自分が異常であることを自覚する異常者は滅多にいない。
現在、マスコミやら自称良心的市民とか確信犯的自虐左派が騒いでいる秘密情報保護法案だが、これこそ彼らの異常さを示す良いサンプルだ。
まず世界中の国々で自国の国防や外交に関する情報を自由化している国なんてない。むしろ当たり前のように情報保護に心がける。公務員の情報漏えいなんざ、罰則どころか軍事法廷の対象とされることも珍しくない。
安全を保証するためには、軍事と情報は必要不可欠だ。
戦争を否定すれば平和。軍隊をなくせば平和などと妄想にしがみ付いてきた戦後の平和志向こそが異常なのだ。その根幹的な誤りを直視せず、徒に自らの良心ぶりをアピールする愚者たちだからこそ、当たり前の情報保護に反対するのであろう。
マスコミの知る権利なんざ、聞くだけでヘソが茶を沸かす。いつからマスコミ様はそれほどお偉くなった。私の知る限り、マスコミ様は国民の知るべき権利を意図的に抑制し、国民を欺いてきたのが現実ではないか。
如何にもマスコミが政府を看視して、より良き社会の実現に貢献してきたがごとく振る舞う。たしかにそのような事も実際にあったことは否定しない。でも、多くの場合、マスコミは自らが傷つかない範囲で国民の知る権利を満たしたに過ぎない。
リクルート社が未公開株を政治家にばら撒いたと騒ぐ一方で、自らの放送利権を確保するための醜い贈収賄は決して報じない。大切な広告主様であるサラ金の過酷な取り立てを無視し続け、それがあまりに過酷で死者まで出て社会問題化して初めて報道したのは誰か。言っておくが、週刊誌などは死者が出る前から報道していたぞ。
雑誌の後追いがプライドに障るのか知らないが、国民の知るべき権利をその卑屈なプライドのために侵害していたのは、他ならぬ大マスコミである新聞、TVであった事実を私は忘れてやらない。
いったい何時からサラ金という呼称をやめて、消費者金融なんて耳触りの良い呼称に変えたのか? その時期も理由も決して報じないのがマスコミ様ではないか。
最近だと、在日コリアに対するヘイトスピーチを賢しげに批難するが、なぜヘイトスピーチが沸き起こったのかの背景は決して報じない。ましてや、コリア本国で当たり前のように行われるヘイトスピーチを報じることは決してしない。
日本人の犯罪者は本名で報道するが、在日コリアの犯罪者は何故か通名(通り名であり、呼び名に過ぎない)で誤魔化し、日本国民のみならず世界中をも騙す。一例をあげるなら、英国人ルーシー嬢を殺した犯人であろう。私の知る限り犯人の通名は報道されたが、大手マスコミ様は決して実名を報道しない。
国民の知るべき権利を侵害しているのは、他ならぬ大手マスメディアである。
なお、秘密情報保護法案に関して,政府を無条件で信用している訳ではない。なんらかの形で政府を規制する必要はあると思う。その手法として、誰がどのように情報を保護(隠ぺいだってあるかもしれない)したのか、後日(30年後でも半世紀後でも)分かるようにしておけば十分だと思う。
政府が守るべき情報は必ずある。それは、会社でも家庭でも、はたまた友人関係でも当然にある。それを制度化するだけのこと。
私としてはスパイ天国と揶揄されるだけでなく、他の国々から情報保持の確実性を疑われる今の日本の方がよっぽど恥ずかしいと思います。
指示されなくては、逃げることも出来ないのか。
先週、首都圏を襲った台風26号だが、最大の被害は大島の集落で起きた。大規模な土石流が生じて数十名が亡くなった大惨事である。夜半に起きた惨事でもあり、家に居ながらにして押し潰されて亡くなった方が大半であるようだ。
悲劇としか言いようがなく、お亡くなりになった方々には謹んでご冥福をお祈りしたい。ただ、この惨事が報じられた当初から報道される内容に疑問をもっていた。
現在、盛んに言われているのが行政の不作為、すなわち避難勧告の発令が遅れたことだ。川が溢れて危険な状態であることは警察に伝えられ、警察からも役所へ連絡があったにも係らず、起きてしまった惨事である。批難の声が上がるのは理解できる。。
だが、当初から私は疑問に思っていた。役所から避難を指示されなきゃ動けないのか、と。そりゃ、高齢や病気などで自ら動きづらい人はともかく、全員がそうではあるまい。
実際、生き延びた人たちの談話などを目にすると、川の増水に危険を感じ、警戒していたが故に間一髪で生き延びたようだ。もし、避難勧告を待っていたら、間違いなく生きてはいなかったであろう。
確かに役所からの避難勧告は遅すぎたのは間違いない。でも、勧告されなくては避難できないのかと疑問に思わざるを得ない。自然の危険に鈍感な都会の住人なら、分からなくもない。
しかし、大島は火山で有名であり、また台風や高潮の被害が出やすい島であることも常識に近い。なにより自然を相手にして生活している島ではないか。その自然災害に慣れた島民でさえ予見できぬほどの、異常な天災であったのだと思う。また亡くなった方には高齢者が多く、激しい風雨の中、家を出て避難するのを恐れることも分かる。
亡くなった人たちを誹謗する気はないが、自らの判断で逃げ出して生存していた島民も確かにいたのだ。自然災害に遭遇した時は、TVやラジオ、ネットといった情報入手も大事だが、やはり自分自身の目で見て、耳で聞いて、肌で危機感を感じ取ることが必要ではないか。
役所により避難勧告の遅れは確かに問題だが、役所というか人間は万能ではない。自分自身の命、大事な家族の命を思うのなら、自らの判断で避難することも必要だと思うのです。
森は怖い。
私はけっこう、森を恐れている。子供の頃からさんざん、森や林で遊んでいたが、私の遊んだ森は住宅開発から取り残された跡地であり、後年私が知った本当の闇の深い森とは縁遠い。
私が初めて森を怖いと思ったのは、富士山ろくの青木が原樹海であった。ここで、カブスカウトの合宿の時、野犬に襲われたことがある。幸い惨事には至らなかったが、あの森の深い闇に絶望にも似た恐ろしさを感じた。
またWV部に入り、沢登や藪漕ぎといった通常の登山道を使わない山登りをするようになると、時折その場に居てはいけないと思うような場所に出くわすことがあった。別に警告もないし、危ない目にあった訳でもない。ただ、そこに居たくなかった。それは心の奥底からの警告であったように思う。
不思議だと思う。
何故なら我々、人類は森で育った哺乳類であったからだ。少なくとも300万年前から600万年前くらいにまだ人とは言い難い原人たちは、森に棲息していたと推測される。これは比較的人類に近いとされるチンパンジーやゴリラ、オラーウータンなどが今も森に棲息することを思えば妥当な推測だと思う。
だが、アフリカで起きた地殻運動により大地が裂け、森が平原に変わったことで原人たちは急速な進化を強いられた。木の少ない平原では、直立して視野を確保して危険を早期に発見する必要があった。そして直立することで両手が空いたことが、道具の使用を可能なさしめた。
アフリカの大地溝帯で起きた噴火と森の消滅により、隠れる場所の少ない平原に追いやられたことで、人類は道具を使う猿として進化した。この進化した原人たちは、やがて世界各地に散っていくことになり、それが旧人類であり、やがては現生人類へと引き継がれる。
だから森は我々人類の故郷ともいっていい場所である。それゆえに森に深く根ざした宗教観が芽生えたのも当然だろう。日本の神道も森抜きでは考えられないし、ヨーロッパに深く広まっていたとされるドルイド教も典型的な森の宗教である。
森が育む豊かな恵みを享受するがゆえに、必然その多様性から幾多の神々が信じられた。日本はもちろんだが、ヨーロッパもアフリカも、そして新大陸においても多神教こそが人類の宗教の主流であったはずだ。
ところで、人類は森を伐採し、やがて巨大な都市を築くようになった。多くの場合、その都市は大きな川のそばに建築された。いわゆる四大河文明である。まァ、実際は四つどころか、20を超える都市文明群があったとされるのだが、脱線が過ぎるので割愛する。
なかでもオリエントに栄えた都市文明は、組織化された行政組織と明文化された法律による統治を完成させた。文字の活用を行政に大々的に用いたことで、大帝国の継続的な統治を可能にした。その安定した社会の下で測量術、冶金技術、そしてなにより集団戦闘技術の進化により抜きんでた勢力を築き上げた。
しかし皮肉なことに大都市の発達は、森林資源の過度な伐採を招き、森が喪われたことで飲料水を失い、建築資材を失い、灌漑農業地の放棄につながり、必然的に都市は衰退した。
衰退した都市文明は、新たな略奪者を支配者に迎えて新たな地に再び巨大な都市文明を築き上げる。このような文明でも、宗教は多神教が一般的であった。長年の習慣はそうそうに止められない。
ところがユダヤ教から分派したキリスト教という強烈な一神教が政治家と結託したことで、きわめて攻撃的で排他的な政治勢力として育った。それがローマ帝国である。
ローマ帝国は世界各地に侵略の手を伸ばし続けたが、困難を極めたのが森に覆われたヨーロッパの地を支配することであった。当然、キリスト教もその尖兵としてヨーロッパ各地に布教の拠点を設けたが、古くからあるドルイド教の抵抗に手を焼いた。
結局西ローマ帝国の下での完全支配は失敗したが、フランク王国に根を張り、以降千年近い歳月をかけてドルイド教を根滅させて、完全支配を完成させた。その際、キリスト教が行ったのが森の完全伐採である。
現在、西ヨーロッパにある森は、高山など一部を除けば全て人工の森である。実は森を伐採しつくしたことで、ヨーロッパの地は大変な天災に襲われた。その代表が森から逃げ出して都市に棲みついたネズミがもたらした伝染病であるペストである。
森があればネズミたちは森に棲んでいただろうし、森には天敵たるフクロウや狐などがいて、ネズミが不自然に増殖することは避けられた。しかし、森がなくなったことで人間の住まいに逃げ込んだネズミたちは、かつての天敵から守られて繁栄を享受した。その結果が当時、三人に一人が亡くなったとされる黒死病である。
病気だけではない。森を失ったことで川は滋養を失い魚は激減した。森という天然の浄化システムを失ったことで川は飲料水としての機能を大幅に薄めることにもなった。森の喪失は、農業生産にも多大なマイナス影響を与えた。人間の生活環境を大幅に狭める結果となった。
慌てたキリスト教は、自らの手で森を復活させる羽目に陥ったが、厚かましいことに自然の保護者面して誤魔化している。それでもかつての仇敵・ドルイド教のような自然崇拝宗教が復活することを浮黶A様々な画策をしている。その典型が魔女狩りである。夜な夜な魔女たちが森に集い、人々を呪い、邪な行為にふけっているとしたり顔で説教していた。
砂漠の地で生まれた一神教であるキリスト教にとって、緑豊かな森は恐るべき仇敵の聖地である。だからこそ自らの管理下に置こうとしたのだろう。現在、ヨーロッパの地に多く見られる美しい森のうち、少なからぬ森が教会や修道院の管理下にあるのはそのためだと私は邪推している。
表題の作品は、強欲な土地開発業者により伐採されそうになった古の森を巡る怪事件である。地底深くに見つかった謎のドルイド教の遺跡。土木業者を襲う謎の事故と、目を抉り内臓を抜き出す残虐な殺人事件。そして相次ぐ幼子の誘拐事件。
謎の犯人の正体が明かされた時の驚愕と、その後の救いようのない顛末。涼しさが寒気に変わる秋の夜長を楽しみたいのなら最適の一冊かもしれません。
いつだって不平等。
これは人間だけではない。およそ地球で、いや、宇宙でだって生きとし生ける者は平等ではない。たとえ最初は平等な条件であったとしても、結果的には格差が生じる。
これは適者生存という大原則の下、過酷な生存競争を生き抜いたものこそが次世代を生きることを許されることを意味する。それは人間が生まれるはるか以前、おそらくは原始生命の頃から刻み込まれた宿命とでもいうべきものなのだろう。
この大原則に反感を抱き、敢えて逆らおうと志すのは、地球上ではおそらく人間だけではないかと思う。平等という名の理想を信じてしまったが故に、地上に数多の戦乱を引き起こす。
だが冷静に鑑みて見れば、その平等を目指し、一部の富める者への戦いだって立派な生存競争である。人より多く食べたい、人より多く子孫を残したい、そして人より多く幸せになりたい。この素朴な願いが幾多の戦いと悲劇を引き起こしてきた。それが人類の歴史である。
人間以外の生物で、この不平等に悩むものはいない。比較的知能の高いチンパンジーやイルカでさえ、この種の不平等を当然のものとして受け入れているように思える。だが。不平等を糺し平等な社会を求める戦いでさえ、適者生存競争の一種としてみるなら、やっぱり人間様も所詮月並みな生き物に過ぎないのだろう。
ただし、不平等を糺し平等な社会を求める戦いに勝利しても、結果的には新たな格差社会が生まれるのは避けられないと思う。人間に限らないが、生き物は例え同じ親から同時に産まれても、不思議とその能力は異なる。
能力が異なる以上、結果が異なるのは当然のことで、それを無理に平等に扱えばむしろ不満が高まる。その意味で、結果の平等を求めれば、新たな不平等が生まれてしまう。
それゆえ、私は結果の平等を求める事はしない。でも、機会の平等、すなわち均等な機会が与えられる社会であって欲しいと願っている。機会さえ与えられれば、新たな飛躍が生まれるし、それが結果的に社会全体を押し上げる力となる。
実は必ずしもそうでない現実も知っているが、理想として機会均等、結果不平等な社会こそが理想であると私は信じている。
そして自由、平等、友愛を掲げ、民主主義に基づく議会政治を特徴とした欧米の近代社会が、19世紀から20世紀にわたり繁栄し、今も衰えはみせども頂点に君臨するのも、この理想を掲げてあるからこそだと考えている。
だが冷静に歴史を鑑みれば、民主主義もまた流血の女神に引き入れれて実現したものであり、軍事力の強圧なくして実現しえなかったものだ。理念だけではダメで、実力行使あってこそ実現した事実から目をそらすべきではない。
そして21世紀に入り、欧米主導の近代民主主義社会は黄昏を迎えつつある。もはや自由、平等、友愛は輝ける暁の明星足り得なくなっている。その不安があるからこそ、隔離しての理想郷の維持といった願望があるのだろう。
既にアメリカではゲート・コミュニティといった形で、自分たちだけが住みやすい理想的な街を塀で囲って住まう人たちが現れている。これは、この先増えることはあっても、減ることは考えにくい。
表題の映画では、地球の軌道上に人工の生息域を建設し、高度な技術で麗しき生活環境を作り、あらゆる病気さえ瞬時で直せる理想郷が気付かれている。もちろん、そこに住むのは、一部の限られた特権階級であり、大半の人類は環境汚染で生きにくくなった醜い地上で、かろうじて生きている。
これが将来、ありうるべき未来の理想郷なのだろうか。
映画としてみると、いささか消化不良の面もあるのだが、それでも迫力あるイメージの鮮烈さは脳裏に焼き付いてやまない。名作とは言い難いが、印象が強く残る映画だと思います。
多分、印象が強いのは、これがそう遠くない未来にありうる現実だと予感できるからかもしれません。それはそれで嫌ですけどね。
生来のヒネクレ者のせいか、昨今の登山ブームなんて報を目にすると反感をそそられることがある。
私が登山に傾倒していた期間は案外と短い。だいたい高校から大学までの数年間に過ぎない。ただ、年間登山日数はかなり多く、特に大学時代は年に2か月を超えることも珍しくなかった。
その大半がテント暮らしであり、山小屋で夜を過ごすことは稀であった。いつも布地一枚のテントで夜を過ごしていたので、たとえオンボロの木造小屋でも、山小屋で過ごす安心感は良く分かる。
あの日の晩も山小屋の頑丈さが切実に恋しかったことは良く覚えている。
丁度大学受験浪人の秋であった。高校のWV部の仲間と先輩に誘われて秋の八ヶ岳を縦走することにした。いつものように新宿発夜行列車で明け方には茅野駅に着き、バスで登山口まで行く。
初日の登りは快調であり、何事もなく2日目の朝を迎えた。この時、台風が方向を急に変えて本州縦断の可能性があることを山小屋で耳にする。たしかに雲の流れが速く、荒天を予感させた。
ただ、この時は朝焼けの光と雲の織りなす美しい光景のほうが印象が強く、あまり危機感はなかった。もちろん台風は怖いが、赤岳から権現岳の岩稜帯を超えてしまえば、編笠山から麓まではなだらかな丘陵だと知っていたからだ。ここはハイキングコースに近く、寝ぼけても降れるコースだと思っていた。
でも岩稜帯で台風に襲われるのは真っ平だ。少しペースを速めて行動し、昼前には権現岳を超えたまでは良かった。ここから雨が降り出し、次第に風が強くなってきた。既に岩稜帯は超えていたので大丈夫と思っていた。この先は遮るもののないなだらかな丘陵であり、晴天ならば子供でも楽しめるコースだ。
しかし、遮るものがないことが強風を呼び込み、凄まじい風圧を全身で受け止めることとなった。しかも大粒の雨が風にのって叩きつけられるため、目を満足に開けられない始末である。眼鏡をかけていた私なぞ、前が満足に見えず、止む無く眼鏡を外して行動することになった。
晴天ならばバス停のある麓まで後3時間たらずのはず。ところが動けなくなった。前方から叩きつける風が凄まじくて、満足に歩けない。雨とガスが濃くて展望がまるで効かないので、現在位置さえ不透明。それなのに夕闇は刻々と深まってくる。
こんな状態なのに、パーティー内で意見が割れてしまった。元々この企画は私の同期のTが建てたもので、私がそれに誘われて2人で行くはずだった。そこに先輩が便乗してきたので、リーダーが誰かさえ明確でなかった。
通常ならTであるべきだが、なにせ先輩は某社会人山岳会の現役であり、力量は高く、高校時代の私たちのコーチでもあった。普段なら迷わず先輩の意見に従う。ところが、ここで意見が割れた。
先輩はこれ以上進むのは危険なので、岩場の陰でビバークすべきだと主張した。ところが翌日仕事があるTは、どうしても今日中に帰りたいので、強硬に下山を言い出した。先輩も仕事はあるが、今動くのは危険過ぎると言い張り、パーティーは分裂寸前であった。
その時、突如私とTの身体が宙に浮かんだ。もの凄い突風が吹いてきて、気が付いたら足が地面を離れていた。音は聞こえず、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥った。Tと一瞬目があったことだけは鮮明に覚えている。
次の瞬間、私とTに先輩が抱き着いて地面に引き戻された。いや、3人して地面に倒れこんで、烈風をやりすごした。互いに顔面蒼白であった。もう結論は出た。無言で岩場の影まで這いずり、必死になってビバークのためテントを設営した。
強風のなかでのテントの設営は困難を極めた。気が付いた時は、既に夜になっていたが、なんとかドーム型のテントを張ることに成功し、3人で潜り込んだ。
このテントは先輩が所属する山岳会がエベレスト遠征で使ったものと同タイプであり、あの凄まじい烈風にも耐えてくれた。たかが薄い布一枚ではあるが、この一枚を隔てて天国と地獄ほどの違いが出る。
この違いは経験者でないと分からないと思う。テントの布地一枚の向こうでは地獄の歓声のような轟音が鳴り響いているなか、ありあわせの食材で夕食を食べ、時刻表を調べて朝一番の列車で帰京することで意見が一致した。
さっきまで揉めていた先輩とTだが、受験浪人の私と違い仕事があるので、早くに帰京したい気持ちは同じ。ただ、少し気まずい雰囲気は残っていたが、そこは私がわり混んで、話題を変えたりして場を持たせた。なんにせよ、明日は3時起きだ。その頃なら台風は通過しているはずだ。後はなだらかな道を下るだけだしね。
ところが事件は深夜に起こった。
テントの布地一枚の向こうから聞こえてくる強風の轟音は凄まじいばかりで、あの時ほど山小屋の安心感が恋しいと思ったことはない。まさに巨獣の吠え声のような強風が吹き荒れているのだから、なかなかに寝付けない。
それでも深夜になると風の音が少し大人しくなった。ただ、その風音は太く振動するような轟音と、高音で切り裂くような響きが交互に鳴るもので、日ごろ寝つきのいい私でも熟睡はできなかった。
妙な夢というか、妄想が脳裏に浮かんだのも、この風音のせいだと思う。この音は、暴力を振るう男性の怒鳴り声と、それに怯えて悲鳴を上げる女性の声のように思えて仕方なかったからだ。
それでも、ようやくウトウトし出した真夜中のことだ。ふと気が付くと、聞こえてきたのは誰かのうめき声と泣き声であった。そして急に「パパ!止めて」と悲鳴にも似た声が響いたので、私は驚いて寝袋の中から飛び出した。
薄暗いテントの中で起きた突然の珍事に飛び起きたのは私とTの二人で、互いに気が付いて先輩の寝袋を見ると、やはり泣き声はそこから聞こえる。小声で「先輩だよな?」と囁くと、Tも驚愕の表情で頷く。
何度もテントで一緒に泊まった先輩ではあるが、こんな事は初めてだ。どうしたら良いか分からず、二人して顔を見合わせて考え込む。ふと、時計を見るともう2時半だ。ちょっと外の様子を見ると、既に雨は止んでいて、風だけが吹いている。
「よう、起きちゃおうか。朝食作ろうぜ」と声をかけると、Tもそうだなと言いお湯を沸かす準備を始める。クッキーと紅茶、チョコレートだけの粗末な朝食が出来ると、先輩を起こす。
何事もなかったかのように起きる先輩だが、目が腫れているように見えた。でも、それは黙っていることにする。先輩も口数少なく、中央線が止まってなければいいなと言うので、そうですねと相槌を打った他は無言の食事であった。
その後、テントを出ると雲が足早に空を駆け抜けていくのが、星空越しに見えた。素晴らしい星空であったが、早くこの場を立ち去りたい気持ちのほうが強かった。
麓のバス停まで着くと、公衆電話でタクシーを呼び、小淵沢の駅まで送ってもらう。幸い中央線は動いていた。正確には昨夜は強風で止まっていたらしい。先輩が「無理に下山しなくて正解だったろ」というのを、少し白けた表情でTが頷いていた。
始発の電車に乗ると二人はすぐに寝てしまった。私は車窓から保線工事を今もしている作業員たちを眺めながら、先ほどの先輩の妙な寝言のことを考えていた。私が高校一年の時の卒業生で、年は4っほど上の人だ。
私たちはけっこう良くしてもらっていたが、今にして思うと、少し変わった人だった。あまり家に居たがらない人だったように思う。だから、わざわざ高校のクラブのコーチまで買ってでていたのかもしれない。
家に居たがらない理由が、なんとなく分かってしまったように思う。あの寝言と泣き声のことは秘密にしておこうとTと話し合った。だから先輩は知らないはずだ。
ただ、この縦走登山以来、なんとなく一緒に山に行きづらくなったのは確かだ。私は受験を口実に断るようになり、Tは仕事を理由に断っていたようだ。以来、なんとなく疎遠になってしまった。
あの台風が呼び込んだ異様な強風さえなければ、あんな事は起きなかったと思う。
私は山登りを、一種の人生修練の場と考えていた。平穏な日常では分からないが、過酷な状況に陥ると人間の卑屈で愚かな本性が出る。それは登山において、かなり顕著に出る。私自身が山登りの最中での過酷な試練を受けて、惨めで情けない自分の愚かさを痛感していた。
そんな自分を抜け出したくって、敢えて過酷な場に自分を追いやることで、自身を成長させたいと願っていた。先輩は、もしかしたら何かから逃げ出したかったのかもしれない。
そんなことを思いながら、私は朝焼けに染まる甲信越の山並みを眺めていた。今は美しい光景だ。でも、きっと昨夜は立つことも困難なほどの強風が吹き荒れるこの世の地獄であったはずだ。
過酷な状況は、その人の虚飾を剥ぎ取り、本性をむき出しにさせる。山は決して美しいだけの存在ではない。時として、知りたくもない、知られたくない人間の本性を暴き出す怖さがある。
昨今の登山ブームを見ていると、楽しい面だけが強調されるので、余計なおせっかいながら危惧したくなります。