ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

国内消費の問題に非ず

2016-02-05 17:43:00 | 社会・政治・一般

爆買いは収まるのか。

百貨店などに出入りしている業者から聞いた噂話なので、確証はないが、少し気になる話があった。昨年以来、低迷する日本景気に少しだけ元気を注入してくれたのが、シナ人による大量の買い物である。

通称、爆買いである。

あまり品の良い行為ではないが、このシナ人たちによる大量の土産物購入が、低迷する日本の消費を押し上げていたことは、間違いのない事実である。長続きするものとは思えないが、カンフル剤としての役割を果たしていることは、認めざるを得ない。

このシナ人の爆買いの際に用いられるのが、銀聯カードである。勘違いしている人もいるようだが、これはクレジットカードではない。デビットカードなのである。

まだまだ未発達のシナの国内金融では、クレジット事業は難しい。与信業務がまともに出来得る環境にない。そこで銀行預金を担保とした銀聯カードが、使われるのであろう。

その銀聯カードに一日の限度額が入ったという。

おそらく目的は外貨の国外流出を抑えたいとう北京政府の思惑であろう。公表されている以上に、シナの国内景気は低迷している証拠でもある。もっとも、狡賢いシナ人は、子供名義のカードまで作って対応しているようである。

他にも気になる情報はある。北京政府は現在、アラブの産油国に対して、原油の輸入代金の支払いに、人民元を使いたいと求めているらしい。アラブ諸国がこの提案を受けるかどうかは不明だが、如何に外貨の流出を厭うているかが良く分かる。

つまり、現在の北京政府にとっては、重大な国家財源不足が生じていると認識して間違いないと思われる。非常に危険である。内政の失敗を、外交(戦争)で補おうとする国家は、古来より絶えたことがない。

かつての日本が、そうであった。富国強兵策を強行した結果、国民を貧困に追いやり、その対策に失敗したからこそ、侵略戦争をしたことを忘れてはならない。

シナにとって、国民の不満を逸らし、なおかつ国家の安全を守れるのは、日本に対する領土奪取に他ならない。尖閣諸島なんて、そのきっかけに過ぎず、本命は沖縄列島である。

アメリカを沖縄から追い出し、アメリカに日本を助ける気をなくさせることこそ、北京政府の長期的目標であると私は考えている。ただ、手順としては、日本よりも先に台湾であるとも考えているが、そこは状況次第であろう。沖縄をシナの支配下に置けば、台湾は自然と掌中に収まると考えても不思議ではない。

シナが経済の高度成長にまい進している間は大丈夫だと思う。危険なのは、深刻な経済危機が国民の不満に火を付けたときであろう。

断言しますけど、シナの野望に対して日本憲法9条は無力というよりも、有害そのものです。そうなってからでは遅いのです。中国の経済危機を、爆買いの中止と、日本の小売への影響なんて視点で論じている場合ではないと思いますね。

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サッカー、リオ五輪出場決定

2016-02-04 12:14:00 | スポーツ

なにが起こるか分からないのがサッカーだ。

手倉森監督率いるアンダー23の選手による、リオ五輪出場をかけた予選大会が、中東はカタールの地で開催されていた。既報のとおり、準決勝でシリアを破った日本は、見事リオ五輪出場決定である。

そして、決勝では、これまで散々苦杯を舐めさせられた韓国に0-2から3点もぎ取っての逆転勝利。深夜の試合であったので、敗戦かと思っていた人は、翌朝のニュースで仰天したものである。

谷間の世代と軽んじられていたヤング・ジャパンが花開いたなどと報じるマスコミもあったが、私はいささか苦々しい気持ちであった。

五輪出場は、立派な結果だし、韓国を破っての優勝も軽んじる気はない。でも、マスコミの報道の軽薄さには辟易する。谷間の世代は、この年代だけでなく、アンダーの日本代表は、トルシェ監督を最後に、毎年のように惨めな結果しか出していなかったのが実情である。

前にも書いたが、この若い世代の日本代表監督は、ここ十数年ずっと日本人監督の独占であった。それも、国際試合での経験が碌にない上に、Jリーグでもたいした実績を挙げていない監督たちの、再就職の場がヤング・ジャパンの代表監督の座であった。

手倉森監督にせよ、選手としてはたいした実績はなく、指導者としてはベガルタ仙台を二位に上げた程度である。実際、五輪予選は、苦闘苦杯を舐めること一度ならずであり、なぜに監督交代の声が上がらないのか不思議なほどであった。

もちろん理由は、日本人指導者の育成である。だが、それは10年以上、上手くいってないのが実情である。なにせ、いくら五輪に出場しても、たいした成績は上げられず、またA代表に抜擢されるような逸材の育成にも失敗している。

幸い、日本にはJリーグがあり、そこでは外国人監督、コーチはまだまだいる。だからJで育って、海外に雄飛した選手はいる。しかし、日本人指導者の下で成功した若手は、残念ながら皆無に近い。

無理に海外挑戦しても、ロクに試合に出れずに、身体も心も荒廃して帰国するのが今の日本のサッカー選手である。こうして、幾人もの有望株が潰れているのだ。

私が不愉快なのは、こうした現状を知りながら、日本サッカー協会及び選手たちとの円滑な関係を重視して、日本人指導者の失敗を見過ごすマスコミの存在である。失敗したと批難されるのは、いつもA代表の外国人監督であり、失敗しても批難されないのが若手の日本代表を担当していた日本人コーチ陣である。

日本サッカー界の三大不幸は、素人集団の日本サッカー協会と、力量不足の日本人指導者と、報道すべきをしないマスコミである。韓国に勝ったと浮かれるよりも、大事な問題があることを、しっかりと認識して欲しいものです。

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怪獣ジェロニモンの悲劇

2016-02-03 13:53:00 | 日記

私はウルトラマンよりも怪獣が好きな子供であった。

どくろ怪獣レッドキング、宇宙忍者バルタン星人、三面怪獣ダダ。もう、名前だけで、私なんぞ、興奮してしまうではないか。

そんな愛しき怪獣たちであるが、ここに一匹、不遇を囲っている可哀そうな奴がいる。それが怪獣酋長ジェロニモンである。

このジェロニモンは、死んだ怪獣を墓場から呼び寄せる能力を持つ、いわば怪獣の呪い師である。ルックスも、その目つきの悪さ、怪しい羽、どす黒い図体と、如何にも似つかわしい。

しかし、このジェロニモンは、大舞台には上がれない不遇の怪獣である。理由は簡単で、その「酋長」という呼び名が、放送禁止用語であり、自主規制の対象であるからだ。

アメリカ原住民を、インディアンと呼んだのは、アメリカ大陸をインドだと勘違いしたコロンブスの失態であり、その意味でインディアンという呼称は望ましくない。ネイティブ・アメリカンと呼ぶことに、私は異論はない。

ただし、かつてインディアンという呼称で、新大陸の住民を呼んでいた事実は、歴史に銘記されるべきである。そうでないと、何故にコロンブスが大西洋を渡ろうとした目的が分からなくなる。

それにしたって、酋長という呼称を、放送禁止とする措置は、断固納得できない。この呼称に、差別や蔑視はないはずだ。もしあるとしたら、そう感じる人の、勉強不足、知識不足である。

酋長という言葉を、未開の部族の長だと決めつけたのは欧米の一方的な見方にすぎない。これを部族長とか首長と訳しては、ネイティブ・アメリカンのチーフの役割が伝わらない。

ネイティブ・アメリカンの社会におけるチーフは、部族の調停役、世話役であり、絶対的な権力者でも、権威者でもない。欧米的な基準で測れる首長ではない。だからこそ、チーフすなわち酋長という呼称のほうが相応しい。勝手に欧米目線で見下ろすから、差別用語だと思い込むのだ。

それを放送禁止用語として自主規制することは、断固オカシイと私は声を大にして宣したい。怪獣酋長ジェロニモン、万歳!

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日銀の逆金利政策

2016-02-02 11:58:00 | 経済・金融・税制

その意気や、良し。ただし、配慮が足りない。

週末に発表された黒田・日銀総裁の、前例なき「逆金利政策」は、確かに一定の効果が見込まれる。この政策を実施されれば、銀行はその有り余る資金を、市場に出さざるを得ない。

普通に考えれば、企業への融資の拡大であり、これにより設備投資は増え、景気刺激策となる。デフレ脱却に向けての、大きな一手である。

しかし、おそらく銀行は企業融資の拡大は、あまりやらないと思う。理由は二つある。一つは小泉・竹中政権に強要された金融庁の融資マニュアルの存在である。このマニュアルは、大企業に対しては、そこそこ有効だが、日本の企業の7割を占める中小企業には適切とは言えない代物だ。

またバブルの崩壊以降、銀行は融資の審査を、専門の関連会社などに任せ、現場の判断を蔑ろにしてきた。その結果、決算書を読む力は、コンピューターソフトに取って替わられた。銀行員が、自ら足を運び、経営者を見極めることは不要とされた。

その結果として、銀行は融資判断力が多きく減退した。大企業と異なり、中小企業融資は、経営者に対する融資であり、人を見る目が必要となる。今の銀行にそれはない。

すると、今回の日銀の逆金利政策により浮いたお金をどうするのか?

ほぼ、答は分かっている。それは投資信託の売り込みと、保険商品の販売である。今でも銀行に対する信用力は高い。その銀行員がわざわざやってきて、商品説明をして売り込んでくる。これに引っかかった方は多い。

安倍政権が、前例のない政策にGOを出してまでして、遂行した逆金利政策ではあるが、肝心の銀行は、かつての銀行にあらず。おそらく、十分な成果は出せないのではないかと、私は考えています。

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信長協奏曲

2016-02-01 12:02:00 | 映画

日本史のなかでも、織田信長ほど特異な人物は稀だと思います。

特異であり、異端でもある。元々は一地方の小大名に過ぎない。戦国時代に相応しく、実力によりのし上がった戦国大名の一人であって、それ以上ではないはずだ。

信長以前にも、少なからぬ戦国大名が名を挙げ、ある者は大領主として、また、ある者は足利幕府にその実力を認めさせた。なかには足利将軍を殺してしまった松永弾正のような輩もいる。

しかし、信長のように戦国時代を収めようとと志し、実際にそれを実行したものは皆無であった。天下布武の名の下に、日本全土を支配しようと志した戦国大名は、信長ただ一人である。戦い、破壊は出来ても、新しい時代を拓き、創造できたのは信長、ただ一人であった。

志半ばで終わった信長の偉業は、秀吉と家康により引き継がれたので、まるで当然のことのように思われ勝ちだが、決してそうではない。政治家として、武将として、信長以上の力量をもった戦国大名は、少なくなかったと思うが、信長ほど気宇壮大な志をもった戦国大名は皆無であった。

長い歴史を持つ日本にあっても、日本全土の支配者たらんと志し、それを実行した統治者は、古代の大和武尊(個人か、集団かはともかく)、天智天皇ぐらいではないか。

後醍醐は過去の権威にすがったに過ぎず、頼朝や尊氏は権威よりも実効支配を優先したに過ぎない。如何に信長が、特異であり異端であるかが、よく分かろうというものである。

そんな信長を題材に、現代人がタイムトリップして、信長と入れ替わった物語で人気を博したのが表題の作品である。元々は漫画なのだが、TVドラマ化され、映画化までされている。

正直言えば、かなり無理のある構成であり、異論も文句もある。が、信長の異端さを、明るく描いたことは、新鮮であり、新味があったと思います。

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