入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’18年「冬」 (21)

2018年01月24日 | 法華道と北原師


 昨日よりもきょうの方が、日の射さない寒々とした天気だ。昼が過ぎても雪は降ってこないが、それでも、西山(中ア)は終日雪雲の中。
 きょうの写真は今月の11日に上に行った時に撮った。そして下の写真は再々録だが、晴天の日の牧場管理棟周辺の景色。上の写真では寒そうで行く気のしない人でも、この銀世界を見ればまた違った感想を持つのではないだろうか。



 雪の森の中のひっそりとした「御所が池」がどんなふうになっているかと空想している。有名なTVドラマの撮影候補地になったこともあったが、まだ残雪の多い時期のことで、断念してもらうしかなかった。
 昨日は、山椒小屋を過ぎて、古い林道に出てから先のことは「根気の要る曲がりの多い緩やかな登りが続く」と書いただけだが、さらに行って、林道の途中を表示に従い右に下っていけば、分かりずらいがこの御所が池が雪の中に眠っている。
 そうせずにそのまま1キロ近くも進めば、左手の小さな池のそばに「御所平」の道標があって、この辺りが口碑によれば後醍醐天皇の皇子、宗良親王がいたとされる場所だ。そしてもう少し進めば「本家・御所平峠」に至る。小黒川林道へ下れば、牧場は指呼の間、左方向に南ゲートが見えるはずだ。
 入笠山の裏側を下った「仏平」の道標を加えると、法華道の伊那側には10箇所にこうした地名が残る。日蓮宗が信濃に入り、人々が身延詣でにこので山道を行き来するようになったのは、南朝の皇子がいたとされる頃よりさらに100年以上も下る。それでも、この山道を往来する旅人の間に、不遇な皇子のことが忘れられずに語り継がれていったのだろう。
 なお、またしても同じことを独り言ちるが、宗良親王も一時はここにいたかもしれないが、人の目に触れたのは恐らく、鎌倉幕府執権北条高時の遺児時行の一党だろうと思っている。1335年の中先代の乱は、ここで端緒が開かれたと。

 冬季の営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。

 

 

 


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