で成績を決めるという。これは厳しい。講義をよく聴いていなければ、適切な質問は出来ないし、多分ある程度予習が必要だと思う。

ちなみに森先生、全ての質問をワープロで清書して、かつ回答も公表している。たいへんな労力だと思う。そのやりとりの一部を掲載したのが表題の本だ。くだらないものも多いが、ニヤッとされられるものもある。なにより、森先生の学問に対する考え方、生きる姿勢が興味深い。

私もこんな講義なら、受けてみたかったと思う。大変だとも思うけどね。
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「女犯坊」 ふくしま政美

2007-07-24 09:21:11 | 
漫画の魅力は、やはり絵柄にあると思う。

この人の絵を初めて目にしたのは、原っぱに捨てられていた三流エロ・マンガ雑誌の「エロトピア」だったと思う。近所の原っぱには、よくHな本が捨てられていたので珍しくはなかったが、この漫画だけは衝撃度が凄まじくて良く覚えている。

緻密に書き込まれた筋肉、なまめかしい女体の淫靡なシルエット、そして何より破天荒なパワーを感じるストーリー。絵柄から判じるに、多分さいとうたかおのアシスタント出身ではないかと思うが、確証はない。でも三流雑誌に掲載するのは、もったいないと思えるほどの画力であった。

その後、週刊少年マガジンに連載された「聖マッスル」や週刊少年チャンピオン連載の「格闘士ローマの星」でメジャー・デビューしたが、子供には少々重すぎる内容だった感があり、いつしか消えてしまった。

一度目にしたら忘れられないほどの画力は実に惜しいと思う。ただ、時代の波に合わなかったのだと、今にして思う。人によっては、格闘漫画の原点だと評する人もいる。残念なのは単行本さえ多くない寡作な漫画家なので、古本屋を探しても滅多に見つけられない幻の漫画となっていたことだった。

ところが、私と同じ想いの編集者がいたようで、表題の作品が復刻されて売られていた。迷わず買いました。改めて読むと、その強烈な絵柄に圧唐ウれます。悪を制するは悪。小さな悪を許して、巨悪を許さず。江戸の大奥から支配することを目指す悪徳坊主が主人公の漫画なんざ、私の知る限りでは本作だけです。

歴史考証も凝っていて、「格闘士ローマの星」ではネロの時代のローマを、酷く誇張して描いています。以前ここで取り上げた「セスタス」とはまったく逆の描き方であり、対比してみても面白いものでした。

消えた漫画家の一人でもありますが、もし機会がありましたら是非ご一読のほどを。ちょっと驚きますぜ。
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お礼の渡し方

2007-07-23 09:27:34 | 社会・政治・一般
先週、金曜日の朝日新聞の特派員メモに呆れた。

韓国で朝日の特派員が、老人にお礼の菓子折りを渡した際、片手で渡したのを失礼だと叱責されたことを書いていた。どうも韓国(というか儒教か?)の風習では目上の者にものを渡す場合には、両手を添えて渡すのが儀礼らしい。

郷に入っては郷に従えというし、相手に喜んでもらうための行為なのだから、次回からそうすればいいだけのこと。豆知識として、私も機会があったら活用させてもらうが、別にかしこまる必要はない。

私が韓国という国を田舎者呼ばわりするのは、大体がこんな時だ。礼儀作法とか風習なんてものは、その国により様々だ。敬意を払う意味で、それらを尊重することには異議はない。しかし、外の人間に強要すべきものではあるまい。外国の人間が小さな半島の風習を知らなくて当然だ。

知らない相手に、自国の風習を教えて尊重してもらえば良いだけのこと。それを頭ごなしに叱責する韓国は、はっきり言って馬鹿だと思う。自国の風習が世界標準だと思い込んでいる。覇権国であるアメリカやロシア、イギリスなどがそう振舞うのは分からないでもない。でも、実力無き小国が、それを真似するのは滑稽である以上に愚かだと思う。

韓国という国は、数千年にわたり半島に閉じこもっていたから、外国といえばシナと倭国だけ。狭い世界で、世界を知らずに傲慢な自尊心だけを育んだ感があり、それが急に世界に出て舞い上がっているのだと思う。

他人のふりみてわが身を・・・と言うが、日露戦争後世界の大国となってしまったかつての大日本帝国の残影を見ているみたいで、なんか気持ちが悪い。

ところで冷静に考えると、お礼の品を相手に手渡しする時は、両手で差し出すのが普通だと思う。やっぱり朝日の特派員の質にも問題あるように思うぞ。
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思いあがり

2007-07-21 13:23:39 | 日記
恥ずかしいほどの思い上がりであった事を知ったのは、こんなどんよりした曇り空の日だった。

貧しさから高校進学を諦めていた私が、離別した父の支援を受けて、改めて進学のため勉強を始めたのは中二の冬だった。そのことが、それまで一緒に遊んでいた悪ガキ仲間への裏切りとされるなんて思ってもみなかった。それまでつるんで遊んでいた仲間から、いきなり喧嘩をふっかけられ、止む無くやり合う毎日は過酷なものだった。

ところが、いつのまにか私への攻撃は止まり、平穏な日々が訪れた。戦い続けたゆえに、私は自由を獲得したのだと勝手に思い込んでいた。けっこう誇りにさえ思っていた。

それが思い上がりであったなんて、まったく知らなかった。

就職活動の最中だった。渋谷の本屋で、立ち読みをして時間を潰していた時だった。見覚えのある女性が話しかけてきた。中学のクラスメイトだったA子だった。

実は苦手というか、嫌いな子だった。私の初恋の少女の親友で、私の事を嫌っていて、よく二人の時間を邪魔しに来た子だった。嫌われたのは、私がいわゆるチンピラで、柄も悪く、勉強も出来ない落ちこぼれであったからだと思う。当然、私もA子を嫌い、ほとんど話したことはないはずだ。

A子はリクルート・スーツを身にまとった私をしみじみ眺め、「本当に真面目になったんだ」と呟いた。私が返事に窮していると、挑むように尋ねてきた「中二の時、なんで苛めが止んだか知っている?」

昔からA子は、私に挑発的だった。質問の意味が分からず、憮然として「あれだけ喧嘩を繰り返せば、十分だったからだろう」と言葉を返した。A子はいきなり「馬鹿ね、あんたは」と断言しやがった。

私に反論する暇を与えず、話し出した。「あの時ね、B君やC子たちがS君に止めさすように頼んだからよ」と吐き出すように言い放った。え?

BやCは、クラスメイトで私が内心まじめっ子と揶揄していた連中で、特に仲が良かった訳ではない。そしてSは、サッカー部のキャプテンで、番長ではないが、いわゆる顔が利く奴だ。不良ではないが、スメ[ツ万能な話の分かる奴で、私も一目置いていた。しかし、私とは仲が良かったわけではない。なんで、あいつらが・・・?

唖然としている私に追い討ちをかけるようにA子は続けた。「S君が、Dたちにヌマンタはやれば勉強できる奴だから、そのへんで勘弁してやれよ、と言ってくれたのよ」

知らなかった・・・本当になにも私は知らなかった。呆然と立ち尽くす私を一瞥してA子は「良かったわね!」と怒ったようにたたみ鰍ッ、立ち去っていった。

私は真面目になってからも、いわゆる真面目っ子たちからは疑念の目で見られていたし、元の遊び仲間たちとは距離を置いていたから、まったく気がつかなかった。高校進学後は、通学方向も中学とは逆で、塾にクラブに遊びに忙しかったから、中学時代の友達とは自然と離れてしまったため、本当に何も知らなかった。

8年もたち、転居した後に、いきなり真相を知らされても、ただただ困惑するばかり。じわじわと、自分の思い上がりに気がつき、自然と頬が紅潮するのみ。今更、俺にどうしろというんだ?

私は独力で立ち直ったと思い込んでいたが、実際は他人に助けられて今がある。もしかしたら、他にも私の知らないところで、私を助けてくれた人がいるのかもしれない。謝罪もお礼もしていない。今更どうしたらよいか分からない。

だから、私に出来ることは、道を踏み外すことなく、元の木阿弥に戻ることなく、今の人生を忠実に歩むことだと思い込んでいます。
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消費税の特例の温存

2007-07-20 09:31:55 | 経済・金融・税制
どうやら、そろそろ消費税の増税が国会の場に持ち込まれたようだ。

ここで改めて先送りされている課題を取り上げたい。「消費税の課税売上割合の特例」問題が税務関係者の間に問題にされてから既に久しいが、分かりにくい問題なので一般には知られていない。

この問題は、消費税のような大型間接税を採用している国では、大問題として議論されてきている。イギリスでは約5年余りかけて、国会で激しい論戦の末廃止された。フランスでも何度か中断されたものの、最終的には廃止されたと聞いている。いずれにせよ、国会、マスコミ、世論、行政庁を巻き込んでの大論戦であった。

では、日本では?政府税調及び自民党税調では議論されたらしいが、国会の場で議論されたことはない。多分今後もないと思う。日本の国会議員の税に関する知識はあまりに乏しく、多分委員会レベルで多少議論されてお終いだと思う。委員会に持ち込まれる法案の原案は、既に財務省が調整済みなはずだ。有権者は何も知ることなく、消費税創設以来変わっていないことすら知らないはずだ。これでは困る。

なるべく分かり易く説明してみたいと思います。(法人税や所得税は省略します)

例1
消費税という税金は、売上にかかる消費税から、仕入れにかかる消費税を控除して計算されます。売上が2100万円(内消費税100万円)で、仕入れ1500万円、うち消費税がかかる仕入れ(課税仕入といいます)1050万円(内消費税50万円)の場合ですと、利益は2100万円マイナス1500万円で600万円です。一方、消費税は100万円マイナス50万円で50万円の納付となります。決算で未払消費税を計上するので、600万円マイナス50万円で550万円が正味の利益となります。

これは売上のすべてに消費税がかかる場合の計算です。ところが、全ての売上に消費税がかかるわけではありません。消費税がかからない売上(非課税売上)もあります。具体的には社会保険診療の対象となる医療とか、土地及び居住用建物の貸付、利子収入、教科書販売などが限定列挙されています。

さて、では上記の例で売上の約半分が消費税のかからない非課税売上だとしたら、どうなるでしょう。

例2≠P
売上が2100万円、ただし消費税のかかる売上が1260万円(内消費税60万円)非課税売上840万円となる。仕入れは1500万円で、うち課税仕入は1050万円(内消費税50万円)とします。さて、この場合の消費税の計算が問題になります。実は、売上にかかる消費税60万円マイナス仕入にかかる消費税50万円で、納付すべき税額は10万円は間違いです。

売上2100万円のうち、消費税のかかる売上が1260万円ですから、消費税のかかる売上は6割となります。この割合を課税売上割合といいます。

改めて考えると、売上に対応する仕入についても、課税売上のための仕入と非課税売上のための仕入があったはずです。仕入(1050万円)にも消費税(50万円)はかかっていますが、その消費税と売上にかかる消費税とは対応関係があるもの、ないものがあるはずです。つまり、課税仕入にかかった消費税50万円のうち、非課税売上分の消費税は除外して、納付すべき消費税は計算されるべきなのです。

例2≠Q
つまり、消費税の計算は、売上分消費税60万円から仕入分消費税50万円×課税売上割合(60%)=30万円をマイナスして、納付すべき消費税30万円が計算されるのです。ちなみに売上分消費税からマイナスされなかった仕入分消費税(20万円)は、控除対象外消費税といい、費用として落とされます。

実務の上では、けっこう煩雑な計算となるので、課税売上割合95%以上の場合は、この按分計算はしなくてよいとされています。これを「課税売上割合の特例」といいます。これが、大変な問題なのです。

要するに課税売上割合が95~100%の場合、例2≠Qのように厳密に計算すれば納付すべき消費税が出るはずなのに、それが免除されて例2≠Pのように計算されているのです。つまり結果的に合法的節税として活用されているのです。

たかが5%で何を騒ぐのかと思われるでしょうが、そうではありません。この5%の恩恵を受けているのは日本の場合、大企業であることが多いのです。しかも、売上が数千億から数兆円の大企業なはずです。上記の例において、円と表示している数字を億円と置き換えれば、分かりやすいと思います。

研究者の算定では、この5%の特例を廃止すれば、相当な税収アップ(一説には2000億円)があると予想されています。当然に国税局、財務省も知っています。出来たら課税したいと考えているようです。しかし、実際にはこの特例は温存されてます。

これは私の想像(根拠なし!)ですが、この5%の恩恵を受けているのは、ゼネコンや不動産業のように政府に関りの深い企業が多いようなのです。課税売上割合の特例の話が出ると、決まって自民党サイドから横槍が入ります。不思議なことに財務省も素直に、その横槍を受け入れているのです。背後には、どうも経団連の匂いがします。

イギリスでもフランスでも、やはりこの課税売上割合の特例は大企業に歓迎されていたようで、当然に特例廃止には抵抗したようです。それでも、長い議論の末廃止に至ったようです。さきほど、実務の上で煩雑な計算になると書きましたが、これは嘘です。コンピューターで集計するので、簡単に計算できるのです。

現在の消費税の割合5%の増税を考える前に、この「課税売上割合の特例」を廃止するほうが、税収確保になると思いますが、どうも大企業ほど負担の大きい、この是正措置は問題視されながらも、先送りされてきました。

私は、この特例は廃止されるべきだと思います。残す理由がありません。
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